怒りが昇華していくとき。
写真は、先日あるイベントにて表現した、私の痛み。先週、足の指をしたたかにぶつけまして、痛くて痛くて!キーン、ギリギリ、チクチク、を触り心地で表現してみた。幸い折れてなかったけど、まだまだ足を引きずってます。。
来週、近くに引越するので、ここんとこ週末は荷詰めにせっせと励んでおります。足痛くてあんま使いモノになってないけど。
4月頃、入社してすぐ辞める新卒が話題になってましたが、かく言う私も、最初の会社を入社して1年数カ月で辞めてます。で、その退職時にもらった寄せ書きアルバムが、物置を片付けてたら出てきまして。
同期や同僚・先輩からの温かい言葉の最後に、辞めた原因だった直属のマネージャーからのカードがついていた。
「厳しい上司で、辛かったと思う」
という書き出し。
久々に見て、苦笑した。
在職中も、辞めて11年経った今でも、彼が厳しかったとは微塵も思っていない。自分以外の価値観を認めず、笑いながら他者の尊厳を踏みにじる人だっただけだ。セクハラ、パワハラ、モラハラを無意識に繰り出し、それに異議を申し立てたら、「この程度で騒いでたらここじゃやっていけねぇぞ?」「大学院出てるからっていい気になるなよ?いくら勉強ができてもここでは使い物にならねーぞ!」と、非難されるだけだった。あ、これが厳しいって意味?日本語、不自由?
何人も、何人もの女の子が心を病み、そして辞めた。私も、ひどい言葉と、理不尽な仕事の振り方と評価と、連日の長時間労働に、顔の半分が痙攣し、仕事中に涙が止まらず、胃カメラも飲んだし薬も飲んだ。私が自分でいられる間に、なんとか尊厳を保っていられる間に、結婚を口実にして逃げるように辞めた。マネージャーからは「お前はどこにいっても使い物にならない」「結婚に逃げるな、どうせ不幸になる」と指をさされたが、私はそのまま去った。
あの時、人として踏みにじられ続けたことのへ怒りは、その後凄まじいエネルギーとなって私を燃やし続けた。おかげで、なにクソ根性でずっとやってこられた。
けど、その後に出会った素晴らしい人達との関係性や、仕事での成果や評価が、私の怒りを少しずつ昇華させていった。なんなら当時の会社には素晴らしい人がたくさんいた、その頃は出会ってなかっただけで。彼ら彼女らは、私のことをフィルターなしにまっすぐ見て尊重してくれる。敵地だと思っていた場所に友軍がたくさんいたという驚き。そして感謝。なんなら私、その時の同期と会社やってるし、今。
私の怒りは、気づけば維持することができなくなって、たまに何かのきっかけで湧き出る程度になっていた。社会に出て最初に遭った壮絶な痛みだったので、内包し続けることがアイデンティティの一部になっていたのだろう。実はその火は下火になっていたのに。敢えてそれを維持するために、件のアルバムはずっと捨てずにいたのだ。
昨日荷詰めで久々に手にとった時、全く迷わず【そこだけ】毟り取って捨てたよ。
アデュー、モラハラ上司よ。あなたと、あなたがもたらす影響が嫌いだっただけで、私はあの会社を、そこにいた人々を、憎んではいない。私は、あの頃よりもっと厳しさと愛情と尊厳に溢れた世界で、多様な人たちと楽しく生きています。
怒りは昇華され、一部を切り取られたアルバムは次の住処にいく。
読んでくださってありがとうございます。力が抜けたり元気が出たり、人間ってそんなもんかーと思ってくれたら嬉しいです。