卒業によせて。
3/31をもって、5年半かかわり、途中からは社長を務めさせていただいた会社を、卒業しました。
卒業までに、気持ちの言語化を…と思っていたけど、あれよあれよという間に3月最終日も終わってしまった。きちんとご挨拶できていない方もいると思うのですが、無礼をどうぞお許しください。
やっとこ、あまり推敲せず、気持ちを綴ってみたいと思う。時系列もこんがらがっているけど、今の自分が振り返って、感じていることをそのままに。
アイデンティティと、スタイルの話
1年以上前から、少しずつ少しずつ、自分の中で違和感が広がってきていて、だんだん目が背けられなくなってきていた。
ひとつには、ここでも書いたのだけど。
この5年半、女性・ワーママの当事者の苦しみや怒りをエネルギーに走ってきていたのが、心身や環境の変化に伴い、だんだんガス欠になってきていた。
私にとっては、「孤独感を抱える生きづらい人」というのが幼い頃からアイデンティティであり、「働き方や両立に悩むワーママ」というのは、ライフステージによる一過性のものだったのだということ。それは発信するには躊躇われることなのに(女性支援の会社なので)、ただ、しみじみとわかってしまったこと。
また、後者は前者に内包されているが、イコールではない。つまり、私はもっと色々な人の苦しみや孤独感に触れ、その力になっていたいのだ(自分のバックグラウンドである「生涯発達」そのもの)、ということ。
もう一つは、スタイルの問題。
第二子妊娠中に独立し、会社の「第一号パートナー」から始まり、悪阻→身重→産後と体がままならない中で、自然と会社の管理業務や組織・仕組みづくりを引き受けてきた。もともと人事や研究者上がりだったこともあり、現場よりは管理、前線よりは裏方、みたいに自分のことを思っていたし、周りにもそう思われてきた。
何度、社内外で「ブレイン」「縁の下の力持ち」「事務方」と言われたかわからない。正直、そのたびに、ざらっとしたものを感じていた。でもそれにずっと、蓋をしてきていた。
実は、私は「前線で」「直接」「手ごたえを得て」働きたかったのだった。カウンセリングでも、研修でも、コンサルでも、「目の前の人(会社)のしんどさに、直接、この手で、役に立つ」ということに、ものすごく喜びを感じていたのに。わかってはいたけど、自信がなくて、認めたくなかった。得意で、かつちょっと希少性があって、周囲に必要とされているところで、安心していたかっただけだった。
この2つにはっきりと気づいた時点で、「今のままではいられない」と思った。このままかかわり続けるのは、会社にとっても全く誠実ではないし、なにより、私が「いま、ここ」にいない気がした。そして、恐れから、いろんな言い訳をしてチャレンジしてこなかったけど、このまましなかったら、明日死んだとして、悔いが残ると思った。私の人生のモットーは、"Carpe Diem"なのにね。
ありがたいことに、会社には、とてもいい人が集まっていて、誰もが事業やお客様のことを必死に考えて向き合っている。ビジョンは浸透し、各々が自分事として意味づけをし、もがきながらも一歩一歩進んでいる。私が作ってきた仕組みやフローもそれなりにワークしていて、もう大丈夫だ、と思えた。むしろ、もっと良い形に、どんどん変えてもらったほうがいい、と思った。拘りがなくなり、不安を手放せたのだと思う。
なので、卒業しようと思った。
大好きな会社で、大好きなメンバーだし、それこそ自分の第二の青春をかけた時間だったけど、だからこそ、自分の変化に素直に、周囲にも誠実に、新しいチャレンジをする姿を見てもらいたいなと思った。
ありのままを赦すという難しさ
私は、すごいエネルギーと危ないくらいの大胆さを持っていて、そのくせ自信がなくて卑屈で、ずっと孤独感を内包している。白黒つけたがりで、責任感とプライドが高く、時々それで苦しんでいる。挑発的でもあり、包容力もある。押し付けられるのは死ぬほど嫌いなのに、自分の正義は押し付けてしまう。「こうあるべき」から逃れたいくせに、自分自身を縛り付けている。嗚呼、なんて矛盾した人間。
でも、そういう混沌とした自分を、赦してもいいんじゃないかと。いろいろな人との出会いや、彼ら彼女らから愛情をいただく中で、そう思えるようになった。
自分の心身の変化から目をそらさず、受け入れること
自分を苦しめる「こうあるべき」を勇気をもって手放すこと
自信のなさ、その裏返しでこわばってしまう自分を赦すこと
認めてほしいという、内なる声を受け止めること
自分では到底できないことばかりだけど、すべて、周りに助けてもらって、なんとか、少しずつ、やれていると思う。そして不思議なことだけども、それを私にしてくれている人たちを、私のほうも、支え、助けているのだ。
なので、今の自分は、まずまずだなと思えるし、これまでの人生で一番肩の力が抜けているなと思えるし、一人で会社をやっていくことにも、なぜか不安はない。今のところ、お仕事は順調にいただけていて(不思議なことだけど、何かを「手放した」直後に、新しい縁は吹きこんでくるのだ、本当に)、もちろん先の保障は何もないけど、それでもダメだったらその時に考えたらいい、精一杯いい仕事をしていればどこかに道は通じるだろう、と、本当に思っている。
最初はどこか、悲壮感もあるような決意だったのだけど(気づいてしまったからには、一人で往くしかない、みたいな)、卒業を決めて社内外にお知らせしてから、たくさんの方々に暖かいメッセージをいただき、「ああ、私のやってきたことは、その時々での精一杯の誠意であり正解だったんだ、それを受け取ってくれている人がこんなにいたんだ」と思えた。噛みしめて、涙がでた。自分自身が、うっかり、過去の自分を否定するところだったのを、また人に助けていただいて、自分で在れた。
人は弱いから支えあうし、助け合う。こんな自分が誰かの力になれるのか?への、私の答えは、「是」である。これからは、脆く弱く在ることを、それを否定されたり拒絶されたりすることを、あまり恐れず、そしてそんな自分をも赦して、一歩進んでみようと思う。