そば

 「おっー! おっー! おまえー! 人を殺したなー!」
 わたしはちゃんと、けたたましい声でそう言う。
 梅雨が終わりかけている。
 新宿西口は臭い。
 お前ら、ちゃんと使えよ、制汗シート。だから男は嫌いなんだよ。臭いから。
 女子高生ってすごくいい匂いがするから、好きだ。

 わたしは、全部を諦め、上京したけれど失敗して、諦めて、
 それで、人を騙して、金を得ることを決めた。
「え、なんでわかったんですか」
 サラリーマン。色白、170cm。鼻横にほくろ。でかい鼻。ちんぽマシマシ。外資系。週に3回ぐらいラーメン食べてて、食にうるサそー。
 20歳のわたしだったら一瞥して「つまんなそー」って思ってた。絶対。
 でもさ、そいつさ、わたしがさ、新宿のさ、駅前でさ、占い師ぶってさ、机ちょこんと置いちゃってさ、「500円」なんて立てかけてさ、占い師ヅラした顔してさ、25歳のクソガキでさ、そいつ、すとんって目の前座ってきてさ、スーツで。しかも「チョッキ」なんて着てさ。わたし、チョッキ着てる男大嫌い! スカしてるから。
 でもさ、そいつさ、すとんってさ、座ってきてさ、
 出してきたの。チラリと。包丁。
 しかも、血付き。
 流血沙汰! お巡りさんはすぐそこ。
「おっ、お前ー! おまえー! おまえ! ダメだろー!性格悪いだろー!」
 わたしは咄嗟に、そいつの性格の悪さを見抜いた。
 上下関係を、こいつはわからせにきてる。そう読んだ。
 占い師に対して、「悪い結果を言ったらいてまうぞ。こいつみたいにな......(こいつがどいつかは知らんが、きっと無様な肉塊となってしまった地球の兄弟のことを指す)」と脅されてしまったのである。
「いや、悪いとは思います、でもそんなこといいんです」
 そいつはやけにスッキリとした顔でそう答えた。
 新宿西口。浮浪者かサラリーマンかわからない人が笛を吹く音だけが脳裏に響いてる。喧騒も、梅雨の中のジメジメも、まじで全部何の意味もない。
 わたしはこいつが純粋に怖い。
「もう嫌だったんですよ、社会が」
「社会が?」
「上司に罵られて、意味のないことをして、疲れました」
「......」
 わたしはもう我慢ならなくなり、こう言った。
「バカじゃないですか」
「え」
「バカじゃないですか」
「......なんでそう思うんですか?」
「意味のないことをやるって、仕事ってそういうもんでしょ。仕事に何を求めてるの。仕事で求めるものは金だけでいいんですよ、それを得て、週3回ラーメンを食べて、ブログでレビューして、素敵な奥さんと結婚して、赤ちゃん産んで、サッカーチーム作ればいいじゃないですか。仕事に何、やりがいを見出そうとしてるんですか。人生を見つけようとしてるんですか。できる人もいるけどできない人もいて、あなたはそれに気づけなかっただけだ。バカじゃないですか」
 わたしはそう言った。まるで、わたしに言い聞かせるようだった。
 しし座。もうすぐ夏が来る。何かの始まり。初動。わたしを支配する星。
「あ、僕、それわかってて」
「じゃあなんで殺しなんかしたんですか」
「あ、僕、殺したんですよ」
「なんで『人生にそんなに影響を与えない』と自分で思い込めば問題のない上司などエトセトラの社会、いや人類の敵に、手をかけて、人生無駄にしたんです」
「あ、いや、僕、上司殺してなくて」
「自分を殺しました」
 しし座。もうすぐ夏が来る。何かの始まり。初動。わたしを支配する星。
 このバカの、チョッキの、脇腹の、シマシマの、赤とオレンジが、全部赤になっていく。
「星座、なんすか」
「かに座です。かにアレルギーなんですけど」

 そいつはヘラって笑いながらそう言って
 アルミテーブルがガン! って激しい音した
 高円寺で拾ったテーブルだった
 脚に犬がしょんべんかけてる最中に、わたしはそれと出会った
 そいつはそれに頭打ちつけて

 わたしはなんだかとても悲しくなったので、その日の帰りに、あったかいあったかい鴨そばを食べた。
 お出汁が効いていて、薬味も美味しくて、そばはしっかり、鴨はしっとりしていて美味しかった。

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