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自分の夢

目次

両親のこと

父がマスコミ関係者。
母はお嬢様で広告関係に縁故で入社。

その後は専業主婦になり
私は一度も怒られた経験がありませんでした。
若草物語のように四姉妹の四女だったので
お嬢様なのにお転婆で
でも優しくてお洒落の大好きな美しい人でした。
若い頃はそれこそお姉様の影響を受けスキーなど色々楽しんでいたそうです。

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しかしゴルフは好きですが
雪国育ちなのに雪が大の苦手で上京した父に合わせ
その後は一度も行かなかったです。
物置にスキーの板がずっとあったことを今でも覚えています。

私の主人はゴルフは嫌いでスキーが大好きなので、全くの正反対でなんだか面白いです☺️

あの浅間山荘事件の時、社旗🚩が立ったハイヤーが迎えに来たこともあります。

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とにかく何かと刺激の多かった子ども時代。

こんな生活だったので、私も「何者」かになりたかった
いやなれるはずだと何処かで信じていた自分がいました。

結婚して専業主婦にそして一人娘との関係

その後結婚し
子どもが幼稚園時に声を褒められたことをきっかけに
娘を中学の同級生が昔入っていた合唱団に入団させます。
受験で中断することのないようにと公立小から私立へ編入もしました。

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忙しいけれど、でもそれなりに充実していました。
(往復の待ち時間を使って色々な検定【漢検等】
などを受験したりしていましたから)

『巣離れ症候群』を防ぐ為に何かしようかと思ったとき
ふと以前好きだった香港映画を思い出して
でも何故か広東語ではなく普通話を習い始めます。

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模索しながら

通訳になろうと頑張って中検やHSKも受けました。
また当時は学校の役員も並行していましたので
死にそうに忙しかったです。

娘は学校でも合唱部に入りコンクールに
出場するたびに追っかけをしていました。
合唱団でも海外公演には付いて行きました。
お金も体力も時間もかけてもうヘトヘトでしたが
とても楽しくて充実した毎日でした。
合唱団でも役員を引き受けたりとやり甲斐もありました。

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そしてとうとう娘が卒団する時は
まるで自分の青春が終わるように思えてしまい
涙が止まりませんでした。

この間、主人は何一つ文句を言うことはなかったです。
私が娘のことだけしか考えていなかった様子なのに
ずっと優しく見守ってくれ、そして何でも助けてくれていました。

最愛の母の死

大学生になって娘も成長しその後独立をしました。
私もちょうど更年期も重なり
寂しさからなのか何となく気分が落ち込んでいました時
突然母が危篤という知らせが!

訳が分からず駆けつけて
それから一か月毎日病院に通いましたが結局帰らぬ人に………

私は今でも後悔しています。
娘のことに一生懸命になり過ぎるあまり
母のことを考えていなかったことを…

病院でもお葬式でも大泣きしている私を見た親戚はとても驚いていました。

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今でも母の不在を思うと直ぐ涙が出てきてしまいます。
母の持ち物の片付けにも
手をつけることが出来ないでいます。
1人残された父の元にも
実家に行くことで母を思い出してしまうのが
怖くてたまにしか帰れないのです。
父と2人きりになって母の話を聞くことにまだ耐えられないので
帰省する時は必ず主人に付いてきてもらっています。

でも、私が元気になりませんと
私の家族(主人、娘)がとても心配します。


無理にでも動こうとするのですが動けません。

そんな時、近所のヨガサークルの存在を知り体験することに…

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そこには私より遥かに経験を積んだ先輩オンニ
(お姉様)たちが沢山いらっしゃいました。
そして皆さま
子どもの独り立ちや親の死を乗り越えたツワモノたち。

私も、あぁ自分だけでは無いんだと
少しずつ心が穏やかになっていきました。
また娘も私を心配して、独り暮らし後
それまではあまり帰って来なかったのですが
最近はちょくちょく顔を見せに来てくれるように…
それからは3人で旅行に行ったり
記念日というと一緒に食事をしたりしていました。

推し活


嵐のFCに入ったのも娘の影響で
ずっと一緒にLIVEに参戦していました。
そしてあの活動休止の報道をお互いの家で知り
LINEで慰め合って
参戦した東京公演の時はまだだった
発表後の5×20の札幌遠征にも2人で駆けつけました。

来年の国立LIVEにも一緒に行こうねと話していた矢先のこと…

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このコロナ禍です。

嵐のvoyageのために
家族で加入していましたNetflixで
「愛の不時着」に出会えてから
生活が全て前向きになりました。
なくなっていたやる気や元気も少しずつ回復し
今は「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」を
口癖にしようと毎日常に心がけています。

自分の夢

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今、毎日が楽しくて
娘のことを心配するのを忘れてしまうくらいに
ヒョンビンさんに夢中です。
リリカップルのリアルに歓び
また同じ作品を語り合えるお友だちも出来ました。

韓国女性を見習って女子力もあがり(w)
娘にもお母さん楽しそうで安心したよ!
と言われるように…

毎回、会うたびに別れが寂しくて泣いていたのに
こんなことを言われるようになるなんて思いませんでした。

ふとある日
自分の思いから娘を合唱団に入れて音楽に触れさせたことを
「今考えると自分の夢を押し付けていたんじゃないかと心配になった」
と娘に尋ねましたら
「そんなことはないよ。逆にとても感謝してる」と言われました。

娘の人生の半分以上を占めている音楽。
それで生活が豊かになっていることを聞き安心しました。

韓国ドラマ「ミセン」の中に出てくる
上司が主人公に言う台詞

「耐えろ、勝て」

今、この年になって
母の突然の死で一回心を病みかけた時期を乗り越え
まだ何者かになれるような気がしています。
(母の口癖が「お姉ちゃんなら大丈夫‼️」でした。
きっと何処かでこんな私を見て喜んでくれていることでしょう)

いい加減に諦めればいいのかもしれませんが

でも私は一生この夢を追い続けて行きたいです。

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