降板とテセウスの船
先日、私の好きな某コンテンツで、声優の降板があった。何らかのトラブル、という訳ではなく、表面上は円満な卒業という形ではあったが、詳細なことは当事者の間でしか分からない。
私は一度、好きなキャラの声優の降板を経験したことがある。その時は、体調不良による芸能活動休止に伴った発表だったため、何となくの前触れは感じていた。そのぶん、自分の中で覚悟はできていたし、実際に発表があった時も、「やっぱりそうだったか」という気持ちだった。
しかし、今回は前触れもなく突然の発表だったので、ファンは衝撃に包まれた。
声優の交代、という話が挙がると、よく引き合いに出されるのが、有名な思考実験の一つである「テセウスの船」の考え方だ。
テセウスの船(テセウスのふね)はパラドックスの一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。
この要領で考えると、「あるキャラクターにおいて、それを演じる人物が置き換えられた時、過去のそれと現在のそれは、同じキャラクターといえるか」という問題が現れる。
私個人は、「たとえ演者が変わっても、キャラクターの同一性には影響を及ぼさない」と考えていた。しかし、それだと「誰が演じても同じ」という理論になってしまう。
「その人が演じるから、そのキャラクターの魅力が引き出される」という側面は、確かに存在するのだ。
とはいえ、声優が変更になった事例は過去にいくらでもある。演者が変わることに対して悲観しすぎるのは、精神衛生的にも負担がかかる。だから、ファンは心のどこかで折り合いをつけないといけないのだ。
私は、降板があってもコンテンツを好きな気持ちは変わらないし、今後も変わらずに動向を見守りたいと思っている。それが、いちファンにできる応援の形の一つだ。