サブカルのゴミ山
ヴィレヴァンが最近調子悪いらしい。
確かに、最近のヴィレヴァンは面白みに欠けていた。
テレタビーズのぬいぐるみや、アメリカのお菓子、太陽の塔のフィギュアなど、今のヴィレヴァンは「ヴィレヴァンに売ってそうな物が売っているお店」になってしまったような気がする。
俺に取ってのヴィレヴァンは「サブカルのゴミ山」だった。
HUNTER×HUNTERをご存じだろうか。詳しいあらすじ等は省略するが、そのHUNTER×HUNTERに"流星街"という街がある。HUNTER×HUNTERの世界で、「何を捨てても許される場所」とされており、物は勿論、人を捨てることも許される。その結果、流星街では小さなコミューンができている。そんな街だ。
2024年9月13日時点での最新刊にて、流星街での生活の様子が描写されていた。幼少期の主要キャラが、ビデオテープをゴミの山から見つけ出し、持ち帰っているシーンから始まった。
「よーし!!!今度こそ絶対掘り出し物だぜ!!」
「言語違ってもわかるやつだといいなアニメとかアクションとか」
「こないだみたく外国語講座のビデオとか最悪だし」
このような会話を繰り広げながらまだ中身のわからないビデオテープについて想像を膨らますシーンだが、これは在し日のヴィレヴァンで買い物する際の感覚に近い。
ヴィレヴァンの醍醐味は山のように積み上がったゴミから宝石を探すことにある。
壁一面に並べられた聴いたことのない本やCDを吟味し、「もしかしたら、これは俺の運命の一冊かもしれない」と思う漫画なり、CDなりをする選択する時間が楽しいのだ。勿論、購入してから大きく後悔したものも多数ある。「バカドリル」など、面白いに違いないと思い購入したが、家に帰ってみるとこういうジョークグッズはプレゼントなどで送って「いらねー」となるところまでセットで楽しむものだと気づいた。何が悲しくて1人で読まねばならぬのか。また、エヴァやパズドラの影響で買った「堕天使のすべて」も本当に面白くなかった。これに関しては完全に俺が悪い。厨二病全盛期だったので仕方がない。
ただ、絶対に自分では辿り着かなかったであろう作品と出会わせてくれたのもヴィレヴァンだった。
例えば、丸尾末広の「少女椿」はヴィレヴァンで出会った。昭和レトロな絵と、何やら綾波レイの元祖ということで前々から気になっていた漫画だったため、ヴィレヴァンで見つけた時は興奮した。また、小説で言うと「不甲斐ない僕は空を見た」はヴィレヴァンで見かけ、ギャンブル感覚で購入し、イオンのフードコートで泣きながら読んだ作品だ。今でも好きな小説の1つだし、これを機に窪美澄を知ることができた。FAKE TYPEを初めて耳にしたのもそういえばヴィレヴァンだった。
ただ、ラインナップがよくなったとしても、スマホがここまで普及した今現在では当時のようなギャンブルはもうできないと思う。
サブスクがここまで広まった時代にCDを買う人間はもうほとんどいないし、漫画もネットで買う時代である。わざわざ好んで面白いかどうかをお金を払って確認するような人間は少ないだろう。
そして、俺自身はというとヴィレヴァンに行ってもだいたいのものが知っているものになってしまった。
流石に28年もサブカルサブカルしていると知識がついてしまい、本棚をざっとみても「あー。あの作者の新刊ね。」くらいの感想しか持てなくなった。
あの輝いて見えたサブカルのゴミの山は、今ではサブカルのコンビニになってしまった。もし願いが叶うなら、1日だけ、少ないお小遣いを握りしめて「堕天使のすべてを買うか否か」を1時間以上検討していたあの頃に戻ってみたい。