マイルスデイヴィスが鉄パイプ持ってやってきた
ある男が「ジャズってオシャレだよね」と語る。
すると、そこに居合わせたもう1人の男は首を傾げる。
なぜなら彼にジャズとは本来、熱く、激しく、過激なものだと考えているからだ。
しかし、ノルウェーの森を読んで、ワルツフォーデビーで初めてジャズを聴いた男には理解ができない。
スーツを身に纏い、髪をポマードで七三分けにした男から奏でられるどこか切ないピアノ、ナイフが皿に当たる音。微かな話し声。高級なホテルで紳士淑女がうっとりしながら演奏に耳を傾ける姿が目に浮かぶ。熱い、激しい、過激などとは無縁だと思われた。
しかし、長年ジャズファンの男にとってジャズとはアートブレイキーの胸が高鳴るようなドラムや、ソニーロリンズの悠々自適なソロ、ジョンコルトレーンの狂気的なまでに神経質なアドリブであったのだ。
どうしてこうなったのか。
これを藤箱の知りうる限りのうろ覚えの知識で考えてみる。
ジャズの始まりはニューオリンズで流行ってたラグタイムという音楽だった。
この頃のニューオリンズは、コロンブスさんがアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパの文化が色々と入り込んでいたため、文化の闇鍋のような状態であった。その渦中、音楽においても文化の発見、融合が起き、結果出来た音楽だと思っている。よしもと新喜劇のテーマとなっているsomebody stole my galなどが有名ではないだろうか。
そこから各所各所で発展していき、ルイアームストロングやらデュークエリントンなどが出てきて、ジャズというジャンルが出来る。
当時、ジャズとはあくまで「流行りのポピュラーな楽しい音楽」だったのだ。演歌から歌謡曲が生まれたようなもの、くらいに考えている。
その当時はビッグバンドと呼ばれる、まるで吹奏楽のような大人数で行われるジャズが主流だったようだが、「小さいバーとかでも音楽聴きたいよねー」となり、少人数でバーで演奏する機会も増え出す。
ここで現れたのがチャーリーパーカーとディジーガレスピーだ。彼らは「俺の方がすごいんだぞ」と、まるで軽音サークルの2回生のように凄テクを披露し、技術を競い合った。こうして「俺の方が」「俺の方が」と凄テク合戦をしているうちに鑑賞側も「なんだか楽しい気分になるわねん」という態度から「オラオラ。殺せ殺せ。」と、この凄テク合戦を鑑賞するようになった。これは現在「ビバップ」と呼ばれ、ここからの音楽を「モダンジャズ」というようになる。
このブレイキングダウンのような凄テク合戦のイメージを持っていると、ジャズ=熱い、激しい、過激、のように思うのだろう。
そして、このチャーリーパーカーには弟子がいた。
名前をマイルスデイヴィスといい、デカいもの、強いもの、速いものが大好きなヤンキーであった。
この男が、凄テク合戦のビパップに、演奏の自由度を高めたハードバップという音楽を生み出した。
詳しく解説するとモードがどうやら、アウトがどうやら、と小難しい話になるので割愛する。
とにかく、「凄テクもいいけど、もっと自由に好きなことやろうぜ」と如何にもヤンキー的思想でジャズに革命を起こしたのだ。
イメージとしては、今まで拳で殴り合っていたところに鉄パイプ持ったやつが現れた、と考えて欲しい。
武器の持ち込みがOKとなったことにより、ジャズは大きく発展する。というか、マイルスデイヴィスが発展させた。
それこそビルエヴァンスを引き連れて静かで情緒溢れるアルバムを出したかと思えば、トニーウィリアムスとかいうちびっこ天才ドラマーを連れてきてとにかく速くて激しいライブアルバム出したりだとか、ジョンマクラフリンというギタリスト連れてきたかと思えば、不協和音マシマシな、まるで現代音楽のようなアルバムを出したりだとか、兎に角なんでもやったのだ。最終的にはヒップホップまでやっていた。
ただ、このマイルスが「自由でいいじゃん」とハードバップを始めた経緯もあるし、「まぁ、これもジャズかぁ」と判断され、更にマイルスが出したアルバムに続くように様々なアーティストがその新たに開拓された音楽をジャズとして演奏したため、「ジャズ確定」となってしまった。
一応本人は「自分の音楽はジャズではない」と説明していたようだが、なってしまったのだから仕方ない。
結果、ジャズはマイルスが「自由でいいじゃん」と言い出したことによってなんでもありの総合格闘技になってしまった。
ジャズについて話が噛み合わない原因はおおよそこのマイルスデイヴィスのせいだと思う。