私は友人を見てパンクだと思った
「私は友人を見てパンクだと思った」
この文章を読んだ時、あなたはこの"友人"をどんな人物だと想像しただろうか。
ヨレヨレのTシャツにジーンズを身に纏い、髪型はツンツンと逆立っている男だろうか。
それとも厚底ブーツに革ジャンを着こなし、まるでファイトクラブのマーラのようなメイクをした女だろうか。
もしくは状況で"私"は友人をパンクだと思ったのだろうか。
友人は血塗れで暴れていたのだろうか。
それとも、女の子に振られたショックで純情商店街を自転車で爆走し、寂れたCDショップで万引きでもしたのだろうか。
ただ、この万引き男はきっとユニクロで買ったこだわりのなさそうな灰色のパーカーを羽織り、サンダルを履いていそうな気がする。
このように、パンクという言葉は現在多岐多様な使われ方をしているため、実態がボヤけてしまっている。
今回はこの「パンク」とはなんなのかを考えてみようと思う。
ある程度パンクという言葉に触れてきた人間であれば、パンクとして想像するのは音楽のパンクロックかパンクファッションのどちらかだと思うが、そもそも
このパンクとは言葉としてはどう言う意味なのか。まずは辞書で調べてみた。
"1.タイヤのチューブに穴があいて空気が抜けること
2.膨らみすぎてはちきれること
3.度が過ぎて、正常に機能しなくなること"
今回のような「パンク」の使われ方としてはこの3が相応しいように思う。
つまり、度がすぎて、正常に機能しなくなった"音楽"であったり、度がすぎて正常に機能しなくなった"ファッション"がパンクロックであり、パンクファッションな訳だ。
ただこれだけではパンクの説明としては不十分だと思う。例えば、度がすぎる勉強家はパンクではないし、度がすぎるインドア派はパンクと表現することに違和感がある。
これはパンクロックの歴史が継ぎ足し継ぎ足しで様々なイメージを取り入れていったからだと考えている。
歴史を振り返りながら、特に音楽に着目してパンクの使われ方を見ていこうと思う。
ただ、自分自身音楽の歴史について、語れるほど詳しくないため、あくまで"藤箱のギタボが知ってる"パンクの歴史なので、予めご了承いただきたい。もちろん嘘も多いだろう。適当に読んでいただきたい。
【パンクロックの誕生】
まず、俺が知る中でパンクロックで一番古いバンドはニューヨークドールズだ。
シンプルなコード進行、歪むギター、跳ねたビート、この後語るパンク黎明期のサウンドと明らかに類似している。また、過激なパフォーマンスなどもまさに皆が想像するパンクだ。ただ全員女装しており、全員ワンピースのイワンコフみたいな化粧をしているため、ジャンルとしてはグラムロックに分類されることも多い。
このニューヨークドールズが誕生して2〜3年ほど経った後、同じくニューヨークでラモーンズが誕生する。
「パンクといえばラモーンズ」と考える人も多いだろう。ニューヨークドールズと比べるとポップで、コードのみのシンプルな演奏、革ジャンにサングラス、ダメージジーンズでとにかく身長がデカい、説明不要のパンクのレジェンドである。
このニューヨークドールズやラモーンズのが結成された1970年代前半をパンクロックの誕生としても問題ないだろう。
この時点でのパンクのイメージは"不良""過激""シンプル"と言えるのではないだろうか。
また、"革ジャンにダメージジーンズ"のイメージもラモーンズの影響だと考えられる。
【イギリスに渡ってややこしくなる】
アメリカで1970年代前半に生まれたパンクロックは、後半にイギリスに渡った。
ここで誕生したバンドがセックスピストルズ・ザ クラッシュ・ダムドの、所謂ロンドン三大パンクバンドである。
まずセックスピストルズから述べる。
ピストルズの始まりは意外にも商業的で、ヴィヴィアンウェストウッドがたむろしている不良に声をかけ、デビューさせたところから始まった。
彼らはヴィヴィアンウエストウッドのヨレヨレのTシャツを身に纏い、若者の憧れとなった。途中からシドヴィシャスというライブハウスで大暴れする厄介ファンをメンバーに招きいれ、すぐ解散した。
セックスピストルズの音楽性はラモーンズよりもニューヨークドールズに近く、彼らのイメージよりもロックンロールに忠実である。
歌詞は反体制の色合いが濃い。代表曲がアナーキーインザUKの時点でお察しだ。
このピストルズのムーブメントにより、パンクに"反体制"というイメージが付与された。
これはニューヨークドールズやラモーンズの"不良""過激"の正統進化と言えるのではないだろうか。
さらに所謂パンクファッション(ヨレヨレのTシャツにダメージジーンズ)が誕生した。
次にダムドについて語る。
初めに断っておくが、俺はロンドン三大パンクの中で一番知識が薄い。そのため、他のアーティスト以上に偏見で語ってしまうことをどうか許して欲しい。
ダムドは不良や反体制のイメージはあまりなく、楽曲もシンプルだがかなりポップで、一見今までのパンクの概念から外れるようだが、彼らはとにかく音がデカい。彼らのサウンドは渋谷のハロウィンを彷彿とさせる。偏見で大変恐縮だが多分すごくバカなんだと思う。俺はダムドの影響でパンクのイメージに"音がでかい""バカ"が加わったと思う。
また、このイメージがニューヨークドールズ、ラモーンズとはまた全く別軸であるため、バカで大暴れしていれば不良でなくても過激でなくてもパンクといえるようになったと思う。
最後にクラッシュについて語る。
クラッシュは初期はホワイトライオットのような、反体制的な音楽を、シンプルなロックンロール調な音楽に乗せ、革ジャンを着て歌う、今までのパンクロックの総集編のような音楽性であったが、ロンドンコーリングというアルバムで大きく音楽性が変わる。
ロンドンコーリングは既存のパンクロックとは異なり、ダークな曲調の表題曲ロンドンコーリングや、レゲエの要素を取り入れたレボリューションロックなど、これまでの"シンプルな""ロックンロール調"などのような前提条件を取っ払ったアルバムであった。
しかし、偉大なるクラッシュが出したこと、また反体制は守っていたことから「サウンドがどうであれ、精神がパンクだからパンクなのではないか」という評価を受け、パンクということになった。
クラッシュの影響で、パンクロックにサウンドは関係なくなった。
今、パンクが多種多様な意味を持ち、実像がぼやけてしまった原因の大部分はクラッシュにあると思う。
【パンクのジョグレス進化】
この"ロンドン三大パンクバンド"は、ただのムーブメントに留まらず、そこからどんどん発展していった。
まず、先ほどクラッシュがパンクからサウンドを取っ払ったのに追い討ちをかけるように、ジョンライドンがPIL(パブリックイメージリミテッド)というバンドを結成。恐らくPILを初めて聴いた人間(当時も含め)は誰しも「思ってたんと違う」となったことだろう。
なぜならPILはクラッシュのロンドンコーリングよりもさらに実験的で、何やら複雑で、音もそんなに大きくないような曲をやるバンドだったのだ。ピストルズの続きを期待していたリスナーは全員ちょっとがっかりしたと思う。
また、当時ジョンライドンが「みんなピストルズと同じ格好してて気持ち悪い」という発言をしたことにより、「もしかしてパンクっぽいパンクはパンク精神に反するのでは…?」という訳のわからぬ禅問答が始まってしまった。
そして大きく中略し、時は1980年代後半から1990年代前半。
どういう背景かは詳しく知らないが、グリーンデイやらオフスプリングといったバンドたちが「メロディック・ハードコア」、所謂メロコアと呼ばれるジャンルを生み出した。
メロコアは、シンプルで、デカい音で、ひたすらポップな音楽であり、サウンドとしてのパンク、特にダムド辺りのものを進化させたような音楽である。
この時点で、「思想としてのパンク」「サウンドとしてのパンク」で2つの進化をしていることがわかる。
【ナヨナヨしたパンク】
このメロコアというジャンルに俺がめっぽう弱いため、かなり知識としては薄いのだが、それが日本に渡り、Hi-STANDARDやエルレガーデンが生まれたのは確かだろう。
ハイスタやエルレガーデンは日本にメロコアをそのまま輸入したように感じている。サウンドとしてとても洋楽っぽい。
そしてそのハイスタの影響を受け、2000年代あたりでゴーイングステディやガガガSPが生まれたことも確かではないだろうか。
これらのバンドは青春パンク(青パン)と呼ばれる。
青パンの特徴はなんと言っても思春期の恋愛ソングがかなり多いことがあげられる。
ピストルズが「俺はアンチキリストだ」と歌ったのに対し、青パンバンドは「甘いシュークリーム、君はシュプリーム」だ。
1970年代に醸成してきた思想としてのパンクはまるで感じない、ナヨナヨした歌詞が特徴的だ。
しかも歌詞に登場する"君"と恋仲になって…ならまだわかるが、基本的に青パンの曲は「君にキスをしたい」やら「君を抱きしめたい」など、結局は何もしないことが多い。挙げ句の果てには「初めて君と喋った!」で大はしゃぎする有様である。
これにより、パンクはナヨナヨしていてもいいことになった。最初の「不良」やら、「反体制」などはどこへ行ったのだろうか。
以上が俺が知る限りのパンクの歴史だ。
もちろん、青パン以降にも素晴らしいパンクバンドは数あれど、イメージという意味でそれ以降更新された印象はない。もしされていれば俺の勉強不足である。申し訳ない。
本題に戻るが、パンクとはなんぞや、ということを改めて考える。
あくまで今回は「パンク」という言葉のイメージについて考えているため、パンクのサウンドについては一旦省略し、パンクの思想について考える。
パンクの思想に関しても、「不良」「反体制」「シンプル」というところから始まり、「複雑でいい」「ナヨナヨしていい」など、許容範囲が大きくなってしまったが、残ったものはなんなのだろうか。
様々な要素の追加や、分岐など、色々あったせいでこのボヤけてしまったパンクだが、その本質を以上の歴史からまとめると、俺は「空回り」なのではないかと思う。
どのバンドも、"度が過ぎた"エネルギーで、何かしらを変えようとしているが、結局あまり変わらない、という共通項があるのではないかと思う。
ピストルズが歌ってもイギリスはなくならないし、峯田和伸が叫んでもあの子と付き合えることはないのだ。
つまり、パンクロックは報われては行けないと思う。
度が過ぎた勉強家も、ためになることをやっているし、度が過ぎたインドア派も、それが楽だからやっているので、どちらも報われてしまっている。これではパンクとは言えない。
我々はこの度が過ぎたエネルギーによる空回りを見て「パンクだなぁ」と感じるのだと思う。
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