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ヒキニートの江戸川乱歩とトー横の夢野久作

昭和初期に起こったエログロナンセンスのムーブメンで対としてあげられることが多い江戸川乱歩と夢野久作だが、作品を読んでいくと彼らが描く人物の特性は真逆と言えるほど差があると思う。

まず、江戸川乱歩だが、彼の登場人物は陰鬱で、醜悪で、女に相手にされない人生を送っているものが多い。
例えば人間椅子、虫、踊る一寸法師などがそうである。彼の描く登場人物は社会的な生活を送るのに不自由していると推測されるような男が出てきがちだ。

そして、基本彼らは女性に対して適したコミュニケーションを取ることができない。

人間椅子では女流作家の椅子をくり抜き、虫では女優を監禁し、踊る一寸法師では女の首を切り落とす。

起こったこととしては全く繋がらないようにも見えるが、俺はこの江戸川乱歩の登場人物の行動は一貫して「女性とは、自分の思い通りにならぬ憧憬の的」なのではないかと考えている。

女性とコミュニケーションを取る作品もあるが、例えばパノラマ島奇譚では成り代わった男の妻と、パノラマ島が完成するまで暮らす。ただ、これも元の男のことを好いている妻にバレないように主人公は自らの正体を隠し続ける。そして一方的に女への好意を募らせ続ける。

他にも、芋虫などは夫婦の話であるが、何もできなくなった状態の夫へ妻の一方的な愛情が降り注がれる。
これはコミュニケーションが全く取れなくても女の方から愛されたいといういかにもオタクらしい願望が垣間見える。

彼らはまるで現代でいうところのヒキニートの2ちゃんねらーのイメージそのもののようなキャラクターだ。

俺はストーカー殺人などが起こるとどうしてもこの登場人物たちを想起させる。

一方、夢野久作のキャラクターはしっかりと女と会話ができるし、なんなら女から猟奇的なまでの愛情を向けられている。

死後の恋や、支那米の袋など、ロマンチックで厭世的な恋模様を描く作家だと思っている。

彼らにとって、"死"を神秘的な遊びのような感覚で捉えてるのではないだろうか。

「この世が終わっても、あなたさえいれば…」といったような、2人だけの世界、まるで自分たちのことをロミオとジュリエットと重ねているような陶酔。

また、メンヘラ女を描かせたら天下一品だ。少女地獄などがそれにあたるし、支那米の女もかなりヤバい。家に泊まりきて起きたら風呂場でリストカットしている危険がある。

夢野久作のキャラクターは例えるならばトー横に集まる少年少女たちのようだ。

さよならを教えての人見は江戸川乱歩っぽいし、ドキドキ文芸部のモニカは夢野久作っぽい、といえば伝わるだろうか。

どちらも現実にいたらなるべく関わりたくないものである。

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