一人二役
パノラマ島奇譚という江戸川乱歩の小説がある。
売れない三流小説家である主人公の人見が、大金持ちの菰田に成り変わり、菰田の全財産を使って小さな島を自分の小説のような幻想的な楽園作る話だ。
海中の通路、まるでギリシャ神話のような美女、何も作らない夢の機械、など、恐らく人見の再現したかった世界を実現させたまさに夢の国だ。
俺がこのパノラマ島奇譚を知ったのは大学生の頃。江戸川乱歩の小説ではなく、それを原作とした丸尾末広の漫画で知った。
ところで、俺は音楽をしている。音楽というのは色々あってロックやらジャズやら和太鼓やら色々だ。
それと同じくらい色んな目的で皆音楽をやっている。
「売れてミュージシャンとして生活していきたい。」というものもいれば、「あいつらを見返してやりたいんだ」というものもいる。
ふと、俺はなんで音楽をしてるんだろうと思ったが、多分自分のパノラマ島を作ろうとしているんだと思う。
俺は、人見ほど大規模なものでなくていいので、「俺用ラブソング」だったり、「俺用パンクロック」みたいな、「俺による俺のためだけの俺の曲」を作りたいだけなのだ。
自分のための曲というのはいい。なんせ自分のことを歌っているので、共感が止まない。色々なアーティストの曲を聴くが、どのアーティストよりも藤箱の曲が心に沁みる。なぜなら俺が作ってるから。
そして、俺は器用なので、一流アーティストである「藤箱」と、藤箱のファンである「藤尾翔太」を一人二役で完璧に演じ切ることができる。
俺の音楽活動はこのファンである「藤尾翔太」を満足させるためだけに続けているし、藤尾翔太は「藤箱」の応援のために人生を費やしている。この車輪をくるくる回すことで俺は楽しく生きることができる。
ただ、厄介なことに、この奇妙な一人二役を演じすぎた結果、最早俺には制御できない域に達している。
つまりどういうことかというと、まず、「藤尾翔太」の「藤箱」に対する期待だ。「藤箱はカッコよくなくてはいけない。」「藤箱は狂ってなくてはいけない。」「藤箱は続けなければいけない。」…。このような様々な期待があり、それに対し藤箱は応えなければいけない。そのためには新曲も作らなければならないし、奇行も繰り返す必要がある。この2人の間を俺は延々とシャトルランさせられている。
最早、「藤箱」には、オリジナルの個体の要素はあまり残っていない。例え、どれだけ俺が嫌がったとしても藤箱としてやるべきならやらざるを得ない。なぜならそれをやらない、という選択肢を藤尾翔太は許さないし、藤箱ならやるべきだからだ。
頑張れ藤箱。応援してるぞ藤箱。
藤尾翔太のために曲を作り続けるのだ。
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