今こそ萌えアニメを観るべきだだだだだー!
「クソアニメは贅沢ですからね。」
これは俺がよく行く京都の木屋町にある「オタクバーism」のオーナー、通称イケメンさんの言葉だ。ちなみに名前の由来はイケメンだからだ。山田孝之に似ている。
「名作アニメは「観なくてはならない」と思っているでしょ。もうその時点で義務なんですよ。つまりクソアニメを観るということは贅沢なんですよ。」
この言葉を聴いた時はお酒も飲んでいたし、飾られている電波女と青春男のエリオのフィギュアに見惚れてしまっていたこともあってあまり理解できなかった。
「皆さん今すぐSpotifyを解約してdアニメストアに加入してください。」
これはpsychicフェスでの小林私のMCだ。
「Spotifyは音楽しか聴けないけど、dアニメストアはあっちこっちとか未確認で進行中とか観れます。」
その時、俺の頭に雷が落ち、2つの言葉がつながって、1つの結論が浮かび上がった。
「俺は萌えアニメを見なくてはいけない」
天から淡い光が差し、俺の体はブルースブラザーズの兄貴のように青白く光りだした。
2024年8月4日、心斎橋の FanJで宙を舞う"人のような何か"を見かけたなら、俺に微笑みかけた天使か、クリトリック・リスかのどちらかである。
その夜、俺は三角公園で半裸のまま最近の自分のカルチャーへの向き合い方を振り返った。
俺は、少なくとも中学生からは、カルチャーを吸収する努力を怠ることはなかった。
古今東西様々なカルチャーに触れ、音楽でも映画でも漫画でも、カルチャーというカルチャーを貪り食った。
良さがわからないなら分かるまで観た。わからない俺が悪いのだと。何かあると思っていた。何か変わると思っていた。思ったでは生ぬるい。信じていた。信仰していた。崇拝していた。
そして、俺はカルチャーを崇拝するあまり、カルチャーを摂取することができなくなっていたことに気づいた。
積み上がる未読の古本、観たかった映画はいつの間にか上演期間終了、Apple Musicの"最近追加した項目"には教えてもらったまだ聴いていない音楽が並ぶ。「読んでない本が多いんじゃない。俺は家に小さいヴィレヴァン作ってるんだ。」などと屁理屈をこねながら、ルールもよくわかっていないポケカの動画を垂れ流す日々…。
この日、俺は気づいたのだ。カルチャーは無駄だからこそ良いのだと。
何かを得たいのであれば、資格の1つでも取ればいいのだ。
あの毎クール全アニメ3話までは観ていた頃を思い出せ。放課後ティータイムのモデルがP-MODELだからなんだというのだ。秀吉が男なのに美少女だからなんだというのだ。俺の妹がモデルでオタクだったらその路線で売り出せばいいだろう。キルミーベイベーの2期はまだか。妖狐×僕SSの2期もなんとかならないものだろうか。パンストの2期制作決定おめでとう。ありがとう庵野。
今こそ我々は萌えアニメを観るべきだ。女の子がきゃっきゃうふふとしていて内容がないものならば尚良い。30分を無駄に消費する必要がある。それこそ真の贅沢だ。
俺はクリトリック・リスのバンドTシャツを着ながら熱い想いを胸に宿らせていた。この夏はしっかり人生を無駄にしようと。逃げの無駄ではない。攻めの無駄だ。
そして、2024年の夏、俺はブックオフ、古本市場に通い詰め、「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」を読んでもこっちに欲情したり、「ブレンド・S」の1話を観て「マゾを舐めるなッ!」と怒り狂うなどして、10日間の夏季休暇を攻めの無駄に費やした。
心の底から海とか行けばよかった。