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2023.06.04 姫路~岡山ツーリング【3日目】(備前市片上~岡山市)

片上「アルファビゼン」周辺

 この日は朝5時半ごろに起きた。長島愛生園に立ち寄ってそれから海沿いをずっと走り岡山へ向かう予定にしている。余裕があれば牛窓にも行きたい。

 「アルファビゼン」の建物が窓から見えた。昔の商業施設だろうか、気になったので行ってみよう。前方に見えるのはエレベーターのようだ。現役の頃は景色を見ながら上にエレベーターで上がれたのだろう。

 商店街の中でもアルファビゼンの建物は目立っている。

 閉店してから20年以上、天満屋なども入居していたという当時の賑わいは感じられない。今ではこの廃墟の状態で津波避難場所を理由に残されている建物だが、交流拠点として再利用する計画がある。5階から上は解体する計画となっている。工事は2025年に終わる予定。完成したら再訪してみよう。

 備前市プレミアム付商品券のステッカーが貼ってあった。これはいつのものだろうか。ステッカーを見た感じ色あせているので少し昔のものかもしれない。愛称 「楷の木券」で検索してみたら、平成24年(2012年)のものが出てきたので、その時期の可能性は高い。

 かつてはここに「備前を正す会」の電線泥棒事件に関する看板が設置されていたのだが、今では撤去されている。

 アルファビゼンの建物内には立体駐車場もある。

 出口に1台だけ駐車していた。

 立体駐車場を下から眺める。

 「アルファビゼン」の看板は残っている。TENMAYAの表記もかすかに残っている。

 中を見てみるとショーケースも残されていた。

 アルファビゼンがあった頃は西片上も賑わっていたのだが、現在では夜に営業している飲食店がないため、西片上に住む人も日生まで飲みに行く、と前日に食事をした店で聞いた。

 国道250号に合流。

 マックスバリュ横に片上鉄道の起点とのことで線路が残されていた。

 ディーゼル機関車が残されていた。

片上~鶴海

 虫明方面へ。国道250号を離れて、海岸線の県道39号備前牛窓線を走る。

 ソーラー発電所があった。

 ずいぶんと小規模な教習所。

 片上湾の反対側に回り込んできた。

 道幅が狭くなりやや広めの1車線になった。

 備前市鶴海にて。ここで左折。

鶴海~虫明

 県道182号鶴海港線へ。

 岡山ブルーラインの看板がある。

 直進方向は岡山ブルーラインにつながる。ここで左折し細い道へ。

 しばらく走っていると1車線の荒れた道になる。

 すぐ横は岡山ブルーライン。60km/hか、それ以上の速度で大型車が走っていく。

 ガードレール1つを挟んで左はほぼ高速道路の道。

 名阪国道のようなインターチェンジの形をしていた。自動車専用道路ではないのでインターチェンジは簡易的。

 農村地帯を走っていく。

 虫明の集落の中は道も狭かった。

 貝殻がまとめられて港に置かれている。何か再利用されるのだろうか。

 ここから人間回復の橋へ。ハンセン病療養所の長島愛生園につながる橋。

長島愛生園

 この橋は人間回復の橋という名前だが、昔は橋がかかっておらず隔離されており、自由に行き来できなかった。戦後には治る病気に変わっていたのだが差別を生み、問題になっていた。
 小学生の時に人権教育でその話は聞いたことがあり、気になっていた場所の1つ。実際に昭和の頃に長島愛生園で暮らしていたという人からも体育館で開かれた講演会で話を聞いたことがある。

 邑久光明園周辺。

 ここから先は長島愛生園。

 小学校の頃に人権教育を受けていたときはこのような瀬戸内海沿岸の綺麗な景色ということは知らなかった。

 歴史館が前方に見えてきた。

 喉が渇いたのでカフェに立ち寄る。ここは島で唯一のカフェ。窓から見える景色が良かった。

 カフェのある建物。本や展示が充実している。

 ナンバープレートの様式も愛生園敷地内で使う車については公道ではないため異なる。

 歴史館に立ち寄る。ここでドアのところにクヒ、と書いてあるがこれは戦前の右から左に書く書き方で、引く、と読む。
 歴史館では、昔の隔離政策の頃に地元の愛媛から離れて入所した人の話がビデオで上映されていた。また長島愛生園やハンセン病についての展示があり、昔の学校や生活に関する展示も多かった。

 かつて入所者はここから上陸していた。職員などは別の桟橋を使っておりその点についても隔離と差別が行われていた。

 無断での外出など取り締まり、もし違反した場合は捕まえる監房があった。さすがに戦後しばらくしてこの監房は廃止されたようだ。

 萬霊山納骨堂へ。

 電話ボックスがあったのだが、見た目は普通の電話が置かれている。

 長島愛生園の中は一般的な公道ではないのか、標識のデザインがほかの場所とは違う。

 浪花浴場という名前が付いている公衆浴場施設。

 このあたりは岡山県だが浪花という名前が付いている。由来はやはり大阪のようだ。

 日出会館というのは一つの売店。訪れたのが日曜日だったので営業はしていなかったが、複数の種類の自販機が並んでいた。ストリートビューで見てみると、2014年時点ではこの右側の屋根はなかったのだが、最近になって整備されたようだった。

 ここは開拓患者上陸地点という最初の患者が上陸した場所となっている。

 かつては入所者の中でも健康状態の比較的良い人が土木工事も行っていたようだ。島の中で完結するようになっていた。

 島の東端。ここで道は行き止まり。

 岡山県立邑久高等学校新良田教室
 定時制高校の分校だった建物。1階建ての建物が残っていた。

 反対側は車庫のようになっていた。

 昔の機械が残っていた。

 来た道を引き返す。

 手影島という無人島。神社の鳥居が見える。

 十坪住宅という、かつての入所者が住んでいた住宅。

 ここの住宅は「徳島路太利」という名前がついている。

 島を出る前に昼食。少し熱中症気味だったので味噌汁の塩分がちょうどよかった。牛窓経由で岡山に向かう予定で考えていたが、体調も考えて最短ルートで岡山駅方面に走る予定に変更。
 食べていると隣の席に座っていた、岡山在住の大学院生に話しかけられた。「小学校の頃の人権教育で愛生園のことを聞いて、気になっていたので来てみた」と話をした。

 十坪住宅の貯金箱があった。

 食後の飲み物。見た目はビールにしか見えないが、ジンジャーエール。

 島を出る。

 橋を通って本土へ。朝は雲ひとつない快晴だったのだが、少し雲が増えてきた。

虫明~岡山駅

 岡山県道225号虫明長浜線を走る。幅2.0m制限の標識があった。これから狭くなりそうだ。

 予想的中。2.0mでもきついのでは?

 グラベルロードの集団に追い越された。

 とても普通のロードバイクでは走れないような道。タイヤの太いグラベルロードが最適か。

 ヘアピンカーブ。ここまでの険道というのは予想外だった。なんとなく近道を通ろうと思ってこの道を通ったのだが、ここまでカーブがきつい、舗装がガタガタということは地図からわからなかった。

 前後は狭い1車線なのだが、ここだけ離合のため2車線幅。

 またすぐに1車線。

 道が下りに変わる。滑らないようにゆっくり走る。

 久々に海が見えてきた。

 道も広くなる。道の駅一本松展望園は少し遠そうだったのでパス。

 瀬戸内市役所

 いよいよ岡山市へ。

 吉井川を渡る。向こうに見えるのは山陽本線。

 国道2号のバイパスと交差。

 県道28号岡山牛窓線へ。カーブの付近に「20」

 JA岡山富山支所。「富山」という地名が岡山県にもあることは知らなかった。

 低い丘を越えると岡山の中心市街地。

 おかでんミュージアム。何回か岡山に来ているが、行ったことはない。すぐ横に路面電車の車庫があった。

 岡山電気軌道の路面電車。ここが終点となっている。

 チャギントンの列車の骨格が展示されていた。

 徐々にビルが高くなっていく。岡山の市街地に来たという実感。

 岡山市内は自転車の専用通行帯がしっかり整備されていて、走りやすく感じる。岡山市のホームページを見てもどこに整備されているかの説明があり、他の自治体に比べても力を入れているようだった。

 イオンモール岡山の前にて。岡山駅まではあと少し。

 16時半、岡山駅到着。次の列車は10分後に1本あったが、さすがに輪行の準備をしていたら間に合わないので、次の列車まで1時間待つことにする。

🚃岡山~松山

 輪行の準備をして、駅の改札内へ。配るお土産も買っておいた。

 反対側にはマリンライナーが来た。

 今日乗るのはこのアンパンマン列車。

 瀬戸大橋を渡り四国に上陸。

 なぜか岡山駅の構内に北海道限定のコアップガラナが売られていて思わず買ってしまった。駅弁は真鯛漬けと焼きあなご。

 美味しい駅弁だった。岡山駅は駅弁のラインナップが豊富で選べるのが良い。

 20時半にアンパンマン列車は松山駅に到着。岡山から約3時間の鉄道の旅だった。距離は近いのだが、新幹線がないので時間がかかる。

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