2024.01.04 Dubrovnik【クロアチアツーリング7日目】
Dubrovnikの市内サイクリング
朝7時からDubrovikの市内をサイクリング。昨日行けなかったところにいってみる。
郊外の方まで高層住宅が続いている。実際の人口と比べて街並みが都会だ。
コンビニに立ち寄る。ここは"FRESH CORNER" というコーナーがあり、サンドイッチを売っている。クロアチアではサンドイッチを売っているコンビニは都市部にしかない。
FLIXBUS(Croatia Bus)の車庫があった。
野菜や果物の直売所。朝早いためまだ営業していないようだった。
Izvor rijeke Omble 湾の最奥部、これより奥は人も住んでおらず山が広がる。この山の向こうはボスニア・ヘルツェゴビナ。
SUZUKIの販売店。クロアチアではビターラ(日本名:エスクード)が人気でよくすれ違う。日本では逆にあまり見かけない車種。日本ではよく見かけるジムニーはほとんど見かけなかった。もちろん、国により趣味嗜好は異なる。
旧共産圏らしく、大きな団地もある。
昨日渡ったDr. Franjo Tuđman Bridgeの下をくぐる。コンクリート橋と鋼橋の組み合わせのようだった。
崩れてきそうな様子の工事現場。
橋の上からバンジージャンプができるようになっているが、冬なので営業はしていないようだった。
この橋は2002年に開通している。
周りの建物よりも背の高いクルーズ船が停泊している。
市街地を迂回する国道8号バイパスからのDubrovnikの眺め。国道8号バイパスを走って有名な観光地のSrđ(スルジ山)へ。
屋根の色はほぼ統一されているようだ。
こちらは新市街のZapadという地区。
自転車を路上に駐車し、宿に荷物を取りに帰る。モバイルバッテリーの充電を忘れていたので宿で充電していた。
ずっと見たかった旧市街を高台から眺める。そういえば、高校生の頃はスマホの待ち受け画面をこのDubrovnik旧市街にしていた時期があった。夜に旧市街に行こう。
渋滞緩和のためか国道は市街地には一切入らず、丘の上を通るルートになっている。
上り坂が続く。
Srđ山ヒルクライム
国道を離れてヒルクライム開始。ケーブルカーが休業中のため、観光客を乗せたタクシーやトゥクトゥクを何台か見かけた。
ヘアピンカーブを繰り返しながら上っていく。
途中で昼食でも…と思ったが冬のオフシーズンなので休業中だった。
古い建物の遺構も一部で残されている。
天気が晴れてきた。向こうに見える山はボスニア・ヘルツェゴビナ。国境はとても近い。
山頂までの道は尾根の上のため、左右両方の景色が見える。
Srđ山の山頂
ゆっくり登って12時頃に山頂に到着。山頂には国旗が掲揚されている。
到着と同時に晴れてきた。青空のドゥブロヴニクの景色、10年以上前からずっと見たかったので良かった…
登山道から登ってくる人たちも何人か見かけた。
頂上には電波塔がある。ここを管理しているOIV(日本で言えばNTTか?)の車はパジェロ3ドア。
さて、山頂からの景色を楽しもう。中学生の頃からずっと見てみたかった景色だ。社会人になった今、やっと見に来ることができた。
しかしオフシーズンの冬なので売店もなく、飲み物も食べ物も買えない。買ってから来るべきだった。
Muzej Domovinskog rata Dubrovnik(クロアチア紛争博物館)
Muzej Domovinskog rata Dubrovnik(クロアチア紛争博物館)へ。入館料はクレジットカード決済可、5ユーロ。
館内に観光客は誰もおらず、1人だった。ユーゴスラビア紛争でドゥブロヴニクが大きな被害を受けたことが分かる。家庭用8ミリビデオカメラで撮影した映像も流されていたので遠い昔の話には思えない。
昨日通過したSlanoという地域の紛争当時の写真もあった。わずか30年前のことだ。高校時代、世界史Aの授業でユーゴスラビア紛争については習った覚えがあり、紛争があったことは知っていたのだが授業ではそこまで詳しく習っておらず、初めて知ることが多かった。
少し怖い階段だが、屋上にも上ることができる。少し雲が多くなってきた。
屋上にも人がいない。
展望台にて
山を下ろうとしていると日本語が聞こえてきた。話しかけたら日本人の夫婦だった。東京から来て、20日間でクロアチアをゆっくり観光するそうだ。
「展望台から街を一望できるのは長崎市の稲佐山に似ていますよね」と話をしていた。
下山
下山し始める。天気が良くて下山していても気持ちがいい。
下山中にマイクロバスタイプの路線バスを見かけた。
天気も晴れてきた。
旧市街が見える。
国道8号に合流。
しばらく走ると急な下り坂で街に入っていく。
信号機は何秒で変わるのか表示する機能がついている。
クロアチアで初めてジムニーJB74を見かけた。日本仕様とは運転席の場所が違うだけであまり変わらないように思える。
先ほどまでいた丘が見える。昼食を忘れていたのでスーパーで何か買って食べようと思い、バナナとパンを買った。
郵便局
郵便局は昔の建物だった。中に入ると郵便局になぜか固定電話機が売られていたり、本が売られていたりした。
一旦、忘れ物を取りに宿へ。天気が良い。
15時。夕暮れが近づいてきた。
Red History Museum(赤の歴史記念館)
「地球の歩き方」で紹介されていた博物館に15時半到着。
共産主義時代の仕事に関する展示があった。展示は英語とクロアチア語のものがあったが、クロアチア語は全く分からず英語も読むのに時間がかかるので、Google Lensで日本語に翻訳して読んでいた。
当時の工場の様子も再現されていた。
Red History Museum内で迷ってよくわからない工場内に入ってしまったが、スタッフの人に教えてもらって回ることができた。
ユーゴスラビア時代のクロアチアの生活。現代先進国とあまり変わらない豊かな生活だったことがわかる。
ユーゴスラビア時代の一般的な子供部屋の再現コーナー。
奥には1984年サラエボオリンピックの記念品があった。
館内にあるチェスはプレイ可能。小さい兄弟が遊んでいた。
ユーゴスラビアの国家体制や制度に関する展示もあった。昔から気になっていた地域なので今回来ることができて良かった。
ユーゴスラビア時代の思い出コーナー。昔の思い出話が読んでいて面白かった。
ユーゴという国民車。4人乗り?の今となっては小さい車。1985年の価格は3,990米ドルだった。右には"KIOSK K 67"という小さな売店の再現。
スーパーカブそっくりのバイク、"TOMOS"
売店の中に入れた。
昔のユーゴスラビア・ディナール紙幣が展示されている。額面を見るとインフレが起きていたことがわかる。
JATユーゴスラビア航空の搭乗券など。
パンフレットコーナーには周辺の店の割引券など置かれていた。
1時間半くらいかけてゆっくり見て回っていたが、17時閉館のため外に出る。思っていたよりも楽しい場所だった。
Dubrovnik Port
景色を撮影しようと港に来た。
ターミナルビルは3階建て。
夜景が美しい。
クロアチアでは少ない自動販売機を発見。日本のものと違い菓子類の割合が高め。
港から旧市街へ
もう一度宿に戻り、忘れ物を回収してこれから旧市街へ。
道を間違えて逆方向に行ってしまっていた。
喉が渇いたので売店で飲み物を買う。屋外にあるので自転車から降りて、鍵をかけずに買い物ができるので便利。
Dubrovnik旧市街
旧市街には19時に到着。ここで散策し、夕食の場所を探そう。自転車置き場はないが、バイクのところに置けば良いのではないか、とタクシーの運転手に教えてもらった。
Buza門より旧市街へ。旧市街に入るといきなり、分解された自転車が落ちていた。近くで土産物店があり、クロアチアの道路地図とドゥブロヴニクの街を立体的に再現した置物が売られていたので購入。
自転車は旧市街には乗り入れ不可。
旧市街を散歩。時間が遅く、オフシーズンだったこともあり休業中の店も多いが、道にテーブルを置いている飲食店も多かった。
「夕食どうですか、ドリンク込みで13ユーロですよ」と店の人に聞かれたのだが、あまり評価のよくない店(Googleレビュー1.8/5.0)だったのでスルー。旧市街をしばらく歩き続ける。
アートギャラリーも覗いてみる。
Stradunという通りに出た。
店は賑わっている。
Porat Dubrovnikという港にて。遊覧船のような小型船を見かけた。
再び歩き始める。
KONZUMというコンビニも昔の建物の中にあった。
屋台が並ぶ通り。冬に来たことで人も少なく歩きやすい。
Pile Gateへ。ここで旧市街は終わり。 猫が橋の上にいた。
危ない場所に猫がいた。この旧市街は猫が多い。
Motorcycle Museumも気になったが時間が遅く、開いていないようだ。
トイレ使用2ユーロ、高額だ…。
夕食はボスニア料理の店、Taj Mahalへ。タージマハルという名前だがインド料理ではない。Veseli bosanacという名前の料理だった。肉で野菜など巻いたもので美味しい。25ユーロしたのだが、これなら満足。
店を出ると猫がいた。
宿に戻る
自転車を回収して宿に戻る。
22時半、車も人も少なくなってきた。旧市街周辺の道路は一方通行が多く、走りにくい。
マツダ販売店。MX-5(ロードスター)やCX-3、CX-5などが展示されている。2階では宿も経営しているらしいが、その名前が"APARTMENTS ZOOM-ZOOM"といい、マツダ販売店らしい名前だ。
宿に戻ってきた。今日1日はDubrovnikの市外に出ていないのにもかかわらず、40km以上走行した。走行距離42.94km、獲得標高620mだった。見どころが多すぎて、とても1日で周るのには時間が足りない。またいつか、モンテネグロ観光とセットで来よう。