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「遠いデザイン」最終18話

 壇上に上がったモデルの顔にステンドグラスの光彩が落ちている。先にカット撮りを済ませた黒人女が列席者側の長椅子に肉付きのいい尻を広げた。女はこの施設専属のゴスペルシンガーで、好奇心に見開かれた目をモデルや撮影スタッフたちへと走らせている。
 黒い木の梁を巡らせた天井のシャンデリアが次々とオレンジ色に発光すると、ファインダーを覗く小田島には、壇上のモデルが古い蝋人形のように思えて、この建物の原型となった古い英国教会にいるように錯覚する。

 七瀬があのアパートのあった高台で雨上がりの空を仰ぎ見ていた頃、小田嶋たちは、郊外に完成したばかりのゲストハウスで、結婚情報誌の撮影にかかっていた。モデルは今年の冬、東部温泉ホテルの撮影で使った短大生だった。肩まであった髪が短く切られていたせいか、小田嶋には、女の印象が全く違って見えた。

 ふと、女とレストランで交わした奇妙な会話を思い出した。
 こいつには…双子の姉がいて、その姉を…幼い頃に亡くしたとか……。 

 スタイリストがモデルの足元にひざまずいて、ウエディングドレスのトレーンをバージンロードの後方へと流す。モデルだけを残してスタッフたちが小田嶋の後ろに下がる。撮影がはじまった。十七世紀の製造印が焼き付けられたアンティークなパイプオルガン、欧州の古書店で見つけてきたような台上の黄ばんだ聖書、十字架に磔られた真鍮のキリスト像・・・・・・。ポーズを変えてシャッターを切るたびに、モデルの女は、この疑似チャペル空間に溶け込んでいくようにも、この空間をつくり変えていくようにも小田嶋には見えた。

 あの時もそうだった、と指先が震える。施設の雰囲気こそ違うが、あの温泉ホテルの撮影の時にも、こいつはまったく自然に目の前のシーンと重なりあった。それでオレに夢中にシャッターを切った…
 モデルの顔が一瞬、途方もなく幼いものに写って、小田島は目を擦る。女の微笑みが見る見るうちに幼女の呻きに歪んでいく。

 ゴスペルシンガーはフッと声をあげた。この場面に何かが浮かび出ようとする気配を感じたからだ。彼女は目を閉じた。魂が震え始めてそれが霊歌となって口からこぼれた。歌声は徐々に音量を増していき、やがてこの空間全体に響き渡っていった。

                *
 もうマネージャーが付き添うこともなくなったモデルの女は、自分でハンドルを握ってこのゲストハウスへやってきた。施設内はまだ所々が工事中で、駐車場に停められた女の黒いスポーツカーは、建築資材を積んでトラックで乗り付けてくる若い作業員たちを何度も振り返らせた。
 その駐車場とは高いコンクリート壁で隔てられている施設の中庭へと、小田嶋たちは移動していった。邸内で紙面の打ち合わせをしていた林田とゲストハウスのオーナーが小田嶋たちと合流した。中庭の花壇には夏の花が咲いている。林田は中央の噴水の前に立って、大げさな身振りを交えながらオーナーに話しかける。

「いま、ガーデンが一つのトレンドになっていますからねぇ。こちらでも、オープンエアパーティーの解放感を披露宴のプログラムに取り入れて・・・・・・」
 噴水の水音に林田の裏返ったような声が重なる。小田嶋は残り二カットだと思いながら、三脚の上の使い込んだカメラに手を置いた。
 来年は、もうこの仕事をしていないだろう……。

 カメラマンの助手にはじまって三十年以上もシャッターを切り続けてきたが、四十半ばを過ぎてからは仕事が薄くなる一方だった。二年前からはスタジオの賃貸料も滞りがちになっていた。地方都市の少ない撮影の仕事はいつしか口の上手いカメラマンたちに奪われていた。もうそれが二度と戻ってはこないことは、彼自身が一番よくわかっていた。客の机の上に当たり前のようにデジタルカメラが転がっている時代だった。

 小田嶋は、木のサンデッキにもたれて、老人たちの話し相手をしている自分の姿をこの日盛りの庭に想像した。グループホームをつくる計画は妻も了解済みだった。妻の実家の跡地に建てる上物の設計図もすでにできあがっていた。彼は夏の日差しの中へ三脚を運んだ。そして庭を手前に二つのゲストハウスが納まる位置へモデルを促した。
 
 三カットの撮影は昼過ぎに終わった。モデルの女は、しつこくオーナーを追いかけ回している林田や、撮影機材を片づけている小田嶋たちを残して、一人駐車場へと歩いていった。運転席に座るとハイヒールを脱いで、後部座席に置いてある革のスニーカーに履きかえた。エンジンキーを回し、乾いた排気音を響かせながら駐車場を出た。幹線道路からバイパスに乗り、トンネルに入る手前を左へ折れて、海岸線の道へと向かった。黒い車のボディに周りの風景が映り流れて、それは夏を対称化する鏡となった。海岸線の入り口にシーフードレストランがあった。店の背後には堤防があり、沖に積み重なるテトラポットを波しぶきを立てていた。モデルが扉を開くと、頭上で鈴の音が鳴った。二人の女の子が高いスツールに腰掛けて、カウンターにいる男と話をしていたが、テーブル席に客の姿はなかった。二人はいずれも髪をライトブラウンに染めていて、まだ成熟しきれていないからだのラインが淡い影となってフローリングに床を揺れていた。

 モデルの女は、テラスに面したテーブル席に腰を下ろした。少し離れた壁に掛けられた大きな鏡に自分の姿が入った。ちょうど首の高さで背後に水平線が走っている。女はその時、鏡に映ったのは、一瞬、死んだ姉かと思った。いくつもの空気の層を積み重ねた空の青とそれを反照する海の青との境界線はあいまいだった。モデルの女はゆっくりと顔を動かし、フレームの中に自分の横顔を印してみた。何も語らない横顔、目を伏せたままの横顔、それはいつか本の装丁にあった粒子の粗い写真の女と似ていた。

 カウンターから出てきた男が、氷が浮かぶグラスをテーブルの上に置いた。女の子たちが肘をつく天板の上をマッチ箱が滑る音がした。
 男の指に嵌められた太い金属の指輪を目にした時、モデルの女はふと奇妙な思いにとらわれた。自分が今まで性的な魅力を感じてきた相手は、どうしてこうも自分とは形質の異なる相手ばかりなのだろう。それは愛とはまったく無縁のもので、あたかも自分の遺伝子がその偏りの不安のために勝手に欠けているものを求め続けているみたいだ。

 そして、そんな美しい秩序を甘やかに攻撃する……。
 繰り返す波の音と重なりながら、鳥が羽ばたく音が近づいてきた。
 
 男がテーブルを離れると、女は携帯電話を取りだした。そして、以前、七瀬から渡された名刺に書かれてあった番号を、まるで指がそらんじているかのようになめらかにボタンの上をすべった。
                                                    (了)


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