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「遠いデザイン」第2話

 海にこそ面していないが、披露宴で屋外ステージとしても使えるフラワーガーデンがあるバンケットルーム。一ヶ月前にロケハンした時にはまだ構造材が剥き出しだった室内が、この短期間できれいに化粧が整えられていた。朝着のスタッフたちの手を借りて、重くかさばる撮影用機材を会場に運び終えた小田嶋は、早速、カメラのセッティングに取りかかった。

 「季節の収穫祭」をテーマにコーディネートされた卓上には、テーマカラーで統一された花々のほかにブドウやプラムなどの果実が添えられ、スタイリストがカメラアングルに合わせて微妙な位置合わせをしていく。邸宅風を意識して深みのある板材を張り巡らせた壁の前では、カメラアシスタントが小田嶋の指示に合わせてデフ板を左右に振っている。時折焚かれる露出計の瞬光が室内に氾濫する色を瞬時に奪い去る。

 しばらくしてモデルがマネージャーに付き添われて会場に現れた。純白のウエディングドレスを身にまとい、ラフにボリューム感を出したヘアトップにはドレスと同色のティアラが光っている。卵形の小さな顔と透明感のある白い肌。切れ長の一重の目が、かえってはっきりとした印象を女の顔に与えていた。

 モデルの女は、大きな窓からの逆光に細身のシルエットを焼き付かせるようにして一度立ち止まり、またゆっくりとステージの方へと歩き出した。細長い指でドレスの前を持ち上げながら、ぎこちない足どりでスポットライトの輪の中に入っていく。それは機敏に立ち働いているこの場のスタッフたちとは無縁のように緩慢だった。

 スタッフたちは一斉に手を止めてモデルの動きを目で追った。小田嶋も一瞬、敵意を含んだような視線を投げたが、すぐに思い直したように小さく四角形に開かれた孤高の窓―ファインダーへと目を埋めた。そしてモデルを最初の立ち位置へと促した。

「ここは、まず、室内全体をおさえてから、モデルをメインテーブルの前に立たせてみましょうか。ちょっとカメラを振って、カジュアルな感じで・・・・・・。大丈夫、窓越しの庭もちゃんと写りますよ。いや、ぼやけぎみの方が、かえって読者のイメージ、ふくらむんですね。グリーンがやわらかくかぶさった感じで」

 林田が特集ページの紙面カンプを指さしながら、ホテルの支配人にしきりに話しかけている。白髪が勝る髪をオールバックにした品のよい顔立ちの支配人は、一緒に撮影に立ち会っている部下の女性に意見を求める。職場では普段目にすることのない人種ばかりなのだろう。撮影前、ウエディングプランナーという名刺を配りつつ、それぞれにクセのある撮影スタッフたちを興味深そうに見ていた彼女は、小さな声で支配人になにか耳打ちすると、すぐに身を反らせ、はじけるように笑いだす。細いからだがテーブルにふれて、トレイの上に伏せられたワイングラス同士が小さく響き合う。

「そうですよね、いわれてみれば、モデルの位置、こっちに寄せた方が絵になりますよね。気持ち、カラダななめにして。いやぁ~、やっぱり、若い女性の意見って、参考になりますよね」

 額に垂れかかる前髪を払い、目をせわしなく泳がせつつ、林田はカンプに赤字を入れていく。正社員を希望しながら三年目も契約となってしまった焦りからか、客の意見には逆らえないようだ。そんな弱気な営業スタンスが彼の立場を軽くし、今ではホテルに出入りする業者さんと同格扱いになっていた。県東部エリアのホテルと式場を一人でカバーしていると自負する彼の手帳は、スケジュール欄がたちまちアポで埋まり、不規則な食事も手伝って白い顔からはむくみが消えない。

 数枚試し撮りされたポラに支配人のOKが出た。
「では、本番いきます!」
 小田嶋の上擦った声が室内に走った。ヘアを整えていたスタイリストがモデルから離れる。アシスタントがデフ板を構え直す。それぞれが申し合わせたようにその場に静止して、映るはずのない声までも消す。二度、三度、フラッシュの乾いた閃光を浴びるうちに、モデルの瞳が徐々に潤みを帯び、口元が陶酔の色が射し始めたことに小田嶋は気づいた。

 彼はファインダーから目を離して正面からモデルを見据えた。女がつくる微笑、それは何かの花が開くイメージを思わせたが、具体的なその名前にはいきつかなかった。小田嶋は頭の芯がぶれる感覚に襲われつつ、再びファインダーに片目を押しつけた。

 その時息を飲んだ。構図のうちに潜む得体の知れないものが彼に写せと迫っている。この三十年のあいだに撮影したモデルは二百人を下らないだろう。しかし、今までこんな脅迫的な圧迫を受けたことはなかった。指が小刻みに震えだし、それを制しきれずに何度もシャッターを切った。室内が乱れだし、色彩が朽ちていくような恐怖を覚えた。女がポーズを変えるたびにテーブルに落ちた淡い影が動き、卓上の花や果実や燭台をそよがせているように思えた。マネージャーの誇らしげな咳払いが遠くに聞こえた。

「ハイ、OKです!」
 小田嶋の声が走り、室内に張られていた緊張の糸がざわめきとともに解かれる。

「あのモデルさんって、ほんとに新人、で・す・よ・ね?」
 林田が七瀬に耳打ちした。
「それにしては撮影慣れしてませんか? ポーズも自然だし、表情だってやわらかい。やっぱり、才能でしょうかね? そうだ、このホテルと専属契約、支配人に打診してみましょうかね」

 モデルのマネージャーがおじぎを繰り返しながら支配人に名刺を差し出している。マネージャーはモデルにも挨拶しろと目配せしていたが、彼女はそちらを見ようともせずステージを下りていた。
 
 撮影は順調に進み、午前中に予定していた二つのバンケットルームを撮り終えたところで、早めの昼食をとるために、スタッフ全員でレストランに入った。海が一望できるためオーシャンルームと名付けられたそこは、壁も天井もガラス張りで温室のように温かかった。席を案内するウエイトレスのネイビーブルーのコスチュームが季節の倒錯感にいっそう拍車をかける。

 二つのテーブル席に分かれて座り、七瀬は小田嶋の隣りに腰を下ろしたが、モデルが目の前の席の椅子を引いている。服装こそカジュアルものに変わっていたがドレスを着る撮影をまだ残していたので、アイシャドウもリップもまだ落とされていない。

「生まれはどこよ?」
 トラブルなく進んだ安堵のためか小田嶋の声が明るい。少し間をおいて、モデルの女はニコリともせずに東北地方のある町の名を言った。その抑揚のない声は、椅子に置かれたマネキンが突然口を開いたようだった。

「それから、幼稚園に入る頃に、今住んでいる・・・T市に越してきたのよ」
同じ県内ではあったが、この温泉ホテルのある町とは違って、県庁所在地の  T市は人口七十万人を超える都会だった。七瀬の広告事務所や小田嶋のスタジオ、県内の主だった広告会社はどこもT市にオフィスを構えていた。

「今、短大生なんだろ? どうしてモデルになんかなったわけ?」
「地元のA校に通ってたんだけど、校門の所で声かけられたのよ……あの男に」
 モデルはそういって振り返った。背後のテーブルでは、今、モデルにあの男といわれたマネージャーが、林田やスタイリストたちを前に、モデルクラブのカタログを出し惜しみするみたいに捲っている。短い口ひげを時折舌で湿らせつつ、モデルのPRに余念がない。

 朝湯にでも浸かってきたのか、一様に血色のよい顔で店内に入ってくる宿泊客たちは、どこか子供じみたイントネーションでしゃべりあっているこの場違いなグループを敬遠するかのように離れた席の椅子を引く。バタついたスリッパの音がフローリングの床を遠回りして、やがて静まる。

「新人って聞いてたけど、なかなかいけてるじゃない。なあ、七瀬ちゃんも、そう思うだろう。なかなかのもんだって。いったいどんな仕掛けよ、これは?」
「シ・カ・ケ?」
 モデルの女は一字ずつ小声で切って、眉をひそる。
「いや、てっきり、もうどこかで経験ずみだと思ってさ。とにかくグッドよ、グッド。午後もその調子で頼むよ」

 女につかみどころのないものを感じたのか、小田嶋の言葉が尻すぼみになる。モデルは顔を動かし、カメラのレンズが窄まるように、今度は七瀬の目に焦点を合わせた。
「モデルの経験なんてひと月もないわ。一日がかりの撮影だって、今日が初めてなんだから。でも、そう、シカケね。なぜ、そう言われるのか、わかる気がする・・・」
「どうしてなのさ?」
 小田嶋が問い返した。
「私は、もともと双子だったの。でも、幼いときに、その片割れ、そう、姉を亡くしたのね」

 七瀬も小田嶋も一瞬、意味がわからず顔がこわばる。撮影のことを気づかって、小田嶋がこの風変わりな女を好意的に受け入れようとしているのを七瀬はわかっていたが、二人とも女との接点を見つけられずにいる。
「水死したのよ。近くの川で溺れたの……。発見されたときには、水の底に沈んでいて……」

 ランチが運ばれてきた。女はナイフとフォークを手にしながらも、その奇怪な話を止めなかった。
「でも、その時の記憶って、ぜんぜん、残ってないのよね。。姉がどんな顔で、どんな性格だったとかも」
「幼すぎて、覚えていなかったんだろう?」
 七瀬が無難にまとめる。
「その姉きの、片割れとやらが生きていれば、双子の美人モデルってことで、今ごろ評判とれたかも」
 小田嶋が追いかけるように言って、引きつりぎみの笑顔を見せる。
モデルの声が気になるのか、背中合わせに座っている林田が、さっきから何度も後ろを振り返っている。

 歳のわりには低くて抑揚のないモデルの声は、テープレコーダーから流れてくるようで感情の起伏が読めない。室温が高いため、冷水入りのコップが汗をかいて厚紙のコースターが緩んでくる。脂で白く濁った冷水を飲みほしたマネージャーが、カチカチという耳障りな音をまき散らしながら肉料理を切り分けはじめる。

「そうね、七瀬さんがいうように、私、幼すぎたのね。悲しかった記憶が飛んでるの。でも、私の半分がこの世からなくなってしまったから、とても軽くなれたのよ」
 女の目は虚ろな、それでいて何かをはっきりと凝視しているような光を帯びている。
「でも、モデルの仕事をやりだしてから、ときどき私に近づいてくる、女の影のようなものに気づくようになったの」
 こいつは、白痴か?
そう思ったと瞬間、テーブルの下で小田嶋のつま先が七瀬の踵を小突く。七瀬も軽く小突き返した。

 林田たちの席には、食後のコーヒーが点々と染みが飛び散ったランチョンマットの上に運ばれていたが、七瀬たちの席ではまだモデルのおしゃべりが続いている。時折、思い出したように口元に運ばれる肉片が女の食道を通る時、小さな喉ぼとけがその在りかを示した。
「ねえ、こんどは私が質問する番でしょう?」
 モデルの女は、まだ日が浅い広告業界のことを知りたがった。店内が混み始め、とっくに食事を終えていた林田たちが見かねたように椅子から立ち上がった。

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