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百合樹 第三章綺麗なことすら言えないなら ④ 別際

第三章
綺麗なことすら言えないなら

いつのまにか、他のことには目もくれないほど、熱中するものを見つけてしまったりする。
最初は、一点だけだったはずが、次第に大きく広がって収拾がつかなくなる。
そんな風にして、大きくなった全てを抱えていたいと思うのは強欲なのだろうか。


別際

新幹線乗り場、改札付近。

今日という一日に満足し、最後まで楽しそうな表情のまま手を振っている。
まず、『今日は本当にお疲れ様でした。』
と、彼女に労いの言葉をかけたい。

会って早々に六時間近く、よく知らない男が隣でベラベラと喋り倒している。
わけもなく会場付近を歩かされた後に、やっと本命であるライブを見る。
ライブではきっとかなりの体力を消費しただろう。
そして、終わったと思ったらまたこの男である。
人によっては、楽しみを完全に奪われかねない、地獄のようなこのスケジュールを最後まで笑顔でこなしてくれたのだ。
感謝しかない。

改札に着く前、地元で行われる次のライブにも行きたいねという話をして、私は、次があることに心底喜んだ。
脳内ではガッツポーズの応酬、お祝いのパレード、何十人もの屈強な男が神輿を担ぎ、綺麗なお姉さん達がサンバを踊る。
要は、お祭り状態なのだ。
そんな状態で別れを告げた私の顔はどんなだったろうか。
他人に見せられるような顔をしていたか。
顔中の筋肉が緩みきり、口角が異様に引き攣ったりしていなかっただろうか。

とにかく夢見心地でバスに乗り込む。
疲れていたのだろう。
そのまま、夢も見ないで泥のように眠った。

私は、三度日常に帰ってきた。
しかし、今回ばかりは、あの日見た彼らのおかげだろう。
何の変哲もないただの一日なのに、前にも増して心躍るのを感じた。
ただ、まあ、あいも変わらず電車の旅に出かけているわけで。

何の気なしに大きな流れの中に入っていく。
あの日とは違って、流れるというより渦巻くに近い状態である。
一度波から解放され、また人に流れて波に揉まれる。
二度目でひとしお揉まれてから、三度目に向かう途中であの背中を見つける。
(先に少し触れたが、実は、この二度目で彼女と同じ波に乗れているかどうかが大事だったのだ。)
そして、今現れたその女性に近づき、声をかける。二人でたわいもない会話をしながら三度目の波をやり過ごす。
そして、歩きながら他愛のない時間を過ごす。
教室に入ったところで、またねと言って二人は別れる。

この時、彼女が振る小さな手を、私は見逃さなかった。
心の中で大きくなっていくそれが、溢れる際まできてしまった。

教室、窓の外、入道雲。

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