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百合樹 第二章誰かにとって、たかがそれくらいの ① 帰路

第二章
誰かにとって、たかがそれくらいの

時間は全ての人に平等に与えられるものなのだ。
だがしかし、妙に短く感じてしまうあの瞬間はなんなのだろうか。
本当に時間が早く進んでいるのだろうか。
はたまた、思考が時間に追いつくまいとしているのだろうか。


帰路

私と友人は、二週間ほどの非日常の中で、異国の人と交流したり、世代の一回りも違う友人が出来たりした。(一回りの定義はわからないが、父程の年齢だったと思う。)
なかなかに充実した非日常生活を送った気がする。

もちろん、今回の旅の目的である免許の取得も順調に歩みを進め、地元に帰ってからの筆記試験を残すのみとなった。
問題があったと強いて言うのであれば、一般道で法定速度を二〇キロ以上も超過してしまい、教官に怒られたことぐらいである。
この先どうなることかと肝を冷やした。
(思えば、その失敗のおかげで、今は嫌に慎重な運転ができているのではないだろうか。)

私は、非日常として過ごした二週間を、終えてみればあっという間な時間だったと感じながら、徐々に近づく日常に大きな期待と多少の憂鬱を抱え、帰りのバスに揺られている。
何はともあれ、この旅で下手に退屈な思いをすることがなかったのも、人数倍楽しめたのも、ひとえに、横ですやすやと眠る彼のおかげだろう。
感謝している。

私は、地元に戻ってすぐ、少し空しい思いに駆られた。
帰ってきた日常は、以前にも増して退屈なものになってしまったのではないだろうか。
というのも、私は未だ、学生生活の醍醐味である長期休暇の真最中、日常とも非日常とも言い難い曖昧な場所にいたからである。

異国の人に会うこともなければ、歳の離れた友人と話すこともない。
自宅をくまなく警備する間、人間観察が出来る場面がやってくることもなければ、新手の侵入者に出会すこともない。目にする他人といえば、画面の中で戯けている芸能人ぐらいだろう。
楽しかった旅とのあまりの落差に、退屈を感じずにはいられないのだ。

私が、あの非日常の終わりがけ、早く来ないかとさえ願った日常は、家の中のどこにも広がっていない。

あの時に胸躍らせた日常へ、帰ることができるまでのその間、近所のコンビニから自宅という、短くて、何も起こらない退屈な帰り道を、週間少年誌片手に二、三度は歩いただろうか。

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