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百合樹 最終章漠然とした、未来の中に ① 存在

最終章
漠然とした、未来の中に

相手が選んだ答えは、時に自分に極限の選択を迫ってくる。
厄介なことに、ぶつけられる問いには選択肢を与えられていないのだ。
選択肢を得ない選択問題。
答え合わせの時にはすでに、解き直しも利かないらしい。


存在

私は、冷蔵庫の奥底に眠ったまま、とっくの昔に保存期間を過ぎてしまったカキ氷シロップを見つけ、自分がどこか大人になってしまった気がしている。

何も単純に月日が経ったことにそれを感じたわけではない。
昔は、その季節が来ると、次季を待たずして使い果たされたはずのシロップが、幾度も回り来る出番を超えて、今もなおそこに在り続けることにそれを感じたのだ。
かき氷に興奮することも減ってしまった。
私は、贅沢にバニラアイスを溶かしている。
もちろん、それはそれで幸せであることに何も変わりない。贅沢による幸せを覚えてしまっただけのことであり、それも真っ当な成長なのだ。

変わりないと言えば、まったく目の前のこの男には油断も隙もあったものではない。
気付けば、うちのソファに座っている。
血の繋がる家族四人以外の人間で、唯一インターホンを押すことを免除されているのがこの男である。
何も正式に許可を出したわけではないのだが、彼が家に入ってくる時には、ただいまとおかえりの応対が何の違和感もなく行われたりする。

彼との付き合いと言えば、始まりは小学生の頃になるのだが、中学の頃に一段と距離を縮めたような気がしている。
その頃に縮まった距離が、今もなお変わらないままでいるといった具合なのだ。
小学校や中学校の頃に一緒に過ごした人達と少しずつ距離が離れていったことを思えば、体感で言うとむしろ、彼との距離は近づいたようにも感じる。

私たちの過ごし方と言えば、特に何をしようというわけではない。
ゲームをしたり、だらだらと話をしたりして時間を贅沢に浪費している。
ひどい時には、彼がわざわざうちに来てから、二人揃って昼寝をするだけの日だってあるのだ。
何かを目的に過ごすでもなく、お互いに何かを提案しようというものでもないのだから、見方によれば無駄な時間もいいところである。

しかし、私は、
『こんな浪費感覚を互いに苦に思っていない』
ということに何よりの心地よさがあると感じている。
(当人に聞いた訳ではないので、互いにというのはあくまで想像の範疇を出ない。)
かなり親しくなった友人や恋人にですら、何かと気を遣いがちな私にとって、遠慮を取って捨てたような彼との時間は、どこまでも貴重なものだ。

私のテリトリーを簡単に壊してくれるくせに、彼はそこに自分のテリトリーを作ろうとはしない。
身体こそ大きくなってしまったものの、二人ですることと言えば、社会人を目前に控えているとは思えないほどに幼少期と変わらない。
(ちなみに私は彼より一足先に社会人となっている。)

揃いも揃ってこんな風に時間を重ねてきたからこそ気付きにくくはあるのだけども、相変わらず、私の気付かぬ間に彼がそこに存ること、そして、変わらぬままの歪な空間が在ることはどこまでも貴重で尊いものである気がしている。

きっと世間的にも、そう厖大にあるものじゃあないはずだ。

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