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いつかの夜… "遺伝"


遺伝


寝巻きが長袖だったか、半袖だったのか
そんなことも思い出せない夜。

母は、ビールを飲みながら私に言った。
『あなたには、祖母の良いところが上手く隔世遺伝したみたいでよかったわ。』
平常時に至って彼女は、悲観的な発言をあまりしない人だが、お酒が深く入った夜には自己肯定感を少し欠く節があるようだ。

隔世遺伝。
個体のもつ遺伝形質が、親の世代には発現せず、祖父母やそれ以前の世代から世代を飛ばして遺伝しているように見える遺伝現象のことである。

婆ちゃん。
祖母(私から見て母親の母親)は、昔から勤勉に物事を学習した女性らしい。日々机に向かって努力をし、家事をしっかりこなす。
炊事、洗濯、風呂掃除までも。
何をやってもお手のもの。ちなみに祖母は全盲でそれをやって退けるから驚きなのだ。
何事もきちきちと済ませるたちであって、かく言う母は、そんな祖母を尊敬しているといつも口にしていた。
真剣な顔で。

思えば、父も同じようなことを私によく話していた気がする。
『お前は爺ちゃんの良いところをもらったらしい。素晴らしいことだ』

爺ちゃん。
いわゆる祖父(私から見て父親の父親)は、自営業である工務店を、一代で形にして、身体に負担をかけながら大いに働いた勤勉な男だったらしい。
それでいて親分気質な彼は、作業員や同業者の皆から慕われ、人望厚い人だったのだ。
そんな祖父の話を父は熱く語るのだ。
真剣な目をして。

自分の母を、尊敬できる人だと真剣な顔で言える人間がどれほどいるのだろうか。
自分の父を、偉大な人だと真剣な目をして語れる人間がどれほどいるのだろうか。
もちろん、環境は大切だ。
母とは言え、父とは言え、ひとりの人間なのだから、十人十色、なにも親を尊敬できることがいいことだと思わない人だっているだろう。

親がたまたま身近な大人、身近な人間であるというだけで、実の所、対象は誰だっていいのだ。
そばに居る人、そばに居てくれる人を敬い、信頼して、その事実を他人に真剣に伝えられることこそが素晴らしいのだ。その姿勢、その姿がカッコいいのではないか。
『母よ、父よ、尊敬している。信頼している。心から。』

これは、誰もがそう思えるようで思えないのだ。
思ったところで、簡単に、口に出せそうで出せないものなのだ。
真剣にその姿勢を取ることは、当然のようにできたものではない。


私は、そんな当たり前のようで、当たり前ではない感覚を持った二人から生まれたのだ。
二人は隔世遺伝と言ったが、大きな勘違いをしているらしい。
私は、間違いなく二人の血を引いている。
紛れもなく二人から生まれた子供なのだ。
きちんと遺伝しているではないか。

私は、二人を心から尊敬している。

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