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百合樹 最終章漠然とした、未来の中に ③ 生活

最終章
漠然とした、未来の中に

相手が選んだ答えは、時に自分に極限の選択を迫ってくる。
厄介なことに、ぶつけられる問いには選択肢を与えられていないのだ。
選択肢を得ない選択問題。
答え合わせの時にはすでに、解き直しも利かないらしい。


生活

食欲の秋、味覚の代表格と言えば秋刀魚であるが、それらを生で食べることは滅多にない。

旬の魚と聞けば、その種の脂が一番乗った美味しいタイミングなわけだが、秋刀魚本来の味を楽しむため、活け作りとすることには大きなリスクを孕んでいるらしい。
アニサキス。
美味しい脂をこれでもかと体にぎっしり抱えているにも関わらず、一つ欠点を持った秋刀魚は新鮮な刺身になり得ないのだ。
まあ、はなから食べられてしまうつもりで生きていない秋刀魚からすれば、土台迷惑な話だ。

再び話題は秋に返る。
我々日本人、秋の夜長を楽しむとはよく言ったもので、実に陽も早く落ち始め、夜が段々と長くなっていくのを日々体感し得る季節である。
もちろん、夜はこうして物理的に長くなっていくのだが、なぜか物思いに耽るタイミングが増え、時間を妙に長く感じたりしないだろうか。
時間はいつもと変わらない早さで進んでいるはずなのに、頭の中の世界がものすごい勢いで広がって、そこに没入していくものだから、感覚的にも夜が数倍近く長いものに感じる。
この思考の最後には、決まってセンチメンタルになってしまうのだ。

この頃は、そんな風に現実と想像を半々ぐらいで行き来しながら、なんとなく日々を過ごしているわけだが、ふいに、こんな暮らしの尊さに気づいたり、その危うさに不安を覚えたりすることがある。
目の前に置いてあるお酒は、いつのまにか飲めるようになった。
毎日のように同じ時間を過ごした友人は、いつのまにか会わなくなったし、あの頃響いたラブソング達は、いつのまにか耳元で鳴らなくなった。
どの日々も忘れてしまったわけではないのだ。
ないのだけども、今ある目の前の不安や期待、湧いて出る後悔に飲み込まれてしまう。

あの瞬間、私にはどんな不安がよぎっていたのだろうか。
あの時、私は彼女に何を期待していたのだろうか、あの選択は正しかったのだろうか。
今この瞬間、私は何を抱えているだろうか。
明日になったとき、何を失うのだろうか。

長い夜の間、こんな思考の終わりがけ、過去の自分を振り返っても決して何かが変わることはない。
そんな風に戻り難くなってしまった日々が私にもあったこと、そこに愛しさと哀愁を感じ、その上で、それでも尚大切な人を想える今日があったことにどこまでも幸せを感じて眠るのだ。

何があるわけでもない、ただ、何もなくなった訳ではない。
全部を飲み込みながら漠然と流れる。
そんな日々の中にいるのだ。
生きているのか、私は活きているのか。
生かされているのか、私は活かされているのか。

静かで暗い部屋の真ん中、日々の愛情と哀愁と葛藤を糧にして動く私の心臓は、止まることなく音を響かせている。

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