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百合樹 第五章まあこんなもんだ、これでいいんだ ④ 隙間

第五章
まあこんなもんだ、これでいいんだ

相手と対峙するとき、相手がなにを考えているのか、私をどう思っているのか。
時として、相手の持っているものが全くわからないことがある。
目に見えないそれは、一体どこに存在するのだろうか。
互いの手の内ではない、二人の間、ひとりとひとりの隙間には一体何があるのだろうか。


隙間

これはどうにかならないものか、またしても狭い空間に潜っては、頭を打ちながら這い出てくる。

執拗に私の資料や文具を吸い込んでいくこの空間。
机と私の間。
このわずかなスペースには何か物取りでも住んでいるというのだろうか。
机上には、大量の資料や参考書、勉強道具やらが積まれている。
下手に身動きを取ろうものなら、何かが吸い込まれ、それを拾い出すなんてことを繰り返している。

どうやら、そろそろ将来に向けて本腰を入れなければいけない時が来たらしく、黙々と参考書を相手ににらめっこする日々が始まっているのだ。
私は、大学に通い始めてから三度目の春休みを迎えている。
毎日顔を突き合わせていた人達と会う機会は、ほとんど無くなってしまった。
もちろん、大切な彼女も例外ではない。

近頃というもの、ただでさえ顔を合わせない時の連絡は疎であったが、顔すら合わせないとなれば、ますます彼女が遠のいてしまった気がしてならない。
そんなことを危惧しながらも、週に一度ぐらいは研究室で会えるものだと高を括っていた私だが、未曾有の事態にそれすらも叶わないという辛い現実を突きつけられた。
外出の禁止。
世間に猛威を振るい始めた某生物兵器により、人と会うことを余儀なく制限されてしまったのである。
ますますにして、彼女が今何をして、何を考えているのか見えなくなっていったのは言うまでもない。

私は、気を紛らわすように目標達成を盾にして机と向き合う時間を増やした。
分からないものを考えても仕方ないこととして、少し考えれば答えの出てくる目の前の問題と向き合うことに注力したのだ。
(とはいえ、実際のところ目標達成のためには、他に目もくれず勉強しなければいけなかっただろう。)
未曾有の事態が、彼女と私を必要以上に疎遠にしたこと、学習の時間をこれでもかと確保してくれたことを踏まえれば、今回の一件は私にプラスに働いていたのではないかと考えている。
こんなことを言えば、最前線で戦っている人や巻き込まれた人達に恨まれるかもしれないが、不幸中の幸いであった。

机に向かっていない時間、勉強の合間は図らずも彼女のことを考えるばかりだったのだが、この時、少しずつ分かり始めたことがある。
私と彼女の間には何があるのか。
何をもってして、ひとりとひとりがつながっているのか、その答えである。

今、連絡も疎になり、会う機会もないのだが、それでもひとりとひとりを今もなお繋いでいるものは何なのか。
憎悪ではないし、同情でもないのだろう。
もちろん、それらは少なからずあるのだろうが、それが全てではない。
きっと、そこにはどれだけかは分からないが、必ずあるはずなのだ。
何よりも温かく、大切に他ならないものがあるのだ。
『愛情が、あるのだ。』

二人を繋いでるもの、関係を成り立たせているものこそ、ひとりとひとりの間を取り持つ愛情なのではないだろうか。
彼女は無理に隙間の向こうに投げてきてはくれないが、互いの間にそれを置いてくれているのではないか。
それは、隙間の奥深くで見えにくいかもしれないのだが、確かにそこにあるのだ。
そう考えたとき、彼女に向かって手を伸ばし続けたいと、隙間の愛情を絶やしたくないと思えたのである。
相手ばかり、自分の境遇ばかり見ていた私は、相手と自分の間を見てみることにした。
『関係を壊さないこと』
それだけであり、そんなものなのだ。

関係とはこんなもんなのだ、これでいい。
隙間に愛がない訳じゃない。

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