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百合樹 あとがき 後書

あとがき
後書

この百合樹をどれだけの人が一読下さったのかわからないのだが、まず、『後書』を読んでいただく前に書かなければならない。
このnoteに投稿している文章は、日々つらつらと書き続けたのではなく、過去に時間をかけて書いた文章を分割、再編したものなのだ。
これから読んでいただくあとがきも、作品のようなものとして読んでもらいたい。


後書

私の中で、どうにも折り合いがつかずに靄ついていた心境を、一度文章に書き起こして整理してみようと試みたのが『百合樹』の始まりである。

ここまで、日記なのか、自叙伝なのか、はたまた、恋愛小説なのか。
そしてフィクションなのか、ノンフィクションなのかもよく分からないような拙い文章を読んでくださったあなたなら、きっと私が何に心を悩ませていたのかはお察しのことだろう。

文章を書き始めた頃の私は、すでに最終章の冒頭あたりにいただろうか。
そう聞けば、こんなわけのわからない文章を書き始めたのも、なんとなく頷けるのではないか。
書き始めた当初、この物語に登場する”私”の結末には、まったく違うものを想定していた。

『悩んで悩んで、彼女といることを選んだ私は、今後も変わらず、その選択をし続けていくのだろう。その選択が正しかったのか、間違っていたのかは、今の誰にも分かり得ない。この先の現実と向き合って、自分の目で確かめていくほかないのである。』

と書き終える予定だったのだ。
なんとも抽象的で、結末のない物語なのだと思っていたが、それはそれでよい。
私の心境を整理するためだけの文章であり、筆者である私自身の心の整理は書き始めて間もなく終え、起こりうる現実と向き合っていくだけだったのだ。

ところが、現実は思わぬ方向に転がっていった。
ちまちまと文章を書いている間に、月日は流れ、筆者である私の頭を悩ませていた女性は、私の中から居なくなってしまったではないか。
二人を書くために物語を始めたが、文章の完成より先に現実世界が結末を迎え、一人になったのだ。
私と彼女が"二人"だった最後の日、カフェから新幹線の改札口までを歩く間に、この文章の存在を彼女に明かした。
物語は完結してしまったなんて言いながら、すぐに別の話題に切り替わったのだが、別れ際も近くなったところで、彼女は不意に、私に向けて思わぬ言葉をかけた。

『スピンオフを書けるようになれたらいいなって思ってるよ。』

表情は見えなかった。
ただ、私は、彼女の意図を汲み取ることやこの言葉への返事を考えるよりも先に、この言葉に感動してしまった。
危うく、感極まって泣いてしまうところだったのだ。
なぜ感動しているのか、この言葉のどこがそんなに刺さったのか。
この感性は他人にはよくわかってもらえないだろうが(自分でもあまりよく理解していないが)、彼女はやっぱり最高で、私の見立て通り、魅力的だったと思わされたのだ。

少し落ち着いて考えて、本編でもっと続きを書かせてくれればよかったじゃないかとか、その言葉の真意に彼女の離れ難さが含まれているんじゃないかとか、色んなことを考えたが、この言葉を残した彼女は最後に笑っていたし、やはり素敵な人であった。

いつか、私と彼女のスピンオフのような場面が来るかもしれないし、全く違う相手を題材に物語が始まるかもしれない。
もしかすると、ここで終わったのが第一幕で、また登場人物の変わらない本編第二幕が始まるのかもしれない。
なんやかんやと書き連ねてきたが、やはり、この先は誰にも予想し得ないのである。

最後に、ここまで文章を書くにあたって、表現、言葉、感情、思考など、あらゆるものを勝手に拝借させて頂きました"SUPER BEAVER"の皆様方には大変感謝しております。
本当にありがとうございます。
たくさんの大切を教えていただき、今もなお変わらず大切です。

私は、今この瞬間、この先に何が待っているのかわからないからこそ、できる限りたくさんのシアワセに触れられるように生きていたい。

形も色も大きさも変えてしまって、見えにくくなるのだけども、それでも、本質として大切に変わりないもの。

"シアワセ"

そんなシアワセに、敏感な人間でありたい。

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