百合樹 第五章まあこんなもんだ、これでいいんだ ② 火煙
第五章
まあこんなもんだ、これでいいんだ
相手と対峙するとき、相手がなにを考えているのか、私をどう思っているのか。
時として、相手の持っているものが全くわからないことがある。
目に見えないそれは、一体どこに存在するのだろうか。
互いの手の内ではない、二人の間、ひとりとひとりの隙間には一体何があるのだろうか。
火煙
火を起こすのは割と難しい。
煙は出るのだが、どうにも炎をあげてくれない。
燻る火種に何度人工呼吸を施しただろうか。
今ここは、日本海と陸地の境界、灯台下のコンクリートの上、福井県は三国港の波打ち際である。
なぜこんなところにいるのか、説明しろと言われれば難しいのだが、華奢な愛煙家と二人、何か刺激的なことをしようと言っていた先で、いつの間にか、ナイフと飯盒、ファイヤースターターを手に日本海に繰り出していた。
別に、海で泳いだりだとか、美味しい海の幸を食べたりだとか、そんなことではなく、ただただ三日間、水と食料を自力で確保して、最低限のツールで生きてみようという、ちょっとした挑戦である。
現地に着き、流れてくる漂流物から水を得るための装置を作るのだが、得られるのは数時間かけて数十ミリ。
海辺に置かれては、目の前にこれだけの海水があるにも関わらず、飲料水を得ることがここまで難しいとは想像もしていなかった。
(初日にしてすでに、家の蛇口に恋しさを覚えてしまった。水道業者さんいつもありがとう。)
事前に山も調査した私たちに言わせれば、こと山の方が飲み水に恵まれているのではないかと感じずにはいられない。
食料は近くにいる貝を取って食べる。
基本の食事がこれだ。
ニ種類ほどの食べられる貝を焼いてみたり、茹でてみたりしたのだが、何より美味かったのは、それを海水で大量に茹でた後に残る出汁なのだ。
海水で程よく残る塩気と、これでもかと貝の成分が溶け出したそれは、今まで飲んだどんな汁物をも凌駕する美味さである。
(現に、それ以降今の今まで、あれを超える汁物には出会っていない。)
二日目、釣り餌は持参してはいなかったが、魚を釣ろうということになり、食べていた貝を餌に糸を垂らしてみたりした。
私は、漂流物の木材からまな板や箸などを作り、火起こしもそれなりにスムーズに出来る様になってきて、一日中ナイフを使った作業に明け暮れた。
あっという間に日没、何事も試してみるものだ。
その晩に魚が釣れた。
興奮冷めやらぬまま、深夜に二人で魚を焼く、めちゃくちゃ美味い、海の幸のなんたるかを小さな魚一匹から存分に堪能することができた。
夜は、地面に寝転がって空を見る。
柔らかくて少しあたたかい芝生とは違い、硬いコンクリートの上ではなかなか寝付けない。
そんなことを考えながら、ふと彼女と寝転ぶ芝生を思い出している。
なにをしているだろうか。
最近は、心なしか連絡を取る機会が減っている。
多分、彼女は意図的に減らしているのだろう。
送る文章は一読しているようだが、返事はない。
割に、他の人とあっては楽しそうに出かけているようだ。
疲労と深夜のせいだろうか、何故だかマイナスな思考がぐるぐると渦巻いている。
いや、これは本当に疲労やメンタルの問題なのだろうか。
実際に連絡の数は減っているわけで、私への感心は薄れているというのもあながち間違いではない気がする。なんなら私以外の、楽しそうに出かけているその人の方が…。
さっきからずっと目頭に煙たさを感じて仕方ない。
近くで起こした火が消えていなかったのだろうか。
何はともあれ、火種のないところから煙が流れてくるはずはないのだ。
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