2023年度東大編入体験記
松江高専の藤原です.この度,2023年度東京大学編入試験に合格したので体験記を書こうと思います.
初めに書いておきますが,僕は天才タイプではなく壊滅的に地頭が悪いです.
きっかけ
高専1年の頃に4つ上の先輩がクラスに東大編入について話しに来られ,「高専から東大いけるんだ~,かっけ~」って思ったのが最初のきっかけでした(4年の最後らへんまで勉強することはなかったですが).6年前から毎年東大編入する人が1人ずつ出ていたので,僕もその流れに乗っかろうと思いました.
物理がそこそこ好きだったので初めは計数工学科を受けたいと考えていましたが,勉強し始めるのが遅すぎたので物理なしの2教科で受けられるシステム創成学科に変えました.
僕が東大編入を目指したのは,「一番になりたいから」「モテそうだから」「とりあえず東大入れば将来めちゃくちゃ努力しなくても結構いい給料もらえそう」「東大生の肩書きをもって遊びたい」とかいうカスみたいな不純な理由からです.しかし,システム創成学科について調べたらちゃんと大学で頑張ろうと改心できました.
スペック
席次(情報工学科内)
1年:4位
2年:1位
3年:2位
4年:1位
5年:今のところ1位
TOEIC
3年の最後らへんか4年の前期のどっちかに学校でうけたやつ:540
4年9月:680
4年11月:680
4年1月:785
4年3月:890(提出)
小・中学生時代
小学校の時は,漢字テストで再テストになったり,都道府県テストを番号(配られたプリントで都道府県にふられてるやつ)で覚えて一時しのぎするなど普通にあほでした.6年間で読破した本も『ホームレス中学生』ただ一冊で,これから本体験記を読んでもらえば僕の語彙力,文才の無さに驚くと思います.
中学校では,基本的にずっと部活でサッカーをしていて,部活が休みの日は遊んでいたので全く勉強していませんでした.ただ,この部活のおかげで努力できる能力と強靭なメンタルを手にし,編入勉強で役立ちました(これでかいです).
僕は器用貧乏な感じなのでそこそこ勉強はできました.
1年
前期はロシアW杯があったのでテスト勉強していませんでした(最近,大会屈指の名試合:スペイン対ポルトガルの録画が消えていることに気づき,あの試合がもう一生見れないという現実に大号泣しました).また,高専がどういうものかよくわからず入ってきた僕は,専門科目が中学校における保健や家庭科の位置づけだと勘違いしたためにノー勉で60点とか取ってました.
後期に転機が起こりました.高専でもサッカー部に入ったのですが,どうしても楽しむことができなかったので退部し,友人たちとクイズ研究会を創設しました.やはりクイズは頭のいい人が強く,社会の問題がよく出るということでテスト勉強を頑張るようになりました.テスト期間はそれまで避けてきた社会をゴリゴリに勉強して,朝まで保健体育の勉強をすることもありました.それでも2位までしか取れませんでした.そのとき1位だったやつはクイズを一緒にやっていた友人で,結局大阪大学に合格しました(そいつが東大受けてても多分受かってたのでライバルが増えるところでした.あぶねー).
たしかこの頃から高専から東大編入をした人の体験記がまとめてある「小山太郎流」のサイトを見ていた気がします.
2年
特に言うことなし.定期試験とクイズだけがんばってました.
春休みに青春18きっぷで5日間の旅を友人としたのですが,そのときに東大受験生御用達英単語帳『鉄壁』を持っていた記憶があるので,そこらへんの時期に同単語帳のセクション15くらいまで目を通していました(次に読むのが4年生になるとは...).たぶんこれは結構よかったことです.
3年
コロナタイム突入しました.前期はリモート授業だったので,この世の終わりみたいな生活をしていました.
後期は普通に学校に通えるようになりましたが,レポートが大変だったりクイズをめちゃめちゃやっていたので,定期試験以外の勉強は一切やっていませんでした,というよりやろうとも思っていませんでした.この頃は,高校生クイズで全国ベスト9,クイズの団体戦で全国3位などなど,我ながら輝かしい成績を収めました.前期のリモート授業のせいで鬱になりかけていたのも相まってかテスト勉強をする習慣が抜けてしまいました.
毎年冬に松江高専で行われている編入報告会的なやつに初めて行きました.そこで東大受験を決意しました.この決意の段階で勉強を始められていればどれだけ良かったことか.
4年前期
ここからクイズを全くやらない生活が始まりました.だからといって僕はそのタイミングで勉強を始められる人間ではないので遊び呆けました,完全にあほです.4年前期はとにかくずっと遊んでました.何をしていたのかあまり覚えてませんが遊んでました.
たしかこの頃か3年の後期辺りで編入試験勉強をする人が出てきました,それも同じ学科に.「俺もやらんとやべえなー」と思ってはいたもののできませんでした.
4年夏休み
初めて自主的にTOEICを受けたのがこの夏休みです.
クイズをしていない,かつ4年生にもかかわらず老害3人衆で高校生クイズに出場し,全国の初戦で負けました(僕がピースしたのがTwitterで騒がれたのが恥ずかしくて放送見てませんが).
9月の初めのほうに何故か1週間のインターンシップをぶち込んでいたり(口座を書くの忘れて1万円もらい忘れた),9月末の初めてのTOEICが待ち構えていて焦燥感に駆られている中,彼女にフラれてメンタルが終わりました.そこからよくわかんない生活を送っていました.当初は1か月は勉強すると決めていたTOEICも結局直前1週間ほどの勉強しかできず680点でした.
4年後期
ここまでで4年前期,4年夏休みと分割してきているということは,流れ的に後期すぐに勉強を始めたのかと思うかもしれませんが残念,年を越すまで勉強をしていませんでした.言い換えれば,1月からは勉強を始めました.
言い忘れていましたが,夏休みに東大の過去問1年分(数学)の微分方程式,線形代数のみ(確率と複素関数論は全く知らなかったのでやらなかった)を解き,夏休み明けに先生に採点してもらいました.2つとも全て解けたので満足してしまいました.ただ,後で気づいたのですがその年はただでさえ簡単めな年で特にその2つの分野は簡単でした.
1月から勉強を始めたわけですが,それは友人にスタプラを入れろと言われたのがきっかけです.言われた通りスタプラを入れ,全国の東大編入志望生を探したらわんさかでてくるわ,そいつらずーーっと前から勉強してるわで焦りました.さすがにこれはまずいと思い勉強を始めました.英語はとりあえずTOEICをやればいいと分かっていましたが,数学は何をやればいいかわからなかったので友人に聞いたら『大学編入のための数学問題集』からやればいいと言われたのでそうしました(別の友人はこれをなぜか”みんなの数学”と呼んでいます,それくらいそいつにとってフレンドリーな本なのでしょう).1,2月は期末テストとかで忙しかったのであまり勉強できませんでしたが,テスト勉強もかなり削って編入勉強をしました.この本の良くないところは特徴的な色が使われていない,かつ名前がコンパクトじゃないので,いつもこの本のことを話すときに「あのー最初の本,グレーっぽいやつ」としか言えないことですね.TOEICはおもんないので勉強していませんでした.
4年春休み
ついに来ました春休み.ここで僕は他の受験生との差を大きく縮めました.「春休みを制す者は編入を制す」,僕の格言です.
「まあ一日10時間はマストだよな」ということでそれくらいの勉強をしていました.春休みに入ってたくさんの参考書に手を出しましたが,詳細は「小山太郎流」の方に載せようと思います.どの時期にどの参考書をやっていたかも「小山太郎流」で書きます.
スタプラでめちゃくちゃ前から記録している人達が落ちるビジョンが見えなく,東大はそこまで倍率が高くないことを考慮すると,スタプラで自分よりちょっとはやく勉強し始めた(それでも数か月の差でしたが)人たちに打ち勝つことで合格まで持っていけそうだなと感じました.幸い,高専生は英語を忌み嫌っている人が一定数いるのに対して僕は英語がそこそこ好きだった(英語の先生に好かれる傾向にあったので授業が楽しかった)のでワンチャンいけそうだなと思いました.それと僕は自分が"本番激よわ人間"であることが分かっていたので余裕合格圏内まで持っていく必要がありました.
1月のTOEICで785点を取っており,筑波大学に出願するにしても満点なので絶対勉強しなくてよかったのですが,僕は生粋のあほなので1か月くらいの毎日のシャドーイングとpart5の強化をしていました(僕は昔からリビングで勉強していたのでシャドーイングすると親がキレてました).その結果890点という絶対に必要のない点数を取ることができました.しかし,part5の勉強のおかげで構文を取る練習になったり,英語への見方がかなり変わりました(英語が嫌いだったわけではない).
数学は全部の勉強を10とすると,4つの分野で4-3-2-1の割合で勉強するようにしていて僕はこれを「ACミランスタイル」と呼んでいましたが,今調べたらACミランは4-2-3-1でした.
数学の過去問は大体平均すると7割くらいで6割を切ることはなかったと思います.
春休みの途中からさすがに勉強時間が減りましたが,それでも8,9時間はやっていたはずです.
僕はTwitterやInstagramの禁止をしなかったのと同様にYouTubeも禁止しなかったので娯楽はYouTubeになっていて,寝る前は英語とYouTubeという生活をしていました.
5年
卒研以外の授業を2つしか取らなかったにもかかわらずあまり勉強しないようになりました.ただ春休みの後半までTOEICをやっていたせいで英語の勉強をほとんどできていなかったので英語を頑張りました.英語の過去問を一回も解いたことがなかったので初めて解いて先生に添削をお願いしました.まじで英語の勉強が足りてないと思っていましたが,意外と取れてそうだったので少し安心しました.そこから毎週2人の先生に添削をお願いしました.本当に大変だったと思います.感謝してもしきれません.
毎週日曜にドラマの『マイファミリー』を観ながら「こんなんで大丈夫かな」と思っていました.それでも気になって全話観ましたが.
5月の途中は筑波大学の勉強を主にやっていました.僕はプログラミングが苦手なので学校のある日は毎日放課後にプログラミングの勉強をしました.しかし,「どうせ筑波は勉強しても順当に落ちるから,それなら東大の合格率上げたほうがいいな」と考え,筑波大学の勉強を完全に捨てて東大一本槍でいくことにしました.
6月は危機を感じつつも自分にストレスを与えない勉強ばかりしていました.今思い返してみれば受験直前期は異常にSaucy Dogの「真昼の月」を聞いていた気がするので,不安になっていたのだと思います.10日ほど前に徳島大学の受験があり息抜きをすることができました.この徳島大学の試験で集合時間に遅刻してトイレとか行けなかったので良い教訓になりました.
直近の形式が変わった英語の試験で時間が全然足りないことに気づき,先輩方にアドバイスをもらいました.それから英語の過去問の残りと二週目を超高速でやって試験に身体をならしました.
僕の合格は親の考えのおかげでもあると思うので少し話そうと思います.
僕の親は放任主義(というかただの面倒くさがり)で昔から門限が定められたりすることもありませんでした(ネグレクトとかそういうのではないしご飯も作ってくれます).それが今回の受験にも適用されました.受験料とか参考書代は全部出してくれるけど,どこの大学受けるとかは好きにしろみたいな.そもそも受験とかほとんど知らないような家庭だったので「勉強しなさい」ではなく「勉強せずに遊んだら?」としか言われません.それと日曜のドラマを一緒に観ていたので,必ず日曜にはスイーツを買ってきてくれました.こういうところでストレスをためずに勉強できたのは大きいと思います.
今,久しぶりに緑黄色社会聴いてますが長屋晴子さんってほんとに歌上手いですよね.
東京上陸~受験前日
飛行機が安かったので3日前の早朝に東京に行きました.初日はもう一人東大受けるやつと都立大勢2人と新宿で高くておいしいハンバーガーを食べました.田舎の貧乏飯しか食べてない僕たちは常識がないので,カトラリーと一緒についてきた紙にハンバーガーを入れて食べることに気づかず手で原始人みたいに食べてました.ここが4日間で一番笑ったところです(どんだけおもんない東京旅行やねん).
2日目と3日目はホテル近くの図書館でもう一人の東大うけるやつと朝から勉強していました.ちなみにホテルは機山館です(東大に2番目?に近いとこ).ホテル取ろうと思ったころにはフォーレスト本郷がいっぱいでした.
東京初日から受験日を想定した就寝・起床時間を心掛けました.一番頭が働く朝ごはんを見つけるつもりでしたがギャンブルしたくないので結局コンビニのおにぎりにしました.
前日の夜に一人で湯島天満宮に行き大量に貯めていた5円玉のうちの一枚をお賽銭しました.
試験当日
いつも通り起床し,集合時刻の一時間くらい前にホテルを出たと思います.
無事かなり早めに試験会場についたわけですが,ここで一つ僕の受験メソッドを伝授しようと思います.受験会場では他の受験生があまり読んでなさそうな参考書を読むのがいいと思います.そうすることによって他の受験生を見たときに「ああ今その本やってんだ,俺はとっくにその本完璧にしたわ」と間違った方法ではありますが自分を鼓舞することができます.「この部屋暑いな,冷房効いてから来たかったな」と思いながらだらだらと過ごしました.集合時間の少し前にはトイレに行きましょう,ドキドキするので.集合時間も近くなり受験生がほとんど集まると急に自信が湧いてきて合格を確信しました(後に絶望することになるとは...).
英語
緊張で力んだせいでシャー芯をバッキバキ折ってました,2本消費しました.それと部屋が暑すぎました.冷房が全く効いてなく,汗だらだらで試験を受けました.マスクの中もすごかったので換気しながら英語を読みました.
1.和訳
例年より問題数が少なかったです.宇宙に関する話でした.
(B)の一部で『英文解釈の技術100』に掲載されていた文章がそのままだったのでラッキーでした.何度も言うようですが僕は教養がないのでクイズをやっていなかったらおそらく「ハッブルの法則」を知らず,Hubbleを受け入れるのにプラス20秒くらいかかっていたと思います.和訳はよくできたので8割くらいもらえてるかなと思います.
2.英訳
一文一文がとても短かったです.特に何の話かは意識せずに訳しました.非常に英訳しにくい文章だなという印象でした.6,7割だと思います.
3.長文読解
和訳・英訳を40分弱で解ききることができたので長文はかなり余裕をもって読めるなと思い安心しました.長文は見開きまるまる1ページの超長文でした.時間はあったのでゆっくり読んでいたのですが,和訳・英訳で疲れたのと部屋が暑すぎたのもあってか全く頭に入ってきませんでした(単純に読みづらい文章でもありました).今まで長文読解では英語で答える問題はなかった(とおもう)のですがジャブの感覚で出してきました.最初日本語で書いてしまいました,急に変わったことするのは東大の癖です.なんとなくで書いたところもあったので6~7割.ちなみに45分近くかかってしまいました,危ないですね.残りは和訳・英訳の見直しをしていました.
休憩時間
大きい木の下でしょぼい昼ご飯を食べました.あまり食べすぎると眠くなることは分かっていたので前日にコンビニで買ったスコーンを食べました.英語で確実に及第点は取れていると確信していたので呑気にインスタしてました.数学はそこそこ点を取れる自信があったので「受かりそうだなー」と思いながら過ごしました.
数学
悲しいとしか言えません.むずすぎる.開始10分ほど前に緊急教室移動があったので暑さは取り除けました.開始5分でトイレに行きたくなったので水は必要最低限で済ませましょう.
1.微分方程式
問題用紙開きました,難しそうでした.難しかったです.最初は1問も分からずに10分ほど経過して飛ばしました,やばすぎます.あとで戻ってきましたが最後まで(1)のベルヌーイに気づきませんでした(たぶん「かっこ多いなー」という感想で頭がいっぱいだったから).しかしフィーリングでなんとか解けてました,よかったです.(2)はほとんど解けませんでしたが一応全ての問題に何かしら書きました.(2)の(d)は「x(t)とy(t)のそれぞれの軌跡を描け」的な問題だったのですが,xとyの関係だけは判明していたので問題を間違えたフリをしてその関係の図を描きました.でもこういう足掻きも大切だと思います.
2.確率
小問が7つとかなり多かった印象です.前半部分は簡単だったのですべて解きました.後半2,3問くらいはかなり難しかったと思うのですが,YouTubeのMathematics Monsterで見た難しい問題とかなり似ていたのでなんとかそれっぽい解法とごちゃごちゃすぎる解答を示すことができました.あと2つの大問で完答しないとやばいなーと思いながら進みました.
3.複素関数
(1)が漸化式のような問題でした.ここしばらくの過去問では見ないような問題でしたが,問題自体は難しくなかったので解けました.
(2)はお馴染みの複素積分でした.場合分けが必要だったらしいですが,焦っていた僕はそんなことをガン無視して解きました.その結果,全くお馴染んでないぐちゃぐちゃの答えが出てきてもっと焦りました.
(3)は写像でした.言うことないです.解ける問題を落としました,良くないです.
4.線形代数
変換が出ました,ありえません.東大は固有値らへんの問題しか出さないと思い込んでいたのに開拓してきました.久しぶりの変換の問題との再会に頭真っ白になりました.何も考えられず半分ほど解きましたが(1)で用意した行列で変なミスをしたせいでそれ以降解けませんでした.過程はあってると思うので少しはもらえてると思いますが,答えだけでいうと0割です.
試験終了後,「はやくトイレ行きたいなー」と思いながら部分点込みで何点もらえるか考えてました.その時点では6割あるかないかだと思っていたので英語の点も考慮してボーダーの近くだろうなという感想でした.
試験終了後
保育園の頃からの友人が東京にいるので一緒にご飯を食べた後帰りました.次の週になってもう一人の東大受けたやつ(数学得意)と答え合わせしてたら思わぬところでめちゃくちゃミスをしていることに気づきました.この時点で数学で5割もらえないくらいだと思ったので100パー落ちてると確信しました.
一次試験合格発表までに筑波大学の受験もありましたが,その試験のことを考えると東大の試験を思い出して辛かったです(筑波も奇跡的に合格してました).つくば市が田舎で親近感を覚えたので筑波大学でもいいなーと考えてました.一次試験の合格発表まではずっと来年からのプランを考えてました.「来年はどっかで仮面浪人をして,また東大に落ちたら次は医学部編入をして医者になる(僕は高専に行ってなかったら医者になりたかったです)」という完璧なプランを考えるも,医学部編入では医師国家試験を受けられないという事実が発覚して絶望していました.
一次試験合格発表
受験する前は友人たちと一緒にみる予定でしたが,絶対落ちてると思っていたし学校を休みたかったので一人で見ることにしました.10時前に起きて寝起きで確認すると,まだ発表されていなかったのでYouTubeを1本だけみて10:08に確認しました.落ちているのを確認するつもりで見たつもりが自分の受験番号と思われるものがあったのでびっくりして,のそのそと受験票を確認しに行きました.受かってました,びっくりです.急いで飛行機を取ってから学校に行く準備をしました.祝われるためだけに学校に行きました.一年の時に同じクラスだった女の子に電話越しで「歓喜の歌」の鼻歌を披露してもらったのが一番うれしかったです.東京に向かう前日に1人の先生に面接練習をしてもらいました.
二次試験
前日に1次試験合格者の2人と夜ご飯を食べに行きました.楽しかったです.
二次試験当日はその2人と朝ごはんを食べ,そのあとは6,7人くらいで面接の時間までサイゼリヤで時間を潰していました.スタプラをやっていたことで入学前に多くの人とコンタクトを取れたので合格する自信のある人はスタプラをやることを強くお勧めします(不合格だった場合,たぶん辛いです).
面接後はまたみんなでぶらぶらしました.夜ご飯を食べたときに鮪を読めない人がいて安心しました,みんな常識ないです.
面接内容
・志望理由
「理系科目だけではなく文系科目も学びたい.今はポートフォリオ最適化問題を研究しているからより深く研究したい.」的なことを言いました.
第2志望の社会基盤学科でやりたいことが微塵もなかったのでシステム創成学科だけ言及して第1志望で通るように図りました.
・ポートフォリオ最適化問題ってなに?
「経済の投資に関する最適化問題で~~」.
・動的巡回セールスマン問題ってなに?(志望動機書みたいなやつで言及していたので聞かれた)
普通に説明した後,「研究はしてませんが最適化問題の代表例として挙げさせていただきました」的なことを言って,万が一説明が間違ってた時用に言い訳をしました.
・マネジメントについても学びたいみたいだけどどうやって学ぶつもり?
「コースは違うけどBコースで授業を受けられるからそれで学ぶつもり(志望理由でCコースがいいって言いました).」的なことを言ったら2秒くらい沈黙があったので「さすがに雑すぎたかな」と思い「それとインターンシップもしようと思っています.」と苦し紛れに追加しました.
・最近のニュースで最適化できそうなことある?
びっくりしました,こんな難しい質問が飛んでくるとは思ってませんでした.とりあえずぱっと出てこなかったので「受験勉強してたので有名なニュースしか知らないのですが」と予防線的なものを張ったら「たとえば選挙とか・・・」みたいなことを言われたので「投票率が上がったけど(1週間ほど前に大きな事件がありました)まだまだ低いと思っていて,ドイツでは著名な場所で投票できるようにしたら投票率が上がったらしいので人々が魅力に思うものを使えばいいと思います」的なことを言いました.最適化するという質問への案を出せたわけではないですがそれっぽい回答ができたので「それおもしろいね」と言っていただけました.
マネジメントの質問以外全部同じ人に質問されたので不安でした.
二次試験合格発表
中学校の友人とBBQをしていたので「落ちてお通夜BBQになるのだけは嫌だ」と思っていました.番号が見えないように画面の下を見たら
「以上 20名」
の文字が見えたので安堵しながらスマホを投げて海にダイブしました.
成績開示
英語は想定よりかなり低かったです.数学は過程があってたり部分点狙いで書いたところで点数もらえたのかなという感じです.得点は449/700で64%です.
最後に
やっぱり先生方に頼ったほうがいいです.特に英語は添削・採点してもらえるのがとてもありがたいのでお願いしましょう.
僕は合格者の中で最も勉強を始めるのが遅いレベルだと思うのですが,やはり苦労しました.4年の夏休みくらいから始めるのでも全然変わってくると思います.微積,英単語あたりはいつでも手を出せるので早めにやっておくのが良いのかなと感じました.
受験の三種の神器は「メンタル」「体力」「友達」だと思います.
メンタル,体力は言わずもがな勉強するのに必要ですよね.
友達と話している時間が一番楽しかったので学校に行ったらたくさん話したほうがいいです.