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痩せ姫としてのピンクレディー

「週刊文春」の12月9日号で、阿川佐和子の連載対談に、ピンクレディーの二人が登場してまして。ケイこと増田恵子が、アイドル時代の恋愛について、意外なほどあっさりと告白してる。
コンビが失速し、解散にまで至った理由について「私が原因です」「事務所にちょっと不信感が芽生えて」としたうえで、
「恋をしていたのをすごく反対されたんです」「相手が同じ職業の人だったので圧力がかかったり」
仕事への意欲をやや失った増田は、この相手と結婚する約束をして、それには解散するしかないってことで、ミイこと根本美鶴代もそれを了承。ところが、解散から1年後に破局してしまい、根本への申し訳なさを、10年間くらい引きずったという。
対談では名前が伏せられている「相手」というのは野口五郎なんだけど、彼は当時「ガリガリに痩せた女性が好み」だと公言してて、ケイと噂になったとき、子供心になるほどって思ったもんです。
(とはいえ、彼は結局、三井ゆりと結婚するわけで、真性のガリフェチではなかったのかも…)
ちなみに、当時公表されてたプロフィールだと、ケイは162センチ42キロ。ミイは今よりふっくらしてた(165センチ52キロ)ものの、標準よりはもちろん細い。米国進出した際「ピンクレディー」という名前から、豊満なセクシー女性を期待してた米国男性たちが「いかにも東洋人の貧相な少女じゃないか」とガッカリした、という話も伝わってるほどだ。
でも、あの体型だったから、当初狙ってたとされるオヤジ層ではなく、子供たちを熱狂させたのだろう。ピンクレディーによって、日本の子供のリズム感は格段によくなった、などと言われるけど、体型イメージに与えた影響については、あまり語られてない気がする。

(初出「痩せ姫の光と影」2010年12月)


超売れっ子ゆえの殺人的スケジュールによって、ケイの体重は一時期、40キロを切っていたとも思われる。実際、この記事についたコメントによれば、バストが74センチにまでしぼみ、サイズの小さなブラジャーを探す苦労を雑誌でこぼしていたとか。そりゃ、米国男性もがっかりだ(苦笑)。なお、写真左はデビュー曲、右はその2年半後のシングルです。


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