食べたくないの~古い新聞記事より

痩せ姫との出会い、として思い出されるのが、中2の夏に読んだ新聞記事。
「心のカルテ9 食べたくないの」と題された医療コラムだ。
アメブロではかなり前に紹介したけど、こちらでも全文を引用掲載して、雑感を付け加えてみる。

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思春期の少女がガリガリにやせて、病院の小児科病室で静かに息を引き取った。病名は「神経性食思不振症」。「思春期やせ症」ともいう。精神的な原因が引き金となって、食事を拒否する病気で、重い場合は、栄養失調となって餓死することも。全国にどれほどいるかは調べられていないが、登校拒否症が増えているように、最近やせ症も増えているらしい。

中学二年生のT子さん(14)。学年初めからだんだんと食べなくなり、生理がとまった。頭がよくて負けん気が強く、成績は上。母親が心配して問いただすと「食べないほうが勉強の能率が上がる」といい、本人には全く病気という意識はなかった。近くの小児科医で診てもらったが、体には異常なく、消化剤と精神安定剤を渡された。
夏休み前には、11キロもやせ体重は29キロとなったが、口にするのは薬だけ。思いあぐねた母親は、小児科医と相談し、その勧めで、病院の精神科に入院させた。点滴を受け、しばらくすると副食だけは少し食べるようになった。T子さんとしばしば面接し心の悩みを探った主治医は、拒食の本当の原因は「大人はいや」「成熟したくない」という心理だと診たてた。
十月ごろには眠れなくなり、空腹感も全くなくなって、一日にミカン一個、杯一杯の酢を飲むだけ。体重は20キロ余まで落ち込んだ。十一月末に小児科病室に移し、治療に手を尽くしたが、二ヵ月後、全身衰弱がひどくなり、骨と皮だけとなって母親にみとられながら亡くなった。

この病気は十四、五歳ごろに最も多い。思春期にスタイルを気にし、やせたいと願う少女は多いが、大人になりたくないと思いつめ、成熟を拒否する心のトラブルの根は深い。ほとんどはT子さんのような悲しい結末はたどらないが、治療に手こずり、半年から数年間は通院や入院をする。
その間、週に一回程度、精神科医が時間をかけて精神指導をし、母親にも面接を繰り返し、小さいころからの子供の養育歴を探る。母子間の心のからみ合いに問題が潜んでいることが多いからだ。
母親が強気で、幼児期から子供の自主性を認めず、ささいなことに干渉し、自分の考えや感情を押しつけるといった家庭環境が比較的よくみられる。このような家庭では夫婦関係もうまくいかず、家族間の人間関係は不安定に陥りやすい。十歳ごろまでに男の子は父親を、女の子は母親をみて、男性的イメージ、女性的イメージを形づくる。だが、母親が日ごろ子供から心理的な反感をかっていると〝母親のような女性になりたくない〟〝母親のような人間になりたくない〟と心理的に屈折して思春期のころに成熟を拒否するようになる。
幼いころから自我の発達の芽をつみとられ、モデルとなるような人間像もあいまいなまま育った子供は自立の時期にザ折しやすい。肉体的に成長さえすれば、子供は大人になると一般には考えがちだが、大人になるには、自立することを子供が望むような、精神的な環境が必要なことを、この奇妙な病は警告しているようだ。

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制限型の拒食症で亡くなった中2少女の症例を挙げ、まだあまり知られていなかったこの病気の実態を描いている。「母子関係」やら「親同士の関係」やら「成熟拒否」「自立期の挫折」など、病気の背景についても、過不足なくまとめられ、症状が「拒食」に特化されてるきらいはあるものの(この頃は医療現場でも、過食や嘔吐はさほど注目されていなかった)今でも通用するのではないか。まぁ、最近は、病因を母子関係だけに求めるような考え方に対し、見直そうとする傾向もあるし、僕自身、それだけじゃないだろう的な違和感も抱いてはいるのだけど。
そして何より、この少女は僕が知った最初の本格的痩せ姫。身長はわからないものの、40キロから29キロ、さらには20キロ余りにまで痩せるというのはどういうことなのか、衝撃を受けた。同世代だったわけだし、強い関心を覚えたのも当然か。
おかげでこの記事を机の引き出しに入れ、何十回、あるいは何百回と読み返した。「食べたくないの」という直截的なタイトルも、ある意味ベタだけど、これ以上効果的なものもない。「食べたくないの」とは、すなわち「生きたくないの」ということ。「食べられないの」や「生きられないの」より、強烈な意志を感じさせる。そんな食を拒む少女のイメージは、たとえば「源氏物語」の大君などのイメージとも重なって、僕の心のコアな部分に、完全に棲みつくわけだ。
それにしても「食べたくないの」と切実に叫ぶ人がこんなに増えるとは、この記事の時代には誰も予想していなかっただろう。また、僕自身、のちに「痩せ姫」と呼ぶことになるその人たちの面影を求め、さまようようになっていくとは、当時はまだ気づいていなかった。
そういう存在と初めて出会わせてくれたという意味で、この記事には感慨深いものがある。

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