食べることは大変なこと

「食べる。誰もが食べる。毎日毎日食べる。食べなくては生きていかれない。食べるというのは、明日も生きる為の重要な仕事である。おなかが空くから食べる、だけじゃない。食べた途端に皆、明日も生きます、と神様に、自分に約束してしまうのだ」
(如月小春『私の耳は都市の耳』より)

20代で拒食症を経験した、劇作家のエッセイ集にある文章。
「思春期を長くひきずりすぎて大学を卒業しても心がモラトリアムで、明日何をすればいいのかわからなくて、世の中全てが黒くておそろしいかたまりに思えて、そして私は食べられなくなった」
という彼女は「自分を明日までつないでいけるというのはすごく大変なエネルギー」だと感じ「どうしてみんなそんな大変なこと、食べることが出来るのだろう」と、悩む。
やがて、あるきっかけから、回復していくのだが……

食べること=明日も生きると約束すること。という解釈に感心して、紹介してみた。たとえ少しでも、たとえ吐き出しても、何か口に入れてるうちは、明日を生きようとしてることなのだ。

ちなみに、彼女は劇作家として世に出たあと、くも膜下出血により、44歳で亡くなった。当時、摂食障害の経験者は、その後完治したとしても、ダメージが残り、経験者じゃない人より、平均寿命が短いのかもしれない、と感じた記憶がある。予後の追跡調査が難しいため、詳しいデータは存在しないらしいけど。


(初出「痩せ姫の光と影」2010年9月)



如月は当時「一日半本のキュウリ」が主食だったと回想している。「味がなくて、食べ物っぽくなくて前歯の先で少しずつかじって」いたという。あと、この記事に印象的なコメントがついていたので、次回はそれを紹介したい。

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