自分がなんでチョコプロを見るのか?という話。

最初に

最近、チョコプロの観戦記等を書いているのだが、
前提となる、何がハマったのか?という部分を書かないと、
観戦記等以外が書きにくいなぁと感じていたため、書き始めてみます。

プロレスの記憶

自分の中の一番古いプロレスの記憶を引っ張り出してみると、
小学校の通学路で電柱に張られたプロレス興行のチラシだろうか?
当時、神奈川県横須賀市の津久井小学校に通っていたのだが、
今にして思えば、首都圏とはいえあんな何もないところでどの団体がなんの興行をしていたのか?
ちゃんと興行として成立していたのか?
を考えると、当時は娯楽も少なく、プロレスという興行が今よりも市民生活に溶け込んでいたのかも?と当時の世相が少し見える気がする。

次の記憶はテレビ放送だ。
自分が子供の頃はプロレス放送が地上波で行われていた記憶がある。
夕方、新日本プロレスの試合が定期的に行われていたはずなのだが、記憶が定かではないし、
今にしてみればなんの試合なのかもよく覚えていないが、結構楽しみにして見ていた気がする。

オレンジパンツの武藤敬司を見ていたのはこの頃だろうか。
当時、黒パンツオジサンだらけの中、オサレパンツの武藤敬司が輝いて見えていた記憶がある。

と、ここまで書きながら思ったが、
キン肉マンがあるなぁ。
あれをプロレスとカウントしていいのかわからないが、それでも国民的漫画&アニメだ。
小さいころから見て育った人間としては基礎教養としてインプットされているのかもしれない。
弟が買ってもらったキン肉マンのキャラクターソングのカセットテープがうらやましくてしかたがなかった。
ちなみに、自分はロビンマスク、ブロッケンJrが好きだったのだが、
後になってビートルズの曲を聞いて、え?ロビンマスクのパクリやん…と戸惑ったのはいい思い出w

プロレス&アニメの文脈で言うと、獣神サンダーライガーがいるというか、あるわけだが…
マスクマンとしては割と好きだったが、アニメは全くハマらなかった。
何となくグロイ?という印象しか残っていない。

この段階で決定的だったのが、
黒パンツオジサンがあまり好きではないというところだろう。
それこそキン肉マンの影響かもしれないが、
派手な衣装、派手な技が好きだった記憶がある。
武藤敬司はムーンサルトをしていたのかな?その辺からだろうが、空中殺法も大好きだった。

ここまでの記憶は割と温かみのあるものである。

プロレスとの別れ

しかし、中学、高校と進学するにつれてプロレスは身近でなくなっていく。
中学時代に自室が出来たこともあり、小型テレビとゲーム機を購入し、隠れて毎晩ゲームに明け暮れるようになったし、
ゲームの合間にたまたまチャンネルを回して出会ったF1を観戦するようになったのが原因だろう。

とはいうものの、今にして振り返れば時代の流れだったのかもしれない。

プロレスとの再会

自分が高校を卒業した後、
浪人という建前のニートをしていた時期、毎年新日本プロレスの新年興行に行くという少し年上の友人がいた。
その友人との流れでこの時期が一番、自分の中でプロレスを見た時代だった。
そう、チョコプロに出会うまでは…

という展開は後にとっておいて、
当時はK-1などに代表される格闘技が勃興してきた時代。
同じ格闘技というジャンルに組み込まれたプロレスは衰退の一途をたどっていた。
当時の肌感覚だが、時代の空気感としては多分間違ってはいないだろう。
プロレスラーは弱い。
プロレスは八百長。
台本をブックというんだ。
同じリングで練習するやつらが本気で闘うはずがない。
そんな話があちこちから聞こえてきていた。

そんな時代に前述の友人OさんとプロレストークをするためにTV放送でプロレスを追っていたのだが、
当時は"nWo JAPAN"が結成され、そこに大好きだった武藤敬司も参加していたこともあり、応援していた。
女子プロレスも少し見ており、キッスの世界というアイドルレスラーグループが出たあたりだった。
当時の全日本女子プロレスは、豊田真奈美の時代だった気がするが、
ZAP-Iをやっていた頃の伊藤薫がロープからフットスタンプするのをみて、
体重は正義!との思想に支配されていった。

が、時代の流れは残酷なもので、どんどんと衰退していくプロレス業界。
格闘技に参加しては返り討ちにあっていくプロレスラー。
細かいことは覚えていないが、勝った!と胸を張れるプロレスラーはいなかった気がする。
そんな重苦しい空気感がプロレス界を覆っていた。

試行錯誤の上、格闘技とは別の路線に舵を切ったプロレス界。
そこには希望の星があった。

棚橋だ。

新日本が大切に育てた若手のホープ。

闘魂三銃士を引きずり下ろせなかった新日本プロレスをしょって立つ男!

その棚橋が…

明け方、女性に刺され、原付に乗って自ら病院へ駆け込むという事件が起こった。

この時、Oさんをはじめ、ファンの空気感が変わったのを感じた。
なにやってんだよ、この大事な時期に!と。
Oさんはそれでもプロレスを見続けたのだろうが、周りはひとり、またひとりとプロレスから興味を失っていった。
棚橋事件だけではない。
橋本真也や三沢光晴の件、全日本大量脱退からのNoah立ち上げ等、
プロレスファンにはつらい時代だった記憶がある。

明確に棚橋の件が決定打だったかはわからないが、今思い返してもあれさえなければ…という思いはある。

その後はたまに見かけるコンビニ雑誌等で棚橋の復活やオカダカズチカ?さんが活躍しているのをみたり、
女性文化人?がyoutubeかなにかで今プロレスが熱い!と熱心に語っているのを聞いても、自分の心には響いてこなかった。

自分の中で、プロレスを「過去の趣味フォルダー」にしまい込んでカギをかけてしまったのだ。

再度プロレスとの別れ

その後、就職をし、結婚をし、何度か転職をし、離婚をし。
今の時代としては波乱も万丈もなく、割と普通の人生を送ってきた。

就職した会社で一生勤め上げるような安定した人生ではないけれど、そこそこに生きてきたと思う。

多少の金も、多少の時間も出来てきて、ふと趣味らしい趣味がないなぁ。と思った。
F1は中学以来見続けていたが、パワーユニット化に伴う低コスト化の流れに違和感を覚え、脱落。
今は情報を追うだけになってしまっている。
プロレスと同じ「過去の趣味フォルダ」の仲間だ。

さて

と周りを見回したとき、アメフトが目に入った。
アメリカ映画などを見ていると、
「お前どこのチームのファンだ?」
「49ersだぜ!」
「気が合わなそうだな!」
みたいな掛け合いがちょいちょい入るのが気になっていた。
49ersがどういう文脈のチームなのかがわからないと映画自体を理解できていない気がして。
そんな折、たまたま社内にいた同僚がアメフトファンだった事で、アメフト(NFL)を見ることになった。
視聴方法やチーム。選手からルールに至るまで、聞きに聞きまくった。
そのおかげで何とか試合は理解できるようになって、今も楽しんでいるが、思ったことが一つ。

一人で新しい趣味を始めるの辛くね?
である。

そのため、誘っていただいたご縁は大事にしようと思い、合う合わないは後で考えることにして、
とりあえずいろいろなものに触れてみることにした。

その結果、趣味にできたものは釣りぐらいかもしれないが…
釣りもまた難しく、未だに全然理解できていないが、時間があれば一人で釣行できるぐらいにはなった。

ChocoProとの出会い

そんなこんなでやっと本題のChocoProとの出会いである。

これもあるYoutuberさんが熱く語っており、その方とのつながりができたことで見てみようかという気になった。
最初に紹介された試合動画をみて思ったのは、
これ、緩すぎて無理かも?だったのだが…

そこで、いつもの質問攻めである。
知識から入っていくスタイルなので、団体や選手について気になったことを片っ端から聞いていく。
それに動画付きで丁寧に答えていただいた結果、見事ChocoProにハマる事となりました。

というわけで、自分がハマるに至ったChocoProの良い点を書いてみたいと思う。
・中小企業感
いきなりプロレス外の話で申し訳ないのだが、これは意外と大きい。
先にも書いた何度かの転職経験の中、
仕事や会社には流れがあるというのを感じる。
新人が入ってきて、戦力となり、余裕が出てくる。
そこで新たなプロジェクトを始めようと周りを見渡して、良縁に出会えれば、会社が大きくなるし、社員も自信をつける。
しかし、新たなプロジェクトを始めようとした矢先に、手塩にかけた新人が退職してしまって足踏みをしたり。
何度もあったこの経験。

その流れに今、乗ろうとしている企業があったら?
応援するしかないだろう?

自分の現状を相手に重ね合わせ、共感して、自分も頑張る。
そんな趣味があったら素敵じゃない?

それが、”ChocoPro!”というつもりはないのですが、”今のChocoPro”なんだと思います。

2024/8/31 後楽園ホール大会がありました。
開催前、8年ぶりの後楽園ホール大会というのを聞いて、一つの疑問が湧きました。

次の後楽園はいつなんだろう?と。
また8年後なのか、来年なのか?それでだいぶ変わってくるぞ?
8年後と考えているようなら、既存ファンを大事にして続けていけばいい。
新規ファンが入り込む必要もない。

なので、その疑問を質問責めの中に紛れ込ませようとしたとき、
さくらえみさんのインタビューを紹介されて、読んでみたら答えがありました。
毎年、後楽園大会を開きたい!と。

これを読んだ瞬間、よし、まずは見に行こう!と決断しました。
ここ10何年間で数えるほどしか出したことのない希望休を取って。

・自分の中のプロレス観
ChocoProで初めて見た試合動画は何だったのだろう?
たしか、リング大会の動画だったと思うが、あまり覚えていない。
先ほども書いたが、全体的に緩い試合だなぁ・・・というのが感想だった。

自分の中のプロレス観は、昔、格闘技としのぎを削っていた頃のプロレス観なので、
いかに効率的にダメージを与えるか?
効率的に見える攻撃をするか?
だったからである。

チョコプロの選手たちの必殺技が、どれも相手の協力がないと成立しない技に見えたからだ。
駿河メイのメイジャンプ。(何の意味があるの?)
帯広さやかの帯広マジック。(なんかの試合で足を拾い損ねて、相手が入れてあげていたのを見て、マジカ・・・と)
桐原季子のコマネチ(え?)
小石川チエのシーシーチョップ(名称不明。テンポ感悪いなぁ)
沙也加(独自技がない!?)
四ツ葉ミヤのミヤハンマー(相手が中腰でかがむというシチュエーションを作ってくれないとできないじゃん)
瀬戸ノノカ(独自技がない!?)
奏衣エリーのエリー砲(これが一番使えそう?ホーホーもわかりやすい!)
谷綿ひよりのコーナーポストぽんぽんキック(え?どゆこと?)
といった感じで。

しかし、数試合見ているうちに感覚が変わってきた。
というか、思い出したのかもしれない。

自分の中での本当のプロレス観を。

今、人にプロレスを説明するとき、スタジオジブリの紅の豚だと言う事にしている。
紅の豚の終盤、主人公のポルコとカーチスは飛行機で空中戦を繰り広げる。
弾が切れると、積載物を投げつけながら、罵声を浴びせあう。
それでも決着がつかず、最後に殴り合いをする。

これがプロレスなんだと。

例えば、フルマラソンでも構わない。
フルマラソンを走り切って、へとへとでゴールした後、殴り合って勝負を決める競技であれば、
それは自分にとってはプロレスだ。

自分の体力の限界まで出し切って、その中にある、何か、魂の輝きを見せる。
それがプロレスだと。

その体力を限界まで出し切るところを、走ってたってつまらないから、お互いに技を掛け合いましょう。
それで疲れ切って、フォールをされたら負け。

それが自分にとってのプロレス観だった。

子供の頃は自然とそう見ていたはずなのに。
いつの間にか自分の中で意識が格闘技に寄ってしまっていたんだなぁ。

それを思い出してからチョコプロをみたら、受け入れやすかった。

・小石川チエという選手
最初に印象深かった選手は、小石川チエ、沙也加、四ツ葉ミヤの三名だった。
力こそすべて!という価値観で見れば、沙也加さんとミヤさんはわかるが、チエさんは異色だった。

なぜ小石川チエはこんなにも目を引くのか?

自分なりの答えは、小石川チエがヒーローだからだと思う。

駿河メイはじめ、相手を煽っていく選手が多い中、相手を煽る姿を見ない気がした。
なんというか、気持ちが自分に向いている気がした。
「来いよ!」ではなく、自分が行く。
負けても、自分に悔しさをぶつけている気がした。

自分は漫画やアニメを見て育った人間だ。
宗教と縁遠い家庭環境だったこともあり、倫理観や正義感も漫画やアニメから学んだ。

そんな自分には、常に全力で誰にでも向かっていく姿は主人公そのものだったのだろう。

まとまらないまとめ

ここまで、書き始めてすでに5日。
だいたいの内容は2日間で書ききっていたのだが、書き足りない感じとまとめ方に悩んで投稿できずにいた。
だが、その5日間のうちにどんどん時間が流れており、書きたいことはどんどんたまっていく。
さくらさんについて最近思ったこと。
メイさんについて最近思ったこと。
沙也加さんについて最近思ったこと。
ミヤさんを応援したいこと。

浮かんでは消えて行ってしまう思考を浮かんでいるうちに書き留めておきたいが、
Xでは短すぎるし、まとまらない。

ということで、ハマった理由としては書きっぱなしになってしまったが、
まとめにこだわらずに書いていこうと思います。

なぜNoteに書き始めたのか?について


これも別で書こうかと思っていたんですが、ここに書いてしまいます。

これは、我闘雲舞を最初に見始めた時に前の試合どうだった~などの感想があまり見れなかったことが始まりでした。
プロレスというのは、歴史が連なってより楽しめる文化だと思います。

例えば、24年の後楽園ホールでデビューした広海カホが水波綾を倒した時に、
後楽園ホールの空気感を知りたい人が絶対いるはずなんです。

例えば、瀬戸ノノカ選手のデビュー戦、動画では見ましたが、それを見ていた人はどう感じたのか?
後から動画を見るだけでは、どうしても今の瀬戸ノノカさんの情報があり、
ミヤさんとの関係も入ったうえで見てしまう。
当時のためらいや驚きは実際には体感できない。

それは、古参ファンの方と知り合って、語られることによって口伝伝承していくものだったのかもしれない。
古参ファンとしてもそれを語り継ぐことが楽しみな部分もあると思う。

新参者が出てきて、あの時のあの試合、こうでしたよね!とか言われても面白くないのはわかります。

ただ、その時代に生きた人間の感情、感想を残しておくことが、これからのChocoProの為になるのではないか?
と思ったのです。

自分が#我闘雲舞や#ChocoProで検索してみてもNoteではメイさんやチエさん、帯さんのモノ以外ほとんど出てこない。
3~5年前には少し書いてらっしゃった方がいるみたいですが、割と当時の空気感はわからない。

自分の文章が空気感を伝えられているとは思いませんが…

もしかしたらほかの媒体がメインなのかもしれませんが、
少なくともNoteという媒体ではそれが見れなかったので、自分が書いてみようかと思って書きはじめました。

本当にまとまらなくなってしまいましたが、以上にしておきます。
なんか、〆の言葉があると〆るの楽なんだなぁーとおもいました。
だからChocoProは〆の掛け声があるんだなぁw

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