硬券0066 甑島商船
甑島商船
かつては九州商船が運航していた航路でありましたが、過疎化による対策が必要となり、昭和52年に九州商船、甑島四村、串木野市が出資して第三セクター方式の甑島商船を設立させました。
九州商船時代の国鉄連絡の廃札が昭和53年日付頃まであり、正式な切り替え時期が疑問ですが、九州商船時代からの「柏丸(昭和50年就航)」という船も譲られております。
阿久根航路は九州商船時代に終わっておりました。
串木野港からの就航便でスタートしていまして、フェリーに加え高速船を就航させ利便性を目論見ました。
新会社になっても、出資元のひとつの旧会社である九州商船の地紋を社航路内の硬券の地紋のまま残されました。
これは当時串木野の代理店に置いていたものですが、よく見れば従来は里からのものを逆に流用させた券です。
しかし、九州商船の社航路内の切符と同じタイプで、KSK地紋。
表題は「甑島商船」です。
様式自体は九州商船時代からずっと使われてきたのでしょう。
小児用は、正式な串木野からの様式そのものですが、2等でも緑色でした。
1等色の余りものの紙だったのでしょうか。
これは大人だと高いので小児を買いました。大人はどういう色だったのか?
いずれの券も、そろそろ正式には硬券を売らない時期に差し掛かりそうな頃で、運賃変更印があります。
二代目「シーホーク」高速船の時代です。
離島側では結構遅くまで硬券を売っていたところもあったようでした。
これは、運賃変更印はありませんが、日付もありません。知人から回ってきたものでしたが、「小」の字が緑色なのがいい券です。
時代は流れて、甑島が「薩摩川内市」に編入され、また串木野市が「いちき串木野市」になり、それぞれの出資分も移っただけでなく、串木野新港からは通常のフェリーの発着は残り、高速船は川内港からの就航にと、現在は変わっています。
九州新幹線と合わせて、川内からの旅客数の向上に期待を寄せているようでしたが、最近は集客はどうなのでしょう。