硬券0059 函館バス
函館バス
函館バス㈱は、前回(硬券0058)の「函館乗合自動車」が昭和26年に称号変更した会社です。
昭和32年からは、東急電鉄傘下・グループに入っておりましたが平成15年に東急グループからは離脱されていました。
函館バスの硬券は営業所も結構散らばっていたため結構残っており、昭和30~40年代は、結構バリエーションもありました。
硬券末期は、函館市内の松風町の営業所で金額式だけが平成5年頃まで生きづいていました。
函館乗合自動車時代の様式の流れは、あまり見られないもので、こちらの様式が主流になります。
上の券とは、あまり変わらないのですが、地紋と左の縦の注意書きに違いがみられます。
一見、同じような地紋ですが、羽根が上下しており、微妙に違うのです。
原口はさらに海沿いの奥ですね。
これまた、地紋は羽根上下に別の絵文字が入ったものです。同じような時代に地紋が異なって入り交じり、一体どうなっているのか訳が分かりません。
また、この券では経由線名記入と、会社名が下蘭にきています。縦書きの注意事項は、横になっています。
川汲温泉は低い峠を越えた太平洋側になります。
この券は、同金額で行ける場所を、ひとまとめにしています。随分思い切ったものです。
水堀・長万部・江差と全然方向が異なります。
地図式も種類違いで複数出ていたようでして、まま見かけます。
やはり、地紋は昭和39年途中以降、これに落ち着き長く使われたようですね。
しかし、営業所からの金額式、末期への先駆けが垣間見えます。
ここで変わり種を
どういう使われ方をしたものか判りませんが、ほぼA型で硬さも硬券といえるものでした。
大沼は観光地なので、多客時のバスの順番取り用にでも人数を制限して用意されたのでしょうか。
一枚だけでいいですわ。でも社名も大きく表示され、悪い券とは思っていません。
硬券の末期は、こればかりになり実に金額式の口座のみ85種とかあったようです。
北海道交通印刷の見本で、他の券とは地紋が違い、層雲峡バスなどで使われた地紋になっています。
実券での使用例があったのかどうかは不明です。「俄虫」という温泉町はもちろんあります。
一番多く出回まわっていた路線バスの一般式では、この他「北桧山営業所」のものとかもあって、場所的にはバラエティーに富んでいました。