硬券0085 北鉄バス
北鉄バス・北陸鉄道(バス)
石川県では昭和18年の戦時統合の指令により、尾小屋鉄道以外のバスの会社を既にあった北陸鉄道に合併させ、広い範囲の路線になり、戦後は、なかなか合理化が図り難かったようです。
バス事業の大半は、今では分社されているのですが、平成に入ってからで、まず能登方面の分社からです。
他の地区も近年になって、全てではないようですが分社化を進めました。
展示の切符で「北鉄バス」とあっても、分社の別会社ではなく、略称です。
今の分社化「ほくてつバス」は近年になります。
これが昔の直営一般路線バスの硬券でした。
鉄道の行き着かない白山下からさらに奥に伸びるバス路線、白峰や別当出合といった奥地にも分け入っており、かつてはそれに応じた硬券乗車券が存在してしました。
もっと古い時代には一般路線バスのでもA型硬券を使っていました。
和島駅前からの近距離の券ですが、A型は立派です。
これはもっと古い昭和20年代のものです。
明らかに昭和20年代半ばの残券、旧字体、そして5圓時代のものに運賃変更印を押して長く使われたようです。
鉄道線は羽咋方面にも、三明まで伸びていたことがありまして、さらに先の中心街の富来(とぎ)は国鉄連絡駅として、自社バス・鉄道から国鉄に連絡させてもいました。
これは豪華な地紋の立派な連絡券でした。富来~三明間は自社バスです。
下記は国鉄・JRと共同運行していた「おくのと号」の北陸鉄道側発行券です。
これは放出品も多いようで、よく見かけるものです。
平成の時代に、こんなものが残っていました。
これは、総務部の発行かも知れません。普通のバス窓口には置いていなかったであろうと思います。
ご迷惑をお掛けする会社への問い合わせ等はしないで欲しいです。
たまたまめくり合った券ですが、私には気になる不思議な硬券でした。
下記は、後年は半硬券の様式で見る切符ですが、
30円時代までは硬券だったようです。
20円の時代です。
これも表記は少々異なれど20円券のものと用途は同じでは?
それとも座席の確保ができるようになった進化版でしょうか。
また、座席番号などはなく、座席の数だけ売り切ればいいのですが、この料金券が売り切れての立席乗車はできたのでしょうか?それとも完全座席指定のバスになったのかは未調査です。
たまたまの入手で、上記と同じ券ですが、少々文字の配置場所が異なるバージョンでした。
このあと、50円券以降のものも見ますが、半硬券になっては興味が遠ざかります。
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