硬券0002 平戸口運輸 更新版
平戸口側(田平)と平戸島側(崎方)は、3.5kmしかない海峡でありまして、橋もない昔は海運が専らの交通手段であります。
大正7年に平戸運送(株)という会社によって、田平と平戸間に発動機船が就航され、大正9年に手漕ぎ渡船業者の田平運送と統合して、
大正10年に平戸口運輸株式会社と改称され、田平-崎方(平戸口-平戸)の運航が続けれらます。
2等とあるのですが、この航路には2等時代の等級違というのはなかったようで、鉄道時代背景に合わせた表記と思われます。そういったことは他の小規模な航路ではあることですが、国鉄連絡しているところは、ある程度の規模の会社が多いので、その見方からすると逆に新鮮で、例えば急行平戸の1等などに連絡するときは異級券が出たのでしょうか(補片に異の判押すだけぐらいか)? さすがにこの3.5kmしかない航路には1等船室はなかったようですが。
の硬券も日付はありませんが、値段・様式からして同年代でしょうか。松浦線内への連絡です。
さて、この硬券には経由も等級も表記がありません。国鉄がモノクラスになって等級はいいとしても、船だけで行けたのかと勘違いしそうです。
小児とはいえ船・鉄道で150円で行けるとは、50年代初頭はまだ安いですね。
当日限り有効、下車前途無効 楠久までより佐世保までの方が少し遠いです。
A型の公開券と貼り付け縮尺が違うことをご了承ください。画像の解像度が一定していない場合がありますので。
昭和30年ぐらいの硬券だと思いますが、一見A型に見えますが、日付位置より、社航路側発行の往路部分が残った券だと思います。
大阪へは片道なら常備券あったでしょうか。
さて、連絡運輸の券ばかり出ましたが、果たして社航路内硬券は・・・
これは結構古いと思いましたが、料金40円なので昭和45~47年では合致します。
「第八平戸口丸」と船名が印刷させた社航路内の硬券で、いかにも船の切符らしく好みの様式です。
一枚出てきましたので更新しておきます。
船名入りの切符と同額なので40年代中後期ですが、どちらが古いのかは分かりません。この硬券の逆コースは確か黄色でした。
しかし私の行動力のなさか、この船舶の冒頭で記しました他航路のものは全く以って見かけません。
さて、この追究シリーズは、新しい入手物や、情報が入れば、加筆補正して活かしていく予定となっています。
そう次々と増えないと思いますが、特記すべき情報、UP出来る画像があれば更新します。
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