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硬券0034 近海郵船

近海郵船

近海郵船という会社は今もあるはずですが、何度かの改組がありますので、ここでは切符を所持している初代近海郵船のことが主役です。
こんなところの古い硬券が出てくるとは、時の運です。

大陸や統治下の地へと交通の便を図りたかった我が国の政策として、昔は命令航路というものがありました。それは、結構日本海側を主として全国にありました。
陸上交通の整備されていない時代、海岸を点々と寄港しながら海路が活躍しました。最後の命令航路の名残りは「雄冬海運」だとか(平成に入って廃止)。

さて樺太の南側を統治下に収めた日本は、命令航路のひとつとして、日本郵船に小樽~樺太大泊(現在のコルサコフ)への航路を設けさせました。
このように補助金を出す代わりに航路を設けさせることを命令航路といい、船会社独自の設定したものを自由航路といいました。
日本郵船が樺太航路を明治のうちに命令航路に指定され、その一環で運航が始まっているようですので、これは、稚泊航路(鉄道連絡船)ができる(大正12年)よりも前です。当時から貿易港として栄えた小樽から大泊までの航路は、大正12年に設立された近海郵船㈱に承継されました。
航路は、函館~小樽~(樺太真岡)・樺太大泊を結んだものであったようです。

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大正末期or昭和初期 D型硬券よりも短いもの 補充式 三等  省線連絡運輸

焼けていますが、よくよく見ると赤地紋があるようでした。裏にはしっかりと近海郵船発行とあります。

小樽で接続しての室蘭までの切符ですが、鉄道連絡駅は?小樽(現.南小樽)駅でしょうか、まさか手宮駅?
(その昔、元々日本郵船・近海郵船の会社の建物は手宮駅付近にありました。)
また時期はもっと古くなりますが、手宮から室蘭までの急行列車があった時代もありました(おそらく北海道炭礦鉄道時代)。

小樽港は炭鉱の積み出し港で賑わい栄え、小樽から利尻四村・礼文への航路も元は命令航路です。
結構興味深いです。

近海郵船はその後は、昭和14年に日本郵船と合併しますが、昭和24年に解散、二代目の近海郵船が設立されます。
昭和47年、東京~釧路航路フェリー(のちに十勝にも寄る形)を設けていたことは確認していましたが、それも平成に廃止され、物流貨物船就航に代えます。

10年前ぐらいには現在三代目となる近海郵船に改組されています。

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