それ、日本語で何て言う?
昨日、子どもとの関係性を築く上で「ニックネームを付けること」が重要な役割を果たす、という説を提唱した。
この記事では、僕が自主的に、というか一方的に、子どもたちに有無を言わさず突然ニックネームを付けるという、通り魔的所業を紹介した。
しかし、このパターンではなく、中には自ら望んでニックネームを賜りたいと考える子どもたちもいる。
最近、よく聞かれる質問に
がある。
例えば、
「”ihene”は日本語で何て言うの?」
「”ihene”は”ヤギ”って言うんだよ」
こんな具合だ。
僕もある程度キニアルワンダ語に慣れてきたため、身近な物であればキニアルワンダ語⇄日本語で表すことが可能になってきた。
この例のように、動物の名前や物体の名前であれば、ちゃんと対応する単語が日本語にもあるから良いのだが、問題はキニアルワンダ語⇄日本語に対応する単語がない場合だ。
具体的には、人の名前。
いや、人の名前て。
人の名前は外国語でも基本同じでしょうよ。
まぁ確かに”Ernest”って名前は、英語では”アーネスト”だけど、フランス語では”エルネスト”って読むとか、なんかそういうのはある。
でも、僕の名前は”Takuma”だが、これは英語でもキニアルワンダ語でもフランス語でも”タクマ”である。
それでも、子どもたちは無邪気に聞いてくる。
「”カズング”は日本語で何ていうの?」
「え、いや”カズング”は”カズング”だよ」
そう答えても、納得してくれない。
何度も「いや、そのままじゃなくて、日本語で何て言うのか聞いてんの!」と煽ってくる。自分の名前を、どうしても日本語で言ってほしいようだ。
困り果てた末に、僕は
という考えに落ち着いた。
何事も、やる前から「無理」と決めつけ諦めるのではなく、まずは不細工でも良いからやってみることが大切だ。
そこで、先程の質問である。
「”カズング”は日本語で何ていうの?」
「…うん、”かず子”だね」
安直過ぎる。
”カズング”という名前の響きからインスピレーションを得て、日本人の名前に落とし込む…この最高等技巧に挑戦した結果、僕が導き出した答えは”かず子”。
自分でも「酷い」と思いつつ、聞いてきた子の反応を見ると、
めちゃくちゃ喜んでる。
日本語の名前を与えられたことに、喜びを隠しきれず、
私は”かず子”!
私は”かず子”!
と、連呼している。
まぁ気に入ってくれたなら…いっか。
その後も、ルワンダ人らしいちょっとクセのある名前の変化球を片っ端から投げられ、全て最高等技巧で打ち返していく。
「”エリーゼ”は?」
「それは”えり子”だな」
「”サマンサ”は?」
「さ、さ…”さち子”かな」
「”ヌリヤティ”は?」
「いやぁ…”のり子”にしよう」
「”ウワーセ”は?」
「え!?うーん…”うめ子”で」
…
ネーミングセンス。
昭和か。
ほどなくして、そこにはまるで陽気な歌でも歌うように、誇らしげに昭和感漂う名前を連呼する少女たちの奇妙な一団が出来上がっていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?