見出し画像

大丈夫。大丈夫だよ

先月センター試験が終わり、今月からは私立大学の入試も本格的に始まって、受験生にとっては最後の踏ん張りどころですね。
受験生のみなさん、今一番張り詰めそうなくらい緊張している日々を送っているかと思いますが、あともう少しだけ、ほんのもう少しだけがんばって!
そして、どうか体調だけは崩さないよう、それだけを願うばかりです。

センター試験と聞くと、毎年のようにあのときの気持ちを思い出さずにはいられません。
そうして昔の受験生だった自分や、今の受験生に伝えたくなる思いが溢れてきます。
ほとんど記憶に残っていない高校生活ですが、センター試験のことだけはくっきりと胸に焼き付いているくらい。
今日はあのときの自分へ向けて、そして今の受験生に向けて、noteを書きたいと思います。


私もちょうど5年前は高校3年生。
今の受験生と同じように必死に勉強していました。

複数科目を受けるセンター試験。
得意科目もあれば、苦手科目もあり、また年度によって難易度や傾向も変わり、問題用紙を開いたときの緊張感は今でも忘れることができません。
きっと受験生のみなさんも先月、心臓が飛び出そうな思いで問題用紙をめくったことと思います。

私も得意だった数学と化学は解くのが楽しみだったけれど、苦手だった英語や国語はものすごくドキドキしていました。(地理や物理はなるようになれという感じでした。)
あの問題だけは出ないでくれ…と心の中で懇願したりもしていました。

そうやってめくった問題用紙。
あの緊張感。
お母さんから朝もらったメッセージ付きのキットカットも、コンビニで買ったお昼用のあんぱんと鶏おこわおにぎりも、何度もリピートして聴いた少女時代の曲も、芯が折れたときのために箱ごと持っていった1ダースの鉛筆も。
センター試験の問題以外のことも、いえ試験問題以外のことの方がよく覚えているものです。


どうしてこんなにも細かいことまで鮮明に覚えているのかというと、

それはあの日が生きてきた18年間の中で一番一生懸命だったから、そして一番自分のことで涙を流したからではないかと思います。

センター試験を受けると必ずや行う自己採点。
その結果に喜ぶ人、その一方で泣く人どちらも同じくらいいるのではないかなと思います。
だから友達には点数の話は一切しなかったなんてことも少なくないかもしれないですね。

私はというと前述のとおり涙を流した側の人間でした。
今でも思い出すと涙が出てくるくらい、自己採点結果を見た瞬間というのは、生きてきた中で一番悔しかった瞬間でした。


センター試験を終えたときの私は、できた!と少しばかり手応えを感じていました。
一番苦手だった国語はいつもどおり現文の読み取りがちんぷんかんぷんだったのですが、2番目に苦手だった英語は見直しの時間まで取れ、じっくり考えることができました。
またいつも40点台だった地理が、驚くほどわかる問題ばかりが出て、当たりの問題だったからです。
得意科目はいつもどおり解け、苦手科目はいつもよりできた、そう思っていたのです。
なので、センター試験を終えた私はそのままの足でまずは美容室へ向かい、これから塾で自己採点するんです!などと楽しげに美容師さんと話していました。

けれど、結果は思っていたものと違いました。
地理は過去最高点を叩き出したものの、国語は過去最低点。
しっかり読めたと思っていた英語は、自信を持って選んだ答えがことごとく間違っていました。
解答を見間違えたかもしれないと何度も見比べるけれど、変わらずそこにはbの文字。
何でcじゃないの?と解説を読んでも納得できませんでした。
得意科目は良かったものの、この国語と英語につまずき、全教科の点数をかき集めても目標点に8点届きませんでした。
志望校を受ける土俵に上がることすら無謀であることがわかったのでした。

塾の教室の外では、同じ高校で同じクラスの男子が先生に嬉しそうに結果を報告していました。
「あのときやったあの問題が出たんっすよ。いや〜まじ奇跡。先生ありがとうございます…」
この男子は高校3年生の夏まで部活をやっていた部活少年で、引退後メキメキ挽回してきた子でした。

途中から勉強を始めた子ができて、ずっと勉強してきた私がダメだなんて。
いったい今まで私は何をしてきたんだろう。
何がダメだったんだろう。

この瞬間私は中学高校の6年間が、さらには幼稚園のころ通った公文式でのことが、走馬灯のように思い出されました。
この数字に、今までやってきたことが全て否定されたような気がしました。
塾の先生にも泣きながら結果を渡し、駅の近くのイオンスーパーのベンチで人目をはばからず涙を流しました。
帰ってお母さんの顔を見てさらに大粒の涙を流したのでした。

こうして人生で初めての挫折を味わった私は、センター試験の結果が関係のない私立は全て薬学系、医療系の大学を受けましたが、学費が高いため行かせてもらえるわけがなく、本命として受けたのは国公立の全く違う分野の大学。
そうして唯一受けた薬学系・医療系ではないその大学に入学しました。


ここまで読むと、5年前の受験生だった私や、今の受験生には何の希望も与えない私の苦しい挫折話のように聞こえますが、この話には続きがあります。

受験生のときはたくさん後悔したし、努力は報われないんだと人生に絶望さえしていました。
けれど、今ならわかることがあります。
それは、すべての事象は上手くいくようになっているということ。

私は入学した大学以外はすべて薬学か医療系の大学しか受けていませんでした。
その道しか考えていなかったからです。
でも、今考えればそれほど興味がなかった分野でした。
心からなりたい!と思った職業ではなく、先生や両親に勧められるうちになりたい職業のような気がしていただけだったのです。
この事実に気づいたのは、大学に進学して数ヶ月経ったとき。
私が気づく前に、大学受験が、いえセンター試験が、その事実を知るきっかけとなってくれていたのでした。

そしてセンター試験直後何度も考えた、あれもやっていれば…という後悔の気持ちも昇華できました。
受験生のときは、あれをやっていなかったから…など自分を責め続けていたけれど、よくよく思い出せば、そんな余裕なんてありませんでした。
毎日毎日いっぱいいっぱいだったのだから、そんなことまでできるはずなかった。
あれは自分があのときできた最大限のことだった。
だからセンター試験が終わってからできた!と思えていたし、解答の解説に納得ができなかったのです。
やれることはすべてやりきっていた。
その事実にも受験から数年経ってからやっと気づけたのでした。


受験とは残酷だなと思った時期もありました。
今までがんばってきた過程は判断対象とされず、一度の、一瞬の試験によって、私ではなく話すことのない数字によって合否が決まってしまう。
なんだかやるせないなと思っていました。
けれど、最近そうではないみたいだと思えるようになりました。

私は大学受験をきっかけに、思い描いていた道とは全く違う道を歩むことになりました。
医療や薬学とは違う環境科学の分野で、初めはそんなに、というより全く興味のない分野でした。
けれど、この大学に進めたからこそ、一生大切にしたいと思える友達にも出会えたし、高校で大嫌いになっていた英語を再び好きにもなれました。
心のどこかで気になっていた、中学生のころ訪れたニュージーランドには思わぬ形で2度も行くことができたし、理系よりも文系の授業の方が好きだということにも気づけました。
そうして本を読むようになり、苦手だと思い込んでいた文章を読むことも、さらには書くことも好きに、今ではこうしてnoteを楽しんで書くようにもなりました。
大学受験で思うようにいかなかったことが、最終的には私の好きなものたちに導いてくれていたのでした。


受験とは、お砂糖をふるうときに用いるふるいのようなものなのだと思います。
受験生はこのふるいに一斉にかけられるけれど、試験の結果だけがふるいの目の細かさや形を決めているのではないと思うのです。
私のように自分では気づいていなくても、心からこの道に進みたいと思えていない人には、ふるいの目が粗くなり、一度はふるいから落とされますが、他の道に進むチャンスを与えてくれるものなのだと思います。
何か落ち度があったから、努力が足りなかったから落とされるのではなく、ただふるいの目に形や大きさが合わなかっただけ。
それだけだと思うのです。

その渦中にいるときは、見える世界も狭く、この道こそすべてだと思いがちなので、この事実に気づけません。
けれど、少し時間が経つとわかるようになるのだと思います。
ああこの道でよかったなと。
なので、今の受験生のみなさんや、そして5年前の自分には、今できることを精一杯やっておいで!と伝えたいです。
結果がどうであっても、すべてあなたが上手くいくようになっているから。
大丈夫。大丈夫だよ。と。

今日のおやつ
「私に贈る私のためのクッキー」

こちらは宮崎に行ったときにお土産として持って帰ったクッキー。
Thank you や For you など1つ1つ違うメッセージがクッキーに込められているのですが、ただ一つだけこの For me と書かれたクッキーがあって。
人に贈るために持ち帰ったお土産でしたが、写真のこのクッキーは私に贈ることにしました。
人に贈るのもとっても素敵なことですが、自分に贈るのも同じくらいとっても素敵なことですね。


いいなと思ったら応援しよう!

藤岡ぴぴ
遊びにきてくださりありがとうございます。少しのリアクションが励みになります。ここでいただいたサポートは夢のために大切に使わせていただきます。