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生命力と、主体性

「せいめいりょくと繋がるセッション」でやっていることをどこまで公開していいものか、そもそも言葉で言ってどれだけ伝わるのか?という迷いは常にあるけど、言葉で説明できるギリギリまでは書いてみよう。

私は何かと「主体性」の話をしがちなのだけど

それは思考の中にあるものじゃあなく(思考と連動するものではあるけども)基本的には体感。体感ありきだ。

骨盤からめりめり湧いてくる生命力を、まずは感じられること。実際に感じて、意図を持って使いこなすのが主体性だ。

子供が親に「勉強しなさーい」と言われて「はーい」ととりあえず嫌々やってる、やってるふりしてる、怒られると面倒だからそれなりにやってる。これは主体性のない状態ですな。

結構これをね、この態度を、人生のありとあらゆる場面で貫くことってできちゃうのよ。誰かに言われたから、世の中ではこうすることになってるから、やらないとまずいことになるから、怒られるから、、、、全てにおいて「その動き方」しかしてない人、大の大人でもいっぱいいる。私も27歳ぐらいまでそうでした。

これってあらゆることを人のせい、何かのせいにして逃げてるから一見ラクなようだけど、実際これをやってる人は分かると思うけど実際のところまっっっったく!ラクではないんだよね。

常に追われてる、逃げてる、すごいしんどい。しんどいことを解決するために常にすんごい頭使ってるし頑張ってるからマジ大変。スタートがマイナスだからいっこも楽しくない。でもなんで楽しくないのか分からない。分からないから闇雲に頑張るけど少しもマシにならない。

逃げてるからだよ!!!

↑でもこれ本人は本気で分からないの。悪気があるとかじゃなく。主体性を発揮するチャンスが今までなかったから。

そもそも主体性を持って生きてる大人がそんなに多くないし、子供の主体性はよってたかって潰そうとするのがだいたいの教育機関だし、そこそこ豊かな国だから主体性なんか持ってなくてもそれなりに生きていけるしね。泣いたら怒られ、騒いだら怒られ、怒ったら怒られ、なんかもうとりあえず無難に生きていこー、ってなるよね。

でもさ、どんだけダラダラ人のせいにして逃げてる人でも、何かすごいピンチになったらいきなり本気出る。火事場の馬鹿力ってやつ。

それこそ大切な家族が目の前でアブナイ人に襲いかかられようとしていたら?

考える前に体が動いてると思う。ぶっ殺すぞ!!!!って。

殺すぞ!ぐらいの本気、日常で全力で出し続けるのはちょっと無理があるけど

でもその「体感」を知っていること、自分の体の中にあるその力を掴んでいること、いつでも自分の意思でそれを使えること、が大事。

○○が××だから〜、△△できなくて〜、って逃げ回る思考を取っ捕まえて、誰が何を言ってこようと私は私の人生を生きる!邪魔する奴はぶっ殺す!という覚悟を、常に静かにハラの中に抱えていること。必要とあらばその虎をいつでも放てること。それが、まず、大事。

せいめいりょく、は体の中を駆け巡って、その位置によって色々な姿に形を変えるけど

まずは根っこ、いわゆる第1チャクラですね、ここの「俺、生きる!お前らぶっ殺す!」みたいな、たいへん荒々しい力と繋がっておくこと、

これをやって初めてその力を色々とやさしい使い方できる人にもなり得る。

ここがフヌケてると全てがダメな感じに。だってもう、根っこがスカスカだから。

セッションではこれと対極の、いちばん繊細な繊細な場所を使うこともやっていくんだけど

(ぶっ殺すだけじゃただのヤンキーだからな)

まずはせいめいりょくと、主体性の話。カラダの、力だよ。いくら頭で考えても、そこに力はないよ。というお話でした。

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樹音
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