好きなことで自立するということ
昨日、自分の過去のブログを遡っていたら、10数年前だったろうか、
「分かった!私の本当にやりたいことは『好きなことで自立』だ!」
となったらしく、ついに見つけた!みたいにしばらく沸き立ってファッファしてたんだけど
だんだん苦しくなってきて体もガチガチになってきて、しまいに熱まで出てきたあたりで某セラピストさんに「自立、ほんとはしたくないんじゃね?」とツッコまれたという経緯が書いてあって
一人くすくす笑っていた。
あの頃の私、やりたいこと(フロムせいめいりょく)とやらなきゃいけないと思ってること(フロム頭)の区別がまるでついていなかったんだな。
好きなことをしたい。
やりたいことをやりたい。
というシンプルな願いに何故か謎の「自立」とか絡めちゃってついに熱まで出して。
だけどそれまでの人生振り返ったら、自立したくないから、自立するのが怖いから、ありとあらゆる手を使って自立しないように頑張ってたことが、今となれば丸分かりなんだけどね。
無意識に全力で自立を避けながら、同じぐらいの全力で自立できない自分を責めてた。だからあの頃、自立しろと罵倒・叱責してくる人によく出会ってたなぁ。
自立は、したくない。
ただやりたいことをやりたい。
そこに気付いてからの私は、今度は「じゃあやりたいことって何?」と考えてみるも
相変わらず頭でしか考えられない子だったので
やりたいこと100個リストを作って片っ端から実行してみるも、いっこも楽しくなくてマジおこ→もうオレ腹の底から本当の「やりたい」湧いてくるまでぜってー何もしねー!
という謎の座り込み一人ストライキを経て
やっとどうやら、せいめいりょくの声を微かに聞ける人に、なり始めたわけですが
いやー、ほんとに道に迷ってたなぁ。頑張ってたなぁ。
自立?んなもんシラネ、という態度を貫いてひたすらやりたいようにやってたら、結果的にいつの間にか自立したっぽいので、今となっては自立したくなかったとか、自立しなきゃと思ってたとか、そこらへんの経緯は忘却の彼方だったのでした。
でもさ、順番としてそれが本来よね。
赤んぼ、自立しなきゃとか思って立ったり歩いたりしてないもの。
立ちたい!立ってみたい!
というシンプルな願い。
やってみたくて、できないことができるようになってみたくて、コケてもコケても「立ちたいんだもん」だって楽しいから!
の結果、立てるようになって歩けるようになってる。
「立たねばならぬ」とか頭が先回りしたもんだから、盛大にこじらせたのよね。
頭の声が見分けられるようになって、なんと生きやすくなったことであろうか。。
応援してくださると、とってもとってもよろこびます♡