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愛されるために

はじめまして。岡野と申します。東北に住む大学生です。考えごとのメモとか、ぐるぐる。

社会問題に興味はありますが、詳しくはありません。調べ物をしながらマイペースに投稿出来たらと思います。

最近では、児童虐待のニュースが目に付きます。こんな人が親になる資格なんてない、そんな意見も耳にします。もちろん、虐待や暴力は許されないことです。

それでも私にはその親御さんたちが、ただ苦しんでいる少年少女に思えてならないのです。

苦しいことが多い世の中で、恋愛は救いになります。理解してくれるような気がして、この人しかいないような気がして、別れたりなんてしたら人生が最後まで真っ黒になってしまうような気になります。

それが学生時代の話なのか、責任がある年代の話なのかの違いなのではないでしょうか。

両親に愛されるために勉強を頑張っていた子供が受験に落ちたら、ひどく落ち込んだり、八つ当たりしたり、勉強しないで遊びまわったりするのは自然なことだと思います。

愛されるために子供を育てる、人間関係を保つ、家事をする、いい子でいる。

愛される条件が満たされなくなったら自分の人生は真っ暗だ。愛されていなくてはならない。辛くても頑張らなくてはいけない。

だからこそ「愛されない」場合の衝撃が彼女らには強すぎるのです。この流れからDVの話に繋がるので、また書きます。

普段の生きるためのサイクルでも、その最終目的が愛されるためになった途端、とてもあやういものになります。それが愛されるために生きているのに、愛されなかったら生きている価値がない、という主張です。

総じて何が言いたいのかというと、虐待したから親になる資格がないと言い切るより、もっと根元の方、世の大体の人が悩まされているであろう、恋愛とか依存とか幼さとか。そういったことに目を向けて考えていきたいなぁ、ということです。


乱筆失礼しました。

調べながらまた書きます。

fui.

#大学生 #恋愛 #児童虐待 #思春期の哲学