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自由が制限されることで得られた安心感に少しモヤモヤしている

今日から始まる予定だった娘の小学校が休校になって、ホッとしている自分と、モヤモヤしている自分がいる。

その理由を行ったり来たりしながら考えている。


国や自治体が全体の方向性を示すというのは、個々が持っている選択肢を絞ることでもある。

それは悩みのタネを減らす救済だとも言えるし、自由が制限される危機だとも言えるだろう。

ホッとしてる理由は前者なんだけど、後者に関してはモヤモヤが残る。

もう少し分解してみると、ホッとしてるのは自分が選択しようと思っていた方に進めたから、モヤモヤしているのは、それが不可抗力によってもたらされたからだと思う。

だから、「休校の決定がなくても、同じ判断ができていたか?」を繰り返し考えている。


既に決まったことを考えても仕方ないかもしれないけど、ここを考えておかないと次の波が来たときの対応も変わってくる気がするのだ。

与えられた環境では、悩みの負担は軽減し、置かれた立場でやれることを考えることになるだろう。

反対に、何もかも自分で決めるのは、選択肢が多岐に渡るし、誰かのせいにできないし、孤独に苛まれるかもしれないしと悩みは尽きない。

結果的に同じ方向へ進んだとしても、そこに至るまでのプロセスでは自分の考えを踏まえておきたい。


「こんなときだから」を言い訳にするのか、考える機会にするのかによって、きっと出口は変わってくる。

ここは間違いないく、自分の瀬戸際だ。

自分の人生を生きるなら、「考える」、「選ぶ」、「手足を動かす」を人任せにしないで繰り返していくしかないよなぁ。

楽じゃないけど、頑張るべ。

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