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【ラジオ教材②】ぬかるみの世界

こちらは終わってもう31年にもなるんですね。

日曜深夜12時。

チキチンのテーマ曲(デイブ・グルーシン「カタヴェント」)に乗って始まるおっさん2人の生トーク番組。

週末から平日へ移る区切りになっていました。

1978年からスタートしたという事ですが、
番組を知ったのは1984年、高校生の頃でしたから
番組初期については全く知りません。

おにぎり談義、花一輪、新世界ツアー騒動、甲斐よしひろ事件…といった伝説は残念ながら存じ上げません。でも、番組後期でも、サンケイホール年越しのオールナイト(ペンペラペンタキシード事件、夜の西梅田)、あの方騒動、タオル談義、ざぶた、ぬかクラ&ぬかるみ六大学、れふせん騒動…などはオンタイムで聴いていました。

以前「ラジオ”私の履歴書”1」の記事で、高校時代「ぬかるみの世界」で手紙が読まれたり、岩本Dにお声掛け頂いたエピソードは書きました。

聴き始めた当初は布団に入って、ミニラジオにイヤホンを付けてこっそり聞くだけでしたが…暫くしてからは、カセットデッキを回して毎週録音、編集してエアチェックコレクションとして残していました。今も、そのカセット(1984年5月頃~最終回まで)100本以上は残しています。
中には、途中寝てしまって頭1時間しか録ってなかったり、録音自体失敗して残っていない回も有りますし、カセットテープ不足から、上書きして使ってしまった回もありますが…。

「ぬかるみ」最大の特徴は、その自由さ。
特にコーナー等設けず、ただただ鶴瓶さんと新野センセのフリートークだけで2時間半も引っ張ってた事です。
多分1本目のCMに行く迄、30分以下だった事は無いです。
長いと1時間以上喋ってました。

●まず冒頭は、その1週間あった出来事などから切り出します。
芸人業界、TVやラジオの仕事の裏話などから時事問題を絡めての素朴な疑問まで色々でした。
●番組が半分ほど経った1時半頃を目途に、リスナーからのお便りを紹介し、それへのリアクション、勝手なトーク展開など。中には、真摯にお便りを読み…そっと添えるように、鶴瓶さんが選曲した曲をフルコーラス流し、曲締めしてCMへ…。
●番組後期では、エンディング前のラストテレホン。真夜中ですがリスナーに電話を掛け、少し話を聞いた後…「みなさん1週間頑張りましょうね。おやすみなさい」といったメッセージを言わせてエンディング。

そんな構成でした。

■おばんでした

おじん、おばん、おさせ、れんこんの穴、らんららん、ざぶた…
知らない人が聞いたら訳が分からない言葉の数々。いずれも、番組内で2人が自然に生み出した「ぬかるみ用語」です。
90年代には女子高生独特の若者言葉等が一世を風靡しましたが、そのワールドでしか分からない独自の言葉…その先駆けだったかも知れません(大袈裟ですか(笑))。
上方芸能界の2人らしい、瞬発的で端的な表現から生まれた言葉の数々は、ひっそり盛り上がっていた日曜深夜の時間帯にふさわしく、リスナーの間で「自分たちだけが分かる言葉」として拡散してゆきました。この「自分たちだけ」という特別感こそ、番組が盛り上がる原動力でした。

当時、本当に寂れかけていた”新世界”の街を盛り上げようじゃないか!と番組内で呼びかけ、リスナーが自由に集まる”だけ”だった「新世界ツアー」。蓋を開けたら予想外に多くのリスナーが集まり、パニックになってしまい、関西のマスコミが大きく報じた事で、番組の存在を知らしめる事件になりました。

ネットやSNS全盛の今だと、こういう”仲間内”での盛り上がりも”よくある”企画ですが、当時は、ラジオがその場にもなっていたわけですね。

とことんこだわる

自分が聞いていた後期、一番興奮したのが「れふせん騒動」です。
1人のリスナーのお便りから、昔の小学唱歌の話題になりました。
そして1冊の資料…「えんやらえんやら ろびゃうしそろえて あさひのみなとを こぎだす れふせん」という歌詞に「なんやこれ?」となったのをきっかけに、延々数週に渡ってリスナーを巻き込んだ事件でした。

自分は最初聞いた時から「れふせん」=漁船だと分かりましたが、出演者のお二人は”どびつこい”性格が出て、「れふせんって何や?」「旧仮名遣いや」「なんで発音が”りょう”やのに”れふ”って書くねん」などと、しつこくこだわり、飽きれた多くのリスナーから大量のお便りが届きます。それにも反応して、生放送で2人で大喧嘩。広辞苑だか大辞林だかを持ち込んだり、れふせん=りょうせんというのは「漁」ではなく「猟」だ…とか、仲間を意味する「遼」だ…とか、色んな仮説が飛び出し、ラジオのこっちで悶々する展開が繰り広げられました。
この「なんでやの?」「なんでそうなるの?」という鶴瓶さんのこだわり、「ちゃうがな」「こういう事やねん」と、たしなめますが実は自分も余り解ってない(笑)新野センセの”えかげん”な大人ぶり…この悲しいくらい微妙にずれた歯車が、緊張感となり、毎週ラジオから耳が離せない展開を生みました。

気体・固体・液体

コーナーも何も無く2時間半もの長時間が成立する…さらに盛り上がれば、規定の深夜2時半という終了時間を超えて、時には夜中3時になっても番組が終わらない…そんな緩さがありつつ、1つの話題で盛り上がればリスナーをも巻き込んで1つの企画として成立した結束力。でも、それぞれに縛りなく、リスナーどうしで盛り上がればそれも良しとし、逆にその場へ分け隔てなく飛び込んでいく臨機応変さ。
気体にも固体にも液体にもなる…そんな姿勢こそが番組の強みになっていたように思います。

今のように厳しい時代は、キッチリ成果が出て、リスクが少なくて、展望が予測出来る、”石橋を叩いて”も慎重に渡る(もしかすると渡らず眺める?)企画しか通らない世の中には考えられない番組だったかも知れません。

■ファミレスの隣の席

「ぬかるみの世界」は、初めて聞いた人にはハードルが高い番組でした。
番組冒頭いきなり「〇〇さんがね、今度出世しはるんですって」とか「〇〇兄さんとこの奥さんが入院しはったって聞きました?」みたいな話から入るんです。で「おさせ」だの「びめこ」だの、他には分からない言葉を駆使して大笑いし、拗ねた手紙に本気で怒ったり…
ANN やヤンタンの、誰にでも面白いラジオしか聞いた事の無いリスナーなら数分でスイッチを切るような内容でした。
ただ、何週も、何か月も聞く内に、その「〇〇さん」が何度も話題に出てきて2人が”いじる”と、自分独自にキャラ付けし、〇〇さん像が出来てしまいます。リスナーのお便りにも、ラジオのこっちで2人と一緒に憤慨するようになります。いつの間にか普段の生活でも「あ、あなたもぬかる民ですか?あの話、笑いましたよね。くくくくく。もうイヤイヤイヤ」と…洗脳されていたりします。

これって正に、ファミレスの隣の席のひそひそ話を”盗み聴き”している…あの雰囲気と同じ。どこの誰か?分からないけれど、そういう騒動あるよね~と頷いてしまう。
世界は違っても、人類みな同じ!それを実感出来る2時間半だったんですね。

最近のTVを見てると…必要無い場面まで、一言一句テロップを出したり、アホに物言うように懇切丁寧に説明します。視聴者に考える余地を与えないのが今のTVです。「ぬかるみ」はその真逆を行く存在と言えます。
説明しません。分からなくてもいいです。無理に落ちは付けません。
といっても業界の身内受けで、リスナーに疎外感を与える事は有りませんでした。

小さい夜中のラジオブースに2人で入って、ひそひそ話を展開してはいましたが、2人の”意識のベクトル”は確実に、リスナーへ向けられていたからです。

2か月ごとのレーティングに一喜一憂している編成マンさん。
なかなかリスナーからのリアクションが増えずに悶々しているDさん。
いつまで経ってもDから褒められないDJさん。
ちょっとYoutube検索して「ぬかるみの世界」聞いてみて下さい。
何かのヒントが隠れているかも知れませんよ。

知らんけどw

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