【備忘録】FMPORT〜壮大なる自己満足
日付が変われば6月30日。
昨年:2020年のこの日、新潟県民エフエム放送=FMPORTが停波、閉局した日です。
あっという間の1年でした。
そして、それ迄の新潟での14年間もあっという間でした。
思えば2004年晩夏「新潟で呼ばれてんねんけど、行かんか?」という誘いを拒否してたら、今、ドーなってたか?分かりません。
こんなに自然に標準語で喋れるようにはなってなかったかも(笑)。積雪の道や凍った路面をスイスイ歩けるようにならなかったかも。佐渡や笹川流れのアホみたいな透明な海に感動する事も無かったかも。ポッポ焼きやバスセンターのカレー、みかづきのイタリアンも知らずに居たかも。
インディー斉藤、和釘職人の内山さん、ナステビュウの社長、シネウインドの井上さんなどなど、話し上手な一般人の皆さんと出会う事も無かったかも。
要は、とても大事な14年間だったし、第二の故郷が出来た事は、大切な財産です。
改めて皆様有難う御座いました。
さてと。
「喪」が明ける前に(苦笑)。
殆どのリスナーさんも忘れてる自己満足的特別企画の数々を備忘録として残しておきます。
●しめリク初リク
PORTに来て最初の年越し特番。2004年大晦日。当時はまだクラシック特番は無くて、うちの制作会社の企画が通ったんですな。
カナちゃん先生が本社スタジオで、タテが駅南のドンキ1Fから公開生という二元中継で年またぎで放送しました。覚えてる人いるかな?放送終了の頃から大雪になって、中継班の帰社後、皆んなで白山神社に初詣に行く時間には、エグい積雪!白山神社の山門から積もった雪が雪崩れてきたのに遭遇しましたっけ。(番組の中身はあんまり覚えてないw)ただ、タイトルや企画は良かったと思うのよね〜。ぶっちゃけ、クラシック特番が続いて悔しかったw
●震災関連の特番
2004年10月、PORTに来て直ぐに襲ってきた中越地震。その節目などに、色んな特番を担当しました。
12月には一階のポートスクエアから公開生でやって、小曽根真さんとか平松愛理さんとかも電話出演してもらった。
翌年から数回、新潟県内ラジオ4局合同特番にも参加しました。長岡市千歳の仮設住宅からの中継とか(メイン会場はBSNラジオ1スタでした)、朱鷺メッセからの公開生とか、アオーレ長岡からの公開生とか。
NHKの緻密な(秒刻みの)台本には驚きましたっけ。
PORT独自では、川口町からの公開生特番に、遠藤麻理ちゃんと一緒に伺いましたね。
●超ワイドレギュラー特番
年越し枠を取られたら正月がある!ってな感じで出して通った企画。レギュラーワイド番組のチームはそのままに、コンセプトや共通企画、統一ジングル&BGMを使うという手法でスペシャル感を出そうという試み。正月の他にも開局周年の時もやったし、スペシャルウィークの際に、クイズ特番ていうのもやりましたな。遠藤洋次郎がクイズの神様とか変なキャラで出た奴。
番組自体より、新聞のラジオ欄で如何に目立つか?に腐心したり。一行9文字×段数計算して文章を考えたりね。
クリスマスには、佐藤亜紀ちゃんと小山紗季ちゃんがミニスカサンタになってプレゼントをリスナーに即日届けるなんて企画も有りました。
自ら企画した物じゃ無く、営業案件で所謂「持ち出し」公開生放送というのも色々面白かった。
タウンクロッシング&ミントだと、ふるさと村の時は藤澤ノリマサさんの朗々たる歌声に圧倒されました。佐渡ロングライド前夜祭の日に、佐和田海岸にブースを出して佐渡観光特番もやりましたが、強風に悩まされましたね。
ある年は佐渡ロングライド翌日居残って、二ツ亀のホテルのロビーから公開生もやりましたね。放送前に皆んなでホテル玄関前で部分日食を見て興奮したっけw
前の記事にも書いたビタスイの公開録音には、首都圏からわざわざ遠征してきたファンの皆さんにも盛り上げて貰ったり。
はずのみ会では、毎回、オープニングは緊張してシーンとしていた会場が、お開きの頃には皆んな盛り上がって誰もアナウンス聞いてないわw なかなか帰ってくれなくて、機材を撤収出来ないとかね。
兎に角、新潟のリスナーさんたちには、色々お世話になりましたね。いつも振り回すような企画にお付き合い頂き、本当に有難う御座いました。
やっぱりラジオは楽しいメディアです。
これからもラジオを宜しくお願いしますね。
自己満足も、一人一人が楽しめば、皆んなの企画や!