FMPORT20周年(のはずだった)
今朝、天気予報を見たら…新潟に吹雪マークが付いていました。山沿いは豪雪の恐れがあるそう。新潟県民の皆さんお気を付け下さい。
でね。昨日ふと思い出したんですよ。
こんなツイートも見つけました。
(※もう局自体が無いので、貼り付けましたわ(苦笑))
実はこちら新しいバージョンで、以前は頭にお子ちゃまの生声が入ったバージョンを使用していましたけどね。覚えてる人も少ないでしょうか。
記憶が確かならば、2005年のクリスマス&開局5周年特番の際に某ディレクターが作った素材を元に翌年から、12月限定として始まった風習です。後から知ったんですが、埼玉のNACK5もクリスマスBGMを使用してたり、大阪のFM802は開局当時からクリスマスジングルを使用してたりしましたが、お天気・交通情報全てのBGMを切り替えるのは全国的にも稀だったんじゃないでしょうか。それほどリアクションは届きませんでしたが、毎年、ぽーてぃーちゃんカレンダーと共に楽しみにしていた人も多かったようですね。
さて、さまざまな報道の通り、今年:2020年6月末をもってFMPORT(新潟県民エフエム放送)は停波・閉局しました。
まあそのせいで、10月末に大阪へ戻ってきた訳ですが…。
時折、ネットニュースでも…この閉局とラジオ業界の現状についての記事など目にする事が有ります。
(参考)産経の記事
https://www.sankei.com/west/news/201130/wst2011300006-n1.html
しかし、大体の記事は経済的な視点から取材、編集されたものなので、内側の人間には”分かってまんがな”的な内容が殆どです。内側に居た人間として、またラジオ業界の長老として、さらにラジオ大好き人間として…別の視点でこの機会に振り返りたいと思います。
■開局20周年
2000年12月20日、FMPORT(新潟県民エフエム放送)が開局しました。もし局が健在だったら(執筆している今日から)6日後:今度の日曜日は開局20周年だった訳です。コロナの影響等無ければ、日曜の朝から大々的な特番(恐らく20時間生放送)が放送され、記念のイベントや無理して(笑)大物をオファーしてのライブイベント等も展開されていた事でしょう。(内側の人間としては想像すると多忙さでゾッとします(笑))
奇しくも今年6月30日最終日の放送で実現しちゃいましたが、過去のナビゲーターも登場してのスペシャルな振り返り特番も放送されていたんでしょうね。
個人的なところで、FMPORTで活動し出したのは2004年10月だったので、開局からの数年は知りませんが、当時は試行錯誤の連続で編成もキャスティングもめまぐるしく替わっていたようですね。
元々開局当時担当していたチーム(東京から来た)が、新潟県域3局目ということで、色々工夫したようですが、定着しなかった時期です。
我々大阪チームも参入した2004年秋改編以降は、ある程度の枠移動等あったものの、ほぼそのままのカラーで残り15年半は継続しました。
新潟に来た頃は、驚きの連続でしたね。
時報メロディーが鼓童の篠笛メロディーでしたし…
CM枠があまり埋まってなくて40秒しか無かったり…
週末チームのユニフォームがアロハシャツだったり(笑)。
なんだこりゃ?!と。
■自由なカラー
そう。ある種”なんでもあり”な”社風”。
通常、どこの局でも”縛り”というのがあるものです。
例えば自分がAD時代から在籍した開局当初のFM802だと”モア・ミュージック&レス・トーク””洋邦バランス7:3(※その後、配分は大きく変わりましたが)””アイドルは掛けない”とか。
また、系列局だと東京キー局やネットワークの都合の縛りがあったり、営業的な縛りがあったり。
例えば、JFN系では週末は全国ネットの55分番組がズラリと並ぶので、各局制作枠は毎時55分からの5分間のローカル枠だけだとか、平日朝は7時台前半と8時台前半は全国ネット枠があるので朝ワイドは中断せざるを得ないとか。
ローカルワイド枠でも、新潟でいえば…BSNもFM-NIIGATAでも、10分とか20分ごとに強制的にCMになる”確定タイム”が沢山設けられています。なので楽曲がフルで掛からず途中でフェードアウトする事が多かったですよね。
そういうのがFMPORTは殆ど無かったんですよ。
最初に担当した「タウン・クロッシング」の場合、午後1時の時報があった後は…午後4時前のエンディング迄”確定”一切無し(笑)。CM枠は毎時3本有りましたが”アンタイム”といって前後数分ずれてもOKでした。コレは制作側にはとても有難く、なるべく楽曲をフルコーラス放送することが出来ました。ゲストトークが伸びても無理に切らずにお別れできました。よくキャンペーンに来県したアーティストが「こんなにいっぱいお話しさせて頂いて嬉しかったです」とスタジオを後にされましたよ。
そういう物理的な自由さだけでなく、内容面でも自由でしたね。
冒頭のクリスマスBGM&ジングルもその1つですが、編成自体のコンセプトも、音楽・スポーツ・新潟の情報が柱でした。
当時はFM局といえば”音楽”メインというのがお決まりでした。でもPORTの場合、不思議と”なんでもあり”。一番驚いたのはスポーツ実況中継です。当時発足したばかりのプロバスケ:bjリーグの新潟アルビレックスBBの実況中継や、次第に本数を増やしていったJ1昇格したばかりのアルビレックス新潟の実況中継。FM局だから局アナなんていませんし、スポーツ実況アナなんていませんでしたが、東京の文化放送アナウンサーを迎えたり、元ニッポン放送:深澤弘さん(FMPORT東京支社長にも就任されましたね)を迎えたり、ビックリだったのが、FMPORTナビゲーターの立石を深澤さんが育てあげて、後半の10年位はメイン実況はタテくんが殆ど担当しました。
レギュラー番組を短縮して、実況中継番組が開始すると…
冒頭数分の前枠(提供クレジット、前CM)をスタジオから出すと、明けたら現場から前半の実況。中枠で一旦スタジオ進行があって再び後半実況。そして後枠でプレゼント当選発表や後クレ。2時間たっぷり。途中、音楽も交通情報も無し。FMなのに(笑)。
まあ埼玉のNACK5もライオンズの中継を昔からやってるそうですが、前後半45分CM無しという事は無いでしょう。
確か当時、新潟の老舗AM局BSNさんもサッカーアルビの中継をされてましたが、ハーフタイム以外のプレイ中もCMを挿入していた記憶が有ります。
通常の生ワイド番組でも自由でしたね。
朝のモーゲーなんて、声を出さなかったスタッフ居なかったのでは?
ニックネームを付けてもらって、変な物を食わされたり、滝行をさせられたり(笑)。毎週金曜になると延々リスナー投稿の川柳を紹介したり。名物教授の毒舌発言をそのまま放送したり。
自分が担当していた「ミント・コンディション」(午前10時~午後1時)では真ん中の11時台を特集枠にしてましたが、ゲストを迎える場合は、トークが盛り上がると11時台後半は曲無しで、そのままニュース・ウェザー・トラフィック、そして12時の時報を迎えましたっけ。
■飲酒放送!?
”自由”の最たるものが「はずのみ」でしょう。
酒を飲みながら展開したトークをそのまま流してたんですから(笑)。
酒蔵さんがスポンサーで、その社長がホストになって、ナビゲーターの立石と共にゲストを迎えてトークする…まあこういうスタイルの番組は多分全国見てもあるかと思いますが、スポンサーが用意した酒の”試飲”くらいだと思います。いや、実際、飲食店(この番組の場合、社長お気に入りの寿司店)に行って、収録機材を持ち込んで、出演者全員ピンマイクは付けるものの、普通にお造りや焼き魚、お寿司をつまみながら、社長が用意したお酒を”数銘柄数本”盃を交わしながら2時間半~3時間、飲み食いトークしました。
新潟らしく、お酒が強い方は多かったですが…中には収録途中、次第に顔が赤くなり、呂律が回らなくなったり…同じ話を繰り返したり。
その数時間あるマザー素材から”いいところ”を抜いて編集して、1本5~6分のトークにして、10週前後1シーズンとして放送していましたが…中には、シーズン後半、確実に喋り方が不安定になるゲストの方もいらっしゃいました。毎週お聞きのリスナーなら多分気付いていたと思います。
そんな収録なので、こっちは一発勝負(笑)。聞き逃さないようにトークの内容を逐一メモして、編集でどこを使うか?リアルタイムでチェックしながら”録れ高”を計算していました。
一応”形だけ”ペライチの台本を用意しましたが、基本はフリートーク。もちろん脱線しまくり順不同です。前半、話し掛けたところでお料理が来て中断してそのまま別の話題になって、終盤で思い出したように「そうそう」と復活する事も多々有りました。数か所に散った1つの話題を合体させて1本分5分に編集する事は日常茶飯事でしたよ(笑)。
人はお酒が入ると気分が上がってくるもので…
JAZZミュージシャン&シンガーのTOKUさんや、三味線奏者の史佳さんは、寿司店内で即興で1曲ライブを披露してくれたり。某タレントさんの時は、同席したマネージャーさんが収録後「あそことあそこは無しで」とダメ出しして頂いたり。そういう人が居ない方だと、後日電話で「多分あの話をしたと思うんですけど、あそこはヤバイんでカットしてください」とお願いされたり。よく有りました(笑)。
時効だから言えますが…小部屋で美味しく飲食する出演陣の隣の小上がりで収録していた自分と技術マンは、数時間飲食せずジッと耐えながら舌打ちしてましたっけ(苦笑)。だってすぐ隣ですからノドグロの塩焼きとかだと、香りがそのまま届くんですもん。自分は下戸なので良かったんですが…お酒好きな技術さんはずっと10年間気の毒でした。
■幸せを忘れずに…ラジオを忘れずに
まあそんな感じで、色んな面で自由だったFMPORT。
閉局後、約半年となりましたが、新潟の元ポートリスナーの皆さんは、お元気でしょうか。もう他局の放送に慣れたでしょうか。
主要DJが鞍替えした他局の番組、楽しんでますか?
DJのカラー、雰囲気は、そうそう変わるものではないので、普通に楽しめてる事と思います。でも”FMPORT独特の自由さ”というのは、ふとした瞬間に気付きませんか?
1つのコーナー枠が急転直下に終わってCMに行ったり、やたらと読みパブが多かったり、音楽がフルで掛からなかったり…
100%自主制作、独立局、何でも有りのカラーがあったPORTだからこその”自由さ”は、聴く側もノビノビとリラックスして聞く事が出来たと思います。大都市圏以外で、そういうラジオを19年半聞けた事は幸運だったと思います。
突然放送が無くなって、ポッカリと穴が空いたという方も多いでしょう。
前半でリンクを貼ったネット記事にもあるように、コロナの影響も有り、全国的にラジオ業界は苦境に立たされています。”こちら側”の努力も必要だと思いますが、意識して、ラジオを好きで居て頂ければ…そして、ラジオの面白さを広めたり、ラジオ仲間を増やして頂ければ幸いです。
少し早いですが…メリークリスマス。
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