【備忘録】2020年6月30日
三回忌。
って表現で良いんでしょうか?(苦笑)
2年前迄は、全国の民放ラジオは101社有ったんです。今は99局。2020年6月末のこの日、愛知県の1局と、新潟県の新潟県民エフエム放送(FMPORT)が閉局、停波しました。
あれから間も無く2年。
新潟から大阪へ戻りましたが、ラジオディレクターのお仕事は見つからず、日々日焼けする現場でのお仕事で食い繋いでおります。
勿論、そっちの仕事に呼ばれれば、直ぐにでも対応出来ると思いますが。
まぁ、この丸2年。専ら「外」からラジオの放送を聴いて過ごしていましたが、PORTの三回忌も明けるので「本職」への復帰も願って一発、あの日を客観的に思い出してみようかな、って事で記しておきたいと思います。
□ドキュメント20200630
5月下旬ともなると翌月末の閉局へ向けての段取りで多忙に。当時、生放送はミントだけだったので、収録番組の方が大変で、ケツが最終回で決まっていたから遅らせる訳にはいかず、なんとか日時を工面して録音する必要が有りました。
ライフステーション、はずのみ、ビタスイ、6月になると、それぞれ最終収録を迎えます。
シネマポートの最終回は「グッドモーニングベトナム」を最後の特集に選び、山のような資料を集めた渾身の原稿を作成、ケツを綺麗に纏めたいと、エンディングは確か3回くらい録り直しました。
生放送のミントコンディションも、過去に何度も御出演頂いた皆さんへお声がけしてサヨナラ特集を組みました。まぁ基本的には【普段通り】を貫きましたが、それでも次第に心のカウントダウンは迫っていた感じでした。
制作会議で、最後の日は通常と異なり、スポンサードコーナー無し、レギュラーコーナー無し、インフォメーション(ニュース、天気、交通情報)無し。って事で、通常放送は前日、自分が担当する6月29日(月)が最後となりました。
6月30日(火)、普段通りに起き、普段通りに9時に出社。自身のメールをチェックし、番組宛のメールをチェックしてビックリ。あのナオト・インティライミ氏からメールが。タテに確認したら直で「何かメッセージを」と送っていたそうで、その返事でした。が、添付ファイルが。
文面でのメッセージは勿論でしたが、直接声でのメッセージと弾き語りが付けられていたのでした。これは!と思い「音声データ来てるから編集しとくわ」とだけ伝え、オンエアでサプライズする事に。
当日担当のKディレクターに任せて番組打ち合わせそこそこに、自分はPCの編集ソフトとにらめっこ。
普段からそうですが、アーティスト側からのコメントデータは、ちょこちょこと編集して整える必要が有ります。そのままだと散漫になる「え〜」なども細かく切って聞きやすくするのです。
今回は弾き語りも。生音だと少しアッサリなので、僅かに調整し、リバーブ(エコー)を薄く掛けて整えます。
出来た音声編集データをサーバー登録ブースに入って登録、バックアップをSDカードにコピーして、生放送中のスタジオのポン出し端末へ立ち上げます。
さて、前番組のモーゲー(モーニングゲート)は例によって派手な最終回を演出。朝一番から飛ばしてくれます。最後は「いい湯だな」の替え歌で終了。CM無し、時報だけ挟んであとを受けるミントがやり難いったら無い(苦笑)。
結局堪らずタテもオープニングで触れてましたがw
自分は例によってナオト氏の編集を急いでたので、あまりミントの中身は前半聞けずでしたが、最終回は、卓に付くKディレクターを中心に、各曜日D、AD総動員で溢れるメールやリクエスト出し等に対応しました。
タテらしくアルビ関連のゲストが電話出演。と思ったらサプライズでスタジオに生登場とか、とにかく時間が読めない展開。まぁ番組内容が通常と違い真っ白だったので対応出来ました。
編成部長や社長への挨拶に訪れた女子アルビの選手を「折角だから直接タテに挨拶へ」と、そのままスタジオへ誘い、出演したり。
バタバタしたままラスト12時台へ。
例のナオト氏のメッセージ。多分、尺が10分近い長さが有ったのでタテ自身も勘付いてだと思いますが弾き語りもフルコーラスで流しました。受けコメントでの感激は素直に喜んでましたね。
エンディング、月曜の相方だった【すぐる】をスタジオに入れて二人一緒にリスナーへ最後のお別れをしました。
コレで2004年10月「タウンクロッシング」時代から15年半続いたチームは解散です。
さて。
自身のデスクは前の日まで大掃除していましたが、最後の荷物を回収して、一旦帰宅です。
一旦。
夜、午後8時からの閉局特番のお手伝い、というか、立ち会いが有りました。
直接の番組制作は、開局以来制作で頑張っていたYちゃんとTさん二人が仕切りますから関わってないのですが、過去から現在迄のナビゲーター、スタッフが大集合しますから、出ない訳にはいきませんよね。
19時半過ぎに再出社。
既に忘年会みたいな賑やかさです。
受付前の打ち合わせブースとか制作フロアとか、あちこちでパーティ?同窓会状態です。
感動的なビートコースターのエンディングの後、遠藤麻理と松本愛の気怠い(笑)オープニング。笑いの絶えない3階フロアでした。
自分も開局から数年は知らないので、みんなが懐かしがってるナビゲーターさんに「??」となる場面も多々有りました。
さて。
スタジオを覗くとADさん大騒ぎ。
とにかくメールがアホみたいに届き続けています。捌ききれてない!
スタジオの外は宴会状態なので気にしてない。
見兼ねて赤ペンを手にお手伝い開始です。
PCからどんどんプリントアウトして、プリンターから取り出したメールをチェック、赤ペンで記して「麻理へ」「愛へ」「昔の思い出」「ポートの思い出」とか見出しを付けて振り分け。
しかし時間を追うごとに、捌き切れない程メールが増え続けます。番組には昔懐かしいナビゲーターからのコメントや電話出演が有り、そのリアクションも加わりましたから。
スタジオ内にも入れ替わり立ち替わり生ゲストが訪れます。制作フロアは立錐の余地無し。奥の会議室なども人で賑わっています。
と、突然違和感有る人間が。
制作でもナビゲーターでも無い一般人w
喋り達者な学芸員:インディ斉藤氏が差し入れしに来てくれたのでした。多くの番組でゲスト出演していましたし、制作、ナビゲーターに知り合いも多く、するりと溶け込んでいました。この夜、唯一「身内」じゃない人間として閉局に立ち会ったのが彼でした。
さて。番組はクライマックスへ。
午後11時台。
メールは止まるどころか増え続け、紙が山のようです。このエコの時代に逆行する光景。だって捌き切れないですよ。
番組は相変わらず楽しいモードで展開、笑いも絶えず、懐かしトークも澱みなく。スタジオの外も忘年会モードの賑やかさです。
しかし残り20分くらいになると段々静かに。
遂に来たか。という雰囲気です。
FMPORTが入居するコズミックスビルの隣は広大なコインパーキングになっています。その向こう、マンションを挟んで信濃川が流れています。コインパーキングとマンションの間には小さな道路がありまして、信濃川の堤防(やすらぎ堤)や、この道沿いからだと、生放送中のスタジオを見上げる事が出来ます。
気付けば沢山の人影が。
後日ローカルニュースの特集で知りましたが、ラジオやラジカセ持参でリスナーの皆さんが集まって立ち会ってくれてたようです。
手に手に灯りを持ち、3階から分かるように振ってくれていました。
23:45にエンディングとは早いなぁと思ったら、長いパケ(素材)が用意されていました。
サイモンとガーファンクルと「明日に架ける橋」に乗せて歴代ナビゲーターによる最後のメッセージメドレーです。
制作フロア、隣の2スタ、マスタールーム(主調整室)、放送が聴こえるいろんな場所で全員がスピーカーに耳を傾けて静まり返っていました。
最後のナビゲーター(コメントのトリ)島村仁氏の声でパケが終わり、明日に架ける橋のアウトロが終わると、最後のアナウンスです。
遠藤麻理と松本愛が声をそろえて最後のお別れ。
「リスナーの皆様有難うございました」23:59:50 アナ尻から無音。9秒後 23:59;59 信号が途絶えプツッというノイズと共に、放送が完全に終わりました。何処からともなく「はぁっ」という溜息が聞こえ、ゆっくり拍手が。お疲れ様でした。という声が。
閉局とはこういうものか。というのが実感でした。
スタジオに溢れ返る人々。窓から下のリスナーたちに灯りを送り返すスタッフ。ブース内では記念撮影が。賑やかなようでシンミリしてるようで。なんとも言えない雰囲気が漂います。
外の制作デスクでもお別れを惜しむ人たちがなかなか帰らない。
そのうち、局のトップたちが「ゴミを片付けてよー」と指令が。そうです。テナントとしてのFMPORTは綺麗にして撤退しないといけない!7月1日朝には居てはいけない。というのも別の意味の寂寥感です。
片付けて深夜1時、裏口から外に出たら、雨が降っていました。リスナーの皆さんは、雨の中で立ち会っててくれてたんですね。
なんとも言えない感覚で当日夜はなかなか眠れませんでした。
後日聞いたところ、radikoプレミアムでの聴取、この時の放送がとんでもないシェアになって、全国多くのリスナーがFMPORTの最後を耳にしてくれていたそうです。
現在の99局の皆さん、リスナーの皆さんには、こんな経験はしてほしく無いですね。
あの電波が途絶えるプツッという短いノイズ。ラジオの絶命の瞬間。放送に携わる人間が最も恐れる音かもしれません。
いつまでもラジオを愛して下さい。
はぁ。ラジオの仕事したいなぁ。
オファーお待ちしています(苦笑)。