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大阪の血?

閉局からワンクール、やっと英断が下された。新潟撤退だ。
15年半ぶりに大阪へ戻る事になった。ネットで新居を探し、あたりを付けて先月下見で一度大阪へ向かった。大阪のど真ん中にしてはリーズナブルな家賃と収納の大きさで決めた。で…折角なので、新居の周辺を散策した。
表通りは昔ながらの人形、おもちゃ専門店が並ぶ”あの”エリアだが、ひとつ辻を曲がると、おっちゃんおばちゃんが行き交う坂のある下町。古い長屋や町屋が結構残っている。話によれば奇跡的に大空襲に遭わなかったエリアなのだとか。そんな下町のシンボルが空堀商店街。
映画にもなった小説「プリンセストヨトミ」の舞台になった商店街だ。

小説に出てきた”ような”お好み焼き屋はもちろん、冷やかし甲斐の有りそうな八百屋や乾物屋など昔ながらの商店、そして、最近出来たっぽい若いオーナーが経営する”こだわり”のお店などもある。坂の傾斜はさて置き、新生活に期待が膨らむ”ええ感じ”の町だった。

■ブラタモリ

4年ほど前…毎週楽しみに視聴していた「ブラタモリ」で「真田丸スペシャル」なる回があった。当時の大河ドラマに絡め、大阪城周辺を訪ね歩き、いまだ明確でない”真田丸”を探す…という企画だった。豊臣大坂城が難攻不落で徳川家康を悩ませた理由を解き明かす前半…城の北側を流れる川が自然の堀の役割を果たしたという話が出てきた。そして後半。上町台地の起伏と空堀の存在を掘り下げた後、いよいよ真田丸探しに向かう一行…なんと、三十数年前に見慣れた風景でロケしていた。
JR玉造駅から西へ向かうと空堀町という地区がある。その先、寺が立ち並ぶ一帯があって…その辺りが怪しい…とタモさんたちが探検していたのだ。
ロケ映像の端々に見慣れたフェンス。そう。これこそ我が母校だ。

三十数年前…地元貝塚の中学を卒業し、大阪市内の私立の高校へ進学した。併願より受かりやすいから…と専願で受け、なんとか合格したが…進学校だった為、結局落ちこぼれた(苦笑)。しかし三年間、毎日阪和線と環状線を乗り継いで大阪市内へ通う事自体が、少し”大人”な気分だった。

番組終盤、タモさんたちは…なんとその”母校”の門をくぐった。放送は11月だったがロケは夏場だったのだろう。いわゆるヨモギずぼんを穿いた生徒たちが歓声を上げて出迎えていた。一行は、三十数年前は無かった高い校舎の屋上から周囲を眺め、エンディングも空撮で母校が映された。そう、母校の場所こそ”真田丸”だったはず!という結論だった。
毎週楽しみに堺雅人の演技を見ていた視聴者としてはもちろん卒業生としても感激の回だった。勿論今も録画、コピーしたブルーレイは手元にある。
そんな事もあって、いつか母校を再訪したいと思っていたが、新居が母校から徒歩ニ十分ほどの場所になるとは…。

■”大阪”との縁

実家は大阪南部・泉州の貝塚だ。ただ幼い頃から”大阪市”とは何かとご縁があった。父親と母親は職場結婚だったが、その職場が元々あったのが天王寺。その後移転したのは、鶴橋と上六の間辺りだった。なので、母親に手を引かれる子どもの頃、勤め帰りの父親と合流するのが鶴橋だったり、通う歯医者も父のお付き合いで鶴橋だった。父の職場はさらに移転し、梅田ロフトの近所になってしまったが…高校選びの際、元・父の職場があった近所というのも少なからず要素になっていたのも事実だ。
職場が”あの辺”なので、お食事、お買い物は専らあべの近鉄だったし、少し御馳走となると難波だった。映画も南街劇場とか千日前スバル座。豚まんは551蓬莱より二見が好きだった。アイスキャンデーは北極。新喜劇といえば”なんば花月”。「大阪へ行く」=ミナミが当たり前の子供時代。梅田へ出るようになったのは…ずっと先だった。

あべの、なんば、鶴橋、玉造…と来て、次は京橋…ではなく南森町(笑)。
時代は飛んで(大学時代は神戸だったが…)就職したTV番組制作会社が、昔のYTV社屋のそば…東天満にあった。僅か1年でTVからラジオへ職を移し802に通う事になったが、定期券の区間は変わらず「南森町」だった。
日本一長い天神橋筋商店街がある…これまた”下町”エリア。ラジオ業界、時間が不規則というのもあって途中から一人暮らしを始めたが、その最初の部屋は…天満橋駅から天満橋を渡ってすぐ、造幣局の裏側辺りだった。
つっかけ履きで大川散歩出来る大阪市内でも緑豊かな地区だ。
そして…802を辞めて引っ越した。これまた北上。北区国分寺。天六から都島へ向かう橋の手前。斜めに突っ切ればJR天満駅までも10分。今は立派になったが昔ながらの天満市場の徒歩圏内。天神祭の花火は、ぷらっと”つっかけ”で出て2,3分歩けば見物出来る場所だった。梅田のWINSに自転車でチャリチャリ出掛けたりもした。東京出張から戻る飛行機だと、伊丹への最終着陸態勢時、窓から見下ろせばマンションが目と鼻の先に見えた(笑)。

■思い出の地、散策

今回の新居下見のついでに、そんな懐かしい場所を散策してきた。
何せ、空堀商店街がある町という事で、東へ行けば玉造。西へ行けば心斎橋。地下鉄に乗れば南には日本橋。北へ行けば天満橋も天満も天六もスグ行けるという好立地だ。
日本橋は子どもの頃から家電を買うのにしょっちゅう通った商店街。堺筋線「恵美須町」駅を上がってみて驚いたのが、昔見慣れた家電店がほぼ無い事だ。オタクの街になって久しいが、これ程迄に減ってるとは。ひと筋裏には上新電機1番館が健在だったが数日後に閉店と貼紙があった。もう店員と駆け引きする客は居ないのだろうな…と残念がって歩を進めると、懐かしい立看板を発見した。カツ丼の「こけし」。

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昔は、つっかけ履きの社長がタッパ持ち歩いて、ぶっとい沢庵をおかわりしてくれたっけ。以前の店舗の隣に移って小さくなったけど、味は昔のまま。沢庵は若奥さんに代替わりしてるけど、おかわりOKでした。

地下鉄で2駅。長堀橋駅を上がるとクリスタ長堀という地下街。ココを東の端にして西へ長く伸びていて…御堂筋線の心斎橋駅の向こうまで続く。地上には東急ハンズがあって、雑貨系を探す時は梅田のロフトに行くか?こっちのハンズに来るか、物によって判断したり両方で探したりしたもんですわ。丁度今は移転作業の為、休業中。無くなるといえば…古い話になるが、もうソニータワーも無い。用も無い(ソニー製品は割高だったので)のに上に上がって最新製品を触ったものだが…。そんなこんなで西進したら東端手前に懐かしい店を発見。ラーメン横綱。

昔からあるチェーン店でロードサイドに巨大な看板の店が多い。802に車通勤していた頃は夜中遅く、阪神高速堺線を下りて26号線を数分行った左手にある堺店でよく食べた。ネギ入れ放題で金属ザルに山盛りのネギを置いてくれる。それを思いっきり入れて、辛みそを放り込んで食うのがパターンだった。ので…それを再現してみた。

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食う前に撮ったのでスープが白いが、食い出すと赤く染まる(笑)。
正直「こんな感じだったっけなあ」と思ったが多分、眠い夜中に食ったのと、昼間に明るい店で食うのと違うのだろう。しかし、次第にネギ臭くなるスープに「これこれ」という記憶が蘇った。

空堀商店街を真っすぐ東進すると、ブラタモリでロケしていた道へそのまま続く。玉造の西側「空堀町」という地区、地図をご覧頂くと明らかだが、2本の道が狭いエリアに平行して通っていて…確かに「堀」の跡っぽい。
見覚えのある交差点から石垣沿いに坂を上がると我が母校。正門がある。
当時は毎朝、校長自らが立ち生徒は挨拶するのが”ならわし”だった。
正門から中を眺めたが、当時の面影が一切無いほど建て替えられていた。
在籍していた放送部の部室が学校のシンボルだった校舎てっぺんのマリア像の足元にあったので、残念でならない。
面影を探して、当時通学した通りを玉造駅まで往復してみたが…やはり35年のブランクは大きい。殆どの建物が変わっていた。そんな中、唯一”そのまま”だったのが大きな公園。一部遊具は変わっていたが、造りはそのままで、眺めてるだけで当時の記憶が蘇ってきた。入学した際の真新しい教科書の匂い…部活の合宿時、柔道部の道場から借りた畳の重さ、綺麗に整えられた中庭…その向こうから聞こえる軟式テニス部の球の音。巨人ファンで85年のタイガース優勝時…苦虫を噛み潰したような顔をしていた国語の先生(笑)。

玉造駅から環状線で10分。天満駅。新潟に引っ越す前迄住んでた町の最寄駅だ。改札を出て右手スグ、スラム街の裏通りのような狭い道を抜けると、天満市場に出る。今は近代的になってしまい、元の市場の辺りは屋台風の飲み屋等があり、週末だったので昼飲みを楽しむ人たちで賑わっていた。さすがにブランク16年でも、この辺は殆ど変わり無い。数軒ある焼肉屋も健在。ただその先、天六から延びる都島通の広い道に出ると様相が変わる。
当時、3日間で数万枚出させてもらったパチスロ店が巨大なビルに変わっていた。スロットの途中休憩して昼飯を食った喫茶店も今は無い。さすがに住んでいたマンションはそのままだったが、隣の団地の建物1Fにあったコンビニは無くなっていたし、通りを挟んだ向かいにあった書店は無く、小さ目のスーパーに変わっていた。

記憶を辿って、大川沿いの遊歩道へ下りた。ココは休日の気分転換で良く散策したり自転車で走った道。週末だったので結構人通りが多かった。そして、変わってない…というか変わり様が無い(笑)。川向かいには桜宮公園があり、何故か地車囃子(岸和田風でなく、龍踊りの方)が響いてきていた。暫く南下するとオークラホテルの裏だ。ココは公園風に整備されているが…草ボーボーで驚いた。開業の頃はスッキリしていたが、20年近い時の流れを実感した。多分ホテルの敷地外で、ほったらかしなのだろう。
さらに南進すると造幣局があり、川向うに高いビル群、その狭間に大阪城の緑色の屋根が小さく見えてくる。この辺、当時は野良猫が多く、手作りテントでこっそり棲んでるおじさん達と共に名物だったが、猫の姿は一切見ず、おじさんのテントも1,2張り残るだけだった。

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何かと不遇(苦笑)の朝ドラ「純と愛」でも映っていた川崎橋はやっぱり画になります。この橋の袂のスロープを上がると…802時代に住んでいた街。造幣局の南側にある。25年前だから様相が変わるのは当然だが、当時住んでいたマンションの隣にあった青果店も、その先、角にあった行きつけの喫茶店も、マンションの反対側にあった蕎麦屋も一切無くなっていた。
マンションの1Fにあった建設会社も無い。正にゴーストタウン。
同じような大阪市街地でも、地区によって変化の度合いが違うものだ。

寂しくなって、ホテルの方へ戻りに…天満橋を渡った。

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この感じ。街も時代も変わっても、この「川の都」の空気感は変わらない。遠くに見える夕陽と逆光で影になるビル群を眺めながら、少し安堵して、上町台地の急坂を上がった。

■しっくり来る

可笑しな事に、コンビニでもいろんなお店でも宿泊したホテルでも、(当たり前だが)スタッフさんは大阪弁アクセントなのだが、こちらは自然とアクセントが標準語になってしまう。16年の経験とは恐ろしいものだ。意識しないと大阪弁アクセントが出て来ないとは。もちろん普通に会話する時は、ナチュラルに大阪弁だが、対外的に(営業的に)語り掛ける際に標準語アクセントにするというのが刷り込まれていたのだ。大阪在住の時代は、自分で標準語アクセントを発するだけで”さぶいぼ”だったのに(苦笑)。あと数週間で全てリセットできる。

十年ひと昔だから「ひと昔半」。言葉以外にも多分身体も新潟に慣れてるだろう。気温にして年間平均数度~5度は違うと思う。冬の寒さには強くなってるはずだが、大阪の夏の猛暑には対応出来ないかも知れない。日本海を渡る湿気の多い空気のせいで、冬場の湿度は低くないから、乾燥した大阪の冬の空気にもヤられるだろう。すぐ風邪を引くかも知れない(新潟では殆ど風邪を引く事は無かった)。ある時から「もしかしたら新潟に骨を埋めるのかも」とさえ考えていたりした。
まさかの放送局の閉局。そんな衝撃的な出来事が無いと大阪へ戻る事は無かったかも知れない。

しかし、今回丸二日、総延長距離22キロほど大阪の街中を歩いてみて”しっくり”来る感触があった。大阪の心地よさというか。どこまで歩いても辛くないこの感覚。気のせいか?と思ったが、飛行機で1時間半…新潟へ戻ってみて、奇妙な違和感を覚えた。やっぱり違うのだ。
長く棲み付き、暮らす内に麻痺していた”ここではない”感。街の居心地が悪い訳ではなく、収まりが悪い微かな感触。その土地にはその土地の空気があり、棲む人々の文化、風俗がある。長年掛けてそれに馴染んだとしても、それは、その土地の人間になった…という訳では無いのだ。
結局自分は大阪の人間なのだと気付かされた。
どうだろう?進学、就職を機に首都圏へ移り住んだ多くの人たち。すっかりTOKYO人になった”つもり”で生きていても、実は、自分の”地元の血”が、かすかな違和感となっているのではないか。
ここ数年、新潟にもUターンで戻り、独自に活躍する若い人たちが増えている。それは、その微かな違和感から自然と新潟に足が向いたからかも知れない。数億ピースのパズルがピタッとハマる感覚…その血に素直に従ってみるのも、長い人生の何処かのタイミングで、いいかも知れない。

あと数週間、大阪の血を戻します。
16年間お世話になった新潟の皆さん、有難う御座いました。

■大阪国

新居の下見から新潟に戻ってきて、真っ先にした事…プリンセストヨトミの文庫本を既に荷造りした本の段ボールから引っ張り出してきての一気読み。そして、TSUTAYAで映画版を借りてきて観た。

会計検査院の面々と大阪の人々の濃密な一週間半の出来事を描いたファンタジー小説…その舞台こそ空堀商店街とその周辺、そして大阪城だ。今回の大阪散策の空気感が新鮮なうちに味わいたかった作品。
映画版の方は”いかにも”な大阪描写が鼻につく部分もあったが…。
親から子へ…と継がれる大阪の血。映画だけ見た人は滑稽さしか残らなかったかも知れないから、是非万城目学の原作を読んで欲しい。大阪の人は、きっと自分の中の”大阪の血”を再確認出来るだろう。その以外の地方の人も、自分の中の”地元の血”を思い出すに違いない。自分は多分近いうちに”大阪人”になると確信した。(本当の意味ではもっと先になって欲しいが ※ネタバレになるので、ハッキリとは書かないが読んだ人には分かるはず)

引っ越したら、空堀商店街を存分に楽しもう。豚玉も食おう。休みには大阪城にも登ろう。そして…徒歩数分にある榎木大明神で巳(みい)さんにもお参りしよう。『女の子になれますように』(嘘)wwww
(ところで、どこかに瓢箪、売ってるかな?)




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