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作業科学の歴史

 以下、「Occupational Science for Occuational Therapy」のなかの作業科学の歴史の日本語訳です。訳の正確さには責任を負いかねます。以下の点で学びがあります。
 ・作業科学にはアメリカ、オーストラリアでの起源があり、それらの違いと特徴
 ・作業科学を学ぶのに良い本
 ・作業科学の研究動向がわかる文献
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作業療法から作業科学の出現 
 作業科学は、作業療法の必要性からの応答として形がづくられた。それは、最も早期の専門職の発見者の信念や価値に基づく。例えば、科学に焦点化をして作業行動理論をつくりあげた、作業療法のリーダーであるマリーライリーによるものである。彼女の生徒であるギャリ―キールホフナーやジェニスブーケ(Janice Burke)は、作業療法の歴史的な知識基盤は、生物学的なアプローチからパラダイムをシフトさせ、より全体論的な、作業に焦点をあてたパラダイムの方へ向かったと述べている。Gail Fidlerはまた、そのシフトを認識していた。スレーグル記念講演のなかで、Elnora Gilfoyleは、”作業の科学”のための文化の変化に呼応する良く似た専門性の変化であると述べている。Elizabeth Yerxaは、作業療法は、自律的で、本物で、自己言及的な専門職であるために、作業に根ざしたユニークで倫理的な知識を求めていると彼女の懸念を繰り返し表現していた。

作業科学の最初の起源
 公的な、作業科学の最初の起源は、南カリフォルニア大学でのことであり、1989年に、作業科学の博士課程を始めたことによる。しかし、重要な出来事により、数年のうちにその道がとん挫した。
 Dr.Elizabeth Yerxaは、1976年に、作業療法の実践に長期間関わる部門を建立するために、その部門のトップを集めた。彼女の夢は、自律的な専門職を供給するための作業の科学に着手することだった。最初の博士課程の計画は、1970年代に開発された。しかし大学は、それを却下した。学究的世界は、高い生産性を持つ研究者を必要としており、新しい博士課程のためのサポートを集めるために変化をしていた。部門の研究能力を高めることは、Dr.Elizabeth Yerxaのキーとなる戦略となった。彼女は、クライエントの声や生活における作業療法の価値のために倫理的適合を提供する質的研究アプローチを専門職のために擁護した。
 1980年代のあいだ、Dr.Elizabeth Yerxaは、彼女の学部のすべての人に呼びかけた。彼らは、まったく異なる研究領域に従事したため、科学者を訓練するための最初の博士課程プログラムをデザインし、新しい科学の概念化を集中的に行うためであった。彼女は、彼女を部門を、個々の研究者のグループから、新しいディシプリンの後、パワフルな探求をするチームに変化させていった。私の最初の学究的な仕事は、このワークグループをサポートするスペシャリストのプロジェクトであった。研究者を導く一連のプロジェクトは、内容、方法、金銭的援助、公刊、学際的共同、ユニークなディシプリンの形成といった相談のできるチームを供給した。博士課程のプログラムのデザインとして形づくり、学部のメンバーや、学生への支払いを加えた新しいプログラムのサポートのためにBureau of Maternal and Child Health(MCH)へ提出するための資金計画も準備した。博士過程は大学に受け付けられ、MCHの資金援助も獲得した。Dr.Elizabeth Yerxaは、彼女がそれをもたらすために懸命に働き続けた新しいディシプリンの祝いのまっただ中で辞職した。
 Dr.Florence Clarkは、1989年の終りに、作業科学の博士課程プログラムをスタートする最初の部門のトップとして受け入れられた。新しいプログラムの最初のクラスの学生7人は、すべて作業療法士であった。そして、私は、そのなかの一人であった。それはエキサイティングな時間だった。教授や学生は、作業の科学を創造する私たちのプロジェクトの答えを探し、研究方法の世界を一緒に探索した。MCHによるサポートによって、1周年の作業科学シンポジウムが開催された。数年のうちは、このシンポジウムのコーディネートは、私のパートタイムの仕事であった。最初のキーノートは、チクセントミハイによるものであった。彼は、プログラムの開発段階の間、相談に乗ってくれていた。同時に、学部では、彼の研究のなかに、楽観的な経験や彼の使用する経験をサンプリングする方法がデータを豊かに検証できること、作業の科学を下支えする方法の見通しのきく手引きを発見したのであった。
 作業科学を始めた頃の博士課程のプログラムは、専門職は、専門職は、より知るために騒々しかった。Dr.Elizabeth Yerxaは、1989年に最初に公刊されたOccupational Therapy in Helth Careにおける作業科学の特集のなかで、紹介をしている。1991年には、American Journal of Occupational Therapyのなかに、初めて作業科学の記事があらわれ、作業療法の基礎となる知識を助けるための基盤となる作業の科学の可能性という記事であった。もちろん、大学間の競合により、いくつかは差し戻されたが、介入に焦点をあてた専門職のための科学として役に立つための批判と防御が行われ、高い独自性を持った生産物が掲載された。こうした挑戦にもかかわらず、作業科学は、博士過程の学生の新しいグループを持つUSCと、毎年行われるシンポジウムでの道のみであった。

作業科学の第2の起源
 作業科学は、南カリフォルニアで展開し続けた。新しい科学は関心を持たれ、オーストラリアでも成長をした。1993年、Ann Wilcockのリーダーシップのもと、Journal of Occupational Science が、オーストラリアで公刊され始めた。作業に関して学際的な視点から描くことによる記事が開発されている。それと同じ時期に、南カリフォルニア大学の作業科学における博士課程プログラムで、初めての修了生が誕生した。Dr.Shema Krishnagiriである。博士課程修了生は、その後も次々排出された。作業療法部門かどうかがわかることの心配は、学究的であることを歓迎したのだろう。1996年、最初の作業科学の本である、Occipational Science :The Evolving Discipline、が公刊された。編著者は、zemkeとClark、そして、シンポジウムキーノートや、博士課程のセミナーの論文、早期の学生が含まれている。1996年に、私は、フルタイムで研究をした7年後終了をするという感動を味わい、そして、Creighton Universityに受け入れられた。Dr.Wilcockは、オーストラリアのCommunity Medicineで、博士課程を修了した。彼女はすばやく、学位論文を改変し、作業科学の第2の本として出版をした。それが、TheOccupational Perspective of Healthである。すぐに、Wilcockは、ユニークで学際的な作業科学者教育を始め、作業のコミュニティヘルスの概念化をした。
 2つの歴史的起源における科学の描き方の異なりは現在でも続いている。今日、アメリカの作業科学は、より、作業療法の自律性と効果をサポートするであろう戦略的で学際的な研究により焦点をあてている。オーストラリアの視点は、人工的なレベル、作業的公正の関係、大きなスケールで見た作業のパターンから捉える政策的変更の必要、学際的な研究を強調している。そのような訓練の表現された目的の重要な違いは、訓練を広げ、専門性を関連付ける超越や統合に至る作業科学を要求し、科学の成熟のための創造性を産出している。 

理論と研究のボディの成長
 成熟した訓練の特徴は、理論や研究のボディが生産されることである。開始依頼の作業科学の成長は、本の公刊や作業科学の記事のドラマティックな増加として早々に見られている。
 作業科学における最初の2つの本は、それらの2つの起源からやってきたものである。つまり、ローズゼムケ・フローレンスクラークの、Occupational Science:The Evolving Discipline、ウィルコックの、An Occupational Perspective of Health、である。2000年に、本は、よりしばしば出版されるようになった。作業療法学生向けの3冊の入門書が2003と2004年に出版された。それらは、Pierceによる、Occpation by Design:Building Therapeutic Power (2003)、Betty Hasselkusによる、The Meaning of Everyday Occupation(2002)、Charles Christiansen とElizabeth TownsendによるIntroduction to Occupation:The Art and Sciece of Living (2004) 、である。2004年にはまた、作業科学に関する2つ新しいタイプの本を見た。Susan EsdaileとJane Olsenによる、Mothering Occupations:Challenge,Agency,and Participation、は作業のタイプに特化した研究を集めたものである。Matthew Molineuxによる、Occupation for Occupational Therapistは、セラピストのために特別に書かれた最初の本であった。Gail WhitefordとValerie Wright-St Clairは、非常に理論的な論文を集めた本を出版している。タイトルは、Occupation and Practice in Contextである。2006年には、先のウィルコックの著書の2版が出版されている。2008年には、Moses Ikiuguが、人間作業の生態学的なインパクトについてのエッセイを公刊しており、タイトルは、Occupational Science in the Service of Gaiaである。Katherine MatuskaとCharles Christiansenは、2009年に、Life Blance:Multidisciplinary Theories and Researchを出版しているが、これは、作業や時間を使うことに焦点をあてており、作業科学のなかでも新しい方法としての学際的なコレクションを紹介している。2011年には、先程のThe Meaning of Everyday Occupationの第2版が出版された。最近のものとしては、理論的なコレクションとして加えられるものとして、Cutchin とDickieによる、Transnational Perspective on Occupationや、WhitefordやHockingによる、Occupational Science:Society,Inclusion,Participationがある。(どちらも2012年出版)この作業科学に関わる急速な出版の増加は、学術的な成長を明らかに示している。この作業療法のための作業科学は、このリストに加えられる。この本は、実践をサポートする研究の仕方についての多様な作業科学の統合された情報を供給する。作業科学の本を公刊したり貢献している学者が導く多くはがここで紹介されている。
 作業科学研究の成長は、3つの研究で良く示されている。Molke,Laiberte Rudman,Polatajkoは、1990年から2000年出版された作業科学の出版物を比較した。その期間の間は、4分割からなり、より国際的な著者が含まれ、作業的公正などの新しい概念が加わった。Gloverは、11年以上作業科学の記事を検証し、1996から2006年を通して、良く似た結果が見出せたとしている。つまり、記事の増加、質的のみの研究と同じ程度、量的なスタイルの記事の増加、そして、障害のある人に焦点をあてていないっ記事の増加である。Gloverはまた、Journal of Occupational Science と学際的な著作の間での組織化を見出した。
 最後に、私と私の同僚のグループは、2002年から2006年の間で、アメリカの、The society for the Study of Occupationで掲載されている5年間の研究の最初に掲載された内容を分析いさt。108のデータがあり、たいていの研究されたグループは、障害のない大人の女性、46%の研究が、障害があるか、不利益のある人の作業についての研究であった。研究は、4分の1のテーマが、流暢であることの低下に焦点があたっていた。つまり、個人の作業の経験や、作業の文脈が、特別な手作業や、日常生活活動などで変化するといったことである。およそ12%が、個人の経験の個別的な訓練に焦点をあてていた。67%が、グループのなかでの人々の作業を見ていた。21%が、2者関係における共作業や、コミュニティでの相互的な出来事を見ていた。
 若い科学の初期の数年は、多様な背景ともつ作業科学者が、作業科学は何かや何をすべきかを明らかにしていた。研究のデータのサポートなしに訓練の未来を作るための時間は過ぎ去った傾向にある。この本は、科学のなかの研究の仕事を中心にすえたしっかりとした変化に注目している。   

作業科学の学問の文化
 
基本的な知識の開発を超えて、作業科学の成熟の重要な特徴を加えると、学問の文化を明らかにすることである。パイプや、ふと綱や、都市の道を下支えする基礎のようなものである。学問の構造を組織化したり、学問を建立してきた必要な基礎を供給してきた25年以上作業科学によって創造されてきた雑誌に込められたことである。
 作業科学における最初の学問的な学位は、USCにおける作業科学の博士号であった。多くの最初のプログラムの修了生が、学究のなかで作業科学のさらなる開発を、USを横断し、グローバルに行っている。作業に焦点化した博士課程のプログラムを加えることは、すべての作業療法部門で始まっている。つまり、ノースカロライナ大学、チャペルヒル、西オンタリオ大学での作業科学の博士課程、トーソン大学の作業科学の修士課程、コロラド大学における、作業とリハビリテーション科学の博士課程である。私自身の勤める東ケンタッキー大学を含む、いくつかの学部では、作業療法における大学院プログラムのためのすばらしい準備を供給する作業科学の学士号プログラムを提供している。さらに、おそらく、学究の場における象徴的な変化は、作業科学を含むように名前を変更したりしている。明らかに、この若い学問の文化は、作業療法文化を通して急速に広がっている。
 学問文化のカギとなる明示は、それの雑誌である。Occupational Scienceの雑誌は、20年近く公刊され続けている。1993年、オーストラリアで、その雑誌は始まった。アンウィルコックがリーダーシップを取り続け、編著の意図は、学際的な学究であり、そして、介入に関係する研究を公刊しないことであった。記事には、”文化人類学者、倫理学者、人間の地理学者、作業科学者、作業療法士、心理学者、社会学者、社会生理学者、つまり、様々な学究をする人を歓迎します”と。実際、ヒューマニスティクな視点や作業の研究に貢献できた。他の雑誌には特集として作業科学があった。それには、AJOTやSJOTが含まれる。
 学究的な文化は、その仕事を聴いたりシェアしたりするための好機を研究者に供給するための組織化をし続けることをしてきた。最初は、USCの1年に一度のシンポジウムであった。これは、1989年に始まり、演者がテーマに沿って選ばれるという特色があった。この方法で、偉大な学者の視点が、作業科学者の注意をもたらした。Andrew Abbott、Mary CatherineBateson、Jerome Bruner、Mihalyi Csikszentmihalyi、Jane Goodall、Steven Hawking、その他の人たちである。1995年には、日本で年に一度のセミナーが始まった。そして、1997年には、オーストラリアでシンポジウムが始まった。
 作業の研究の社会は、例えば、アメリカは、1999年に、USCシンポジウムを計画したが、2000年には許可を得て、2002年に年に一度の最初の会議を開催した。これは、作業科学を慣行とするような新しい組織での開催であった。つまり、研究や理論のプログラムを仲間同士でレビューしあうという形式の研究社会であったのである。地域的な作業科学の組織は、いまや、世界中に広がっている。具体的にみると、カナダ、ヨーロッパ、日本、インターナショナルソサイエティは、バーチャルで供給している。それとともに、社会構造は、作業科学者の講演、普及、学問的成功をサポートすることを通して、作業科学の学究的文化を前へ進めている。 

文献
Occupational Science for Occupational Therapy 2014 Chapter1 pp4-8

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