台所の隅、割烹着が下がるその一角
祖母は、奥ゆかしくて面倒見がよく、黙って野良仕事や家のことをせっせとこなし、祖父の横にちょこなんと寄り添っては、よく笑っているような、かわいい人でした。それでも、芯は強くて、曲がったことが大嫌いで。でもそれを言葉にすることはなかった。
いつも優しく、家に帰ると「横んなっとんなさい」ばかり言っていた祖母。お茶やお花、書道など、先生をやるほど様々なことに長けていたのに、それをひけらかしたことは一度もなく、ただ淡々と、黙ってひとつの仕事から次へ、次へと手を動かしているようなひとでした。
教えるということをしていたにも関わらず、とても人見知りで人に合わせるのが苦手で、仏事などで大勢人が集まると、自分の家なのにとても居心地悪そうにしていて、すぐに台所に引っ込んではお茶を入れなおしたり、お菓子の準備をしたりしていた。
その祖母が他界してから、誰も住まない空き家となったその立派な屋敷も、随分前に取り壊されて、今はもうありません。
そうなる前にわたしが撮った写真や動画が、今日久しぶりに出てきました。
台所の隅、割烹着が下がるその一角にひっそりと掲げられた色紙に、祖母の字。
高齢者の生活態度
1 感謝する
2 考える
3 忍耐
4 笑う
そして、福笑いの絵。
わたしは、ここに書かれていた「忍耐」という言葉について思う時、それは不都合を我慢するであるとか、苦難を乗り越えるとか、そういう意味とは全く別のことを思い浮かべます。一般的な意味合いはどうあれ、少なくとも祖母の書いたこの字には、そういう意味以上のものがあったなと、空を見上げながら思うのです。
祖母がいつもうつくしかった理由は、その二文字が「想像力」と「続けること」を示唆していたからだと思う。
どんな理不尽も、苦しいと思うことも、そこに道理を求めるのではなく、それを受け取ったことを自分の使命として捉え、その意味を想像し、創造し、手を動かし続けていく。
そこには、外野への弁解も弁明もなく、ただ自分を納得させるためだけにある連続的な努力がある。
いまのわたしを、祖母が見たらどう思うだろうか。百合子さん。
わたしは今、あなたのように歩けていますか。
学生時代、優しくなろうとすることと、優しいふりをすることの違いは何であろうか、と考え続けた若者の成れの果て。
わたしはそのどちらからも遠ざかって、そうすることを前向きに教えられ、信じて疑わない人たちからも遠ざかって、真の思いやりとは何か、ということをもう一度ひとりで考え続けています。
死ぬまでに、ひとつくらい分かるのだろうか。
迷わないことは、必ず正解なのだろうか。
祖母は答えない。ただ、毎日感謝し、考え、忍耐し、そして笑いなさい、と教えてくれる。