Cosy Koji は本なのか
3週間の限定販売を終えた。
8人のチームで、約半年。初めてミーティングをしたのが、今年の4月25日。もう、その時にはページを作り始めていた。
「一緒に、触れられるものが欲しいんだ」
「今、一緒に眺めてる景色を実体化したい。それは本になると思うけど、読むのではなく眺める本。しんどくない本。ほっとして、安心できる本」
「みんなが欲しいと言ってくれたわたしの講座の内容をもとに書くけど、わたしの麹づくりのスタイルを押し付けるような本にしたくない。何よりわたしだけの本にしてはならない。それはうつくしくない」
「一般的な出版という形にとらわれず、まずつくりたい」
「この本はたぶん終わらない。でもそれでもいい。一緒に育ててほしい」
「もし、何か書きたいと思ってくれたら、あなたのページも作りたい。そうしたら、あなたの近くにいるひとが、あなたにたどり着くチケットになる」
「全部説明するような本はもういらない。それより余白をたくさん残して、その部分を手に取ったひとが、教える側としてでも、分かち合う同士でも、行間を体験で埋めていくようなものにしたい。言葉足らずの本を作りたいんだよ」
思いつくままに伝えて、みんなはただニコニコして、いいじゃん、やろう、とだけ言った。
あれから7か月か。Cosy Kojiは本当に本になった。まだ、仮印刷の段階だけど、限定予約数がはるかに予想を上回ったので、オフセット印刷に切り替えたのだ。こんな数になるとは思ってもいなかった。
販売数だけをさらに伸ばす方法はいくらでもあったけど、それよりもわたしたちが望んでいたのは、必要な場所へ届くこと。
文字通り、チーム内ではCosy Koji は赤ちゃんのように育ててきて、一冊一冊を里親に出すような思いで製本に入る。
その想いを感じてくれる人が、自分のために買ってくれたり、活動のために活かしてくれたりすることになって、わたしたちは喜びで溢れている。
まるで菌糸のようにお互いを支えあって、想いを伝え合って、一緒に成長していく。そこにはただそれぞれの役割を果たし、人間のエゴからはかけ離れた純粋な思いだけがある。それだけが、今わたしたちを繋いでる。
こんなに尊くて、眩しい。
本のような。譜面のない楽譜のような。道のない地図のような。
Cosy Koji は、あなたの自由を肯定しかしない。
正解は、わたしたちがつくっていくんだ。
もうすぐ、うまれる。
世界中のたくさんの手に、待ち望まれながら。