青春18きっぷは自由を手に入れるための切符だった
高校時代、インスタのbio欄に「愛と希望の青春18きっぷ」みたいなことを書いて、クラスメイトに馬鹿にされたことがあるやつはいるか─────
私にとって18きっぷは、そのぐらいの憧れだった。
18きっぷの存在を知ったのはいつだったかわからないが、母親から、「大学時代に、友達と18きっぷで一緒に富山の実家に帰省してきたことがある」という話を、たまに聞かされていたのは覚えている(東京から中央線を遡り、大糸線まで乗りつぶしたところで日が暮れてしまい、心細くなって糸魚川から特急課金して実家まで帰ったらしい。バカなの?)。
そんな青春18きっぷが、この冬リニューアルされる。
端的に言って、前の18きっぷの方が断然よかった。
その最大の理由が、従来の形の方が「移動弱者」をより救うからだ。「移動弱者」という言葉はおそらく実在しないが、私が勝手に作った(これは交通工学などの分野で言われる「交通弱者」「移動制約者」などとは意味合いが異なる)。
そして「移動弱者」として私が具体的に想定するのは、「子供」「学生」「若者」「地方出身」「女性」などの属性を併せ持つ層のことだ。もちろん他にも「移動弱者」と言える層はあるかもしれないが、上に挙げた5つの属性は私の経験で保証できるため、今回はこの5つに絞る。
18きっぷが「移動弱者」を救うのは、周知の通り、主にその価格の低さと、乗り降り自由という点によってである。この点は今までの18きっぷも、改定後の18きっぷもほぼ変わらない。
しかし、今回改定が加わった「連続する3日間または5日間有効」「複数人での使用不可」という点は、「移動弱者」にとって明らかに不利であり、若者や女性の可能性を極端に狭める。大袈裟ではない。その理由と重要性についていまから訴えたい。
私と18きっぷ
私は北陸とかいう地獄の3セク地帯で育った。生まれた時はまだJR北陸本線だったが、小学校低学年の時に新幹線が開通し、西に行くにも東に行くにも第3セクター、どうしても18きっぷが使いたければ、5時間かけて高山線を南下し岐阜か名古屋まで出なければいけないという、秘境の地で育った。だからずっと18きっぷに憧れがあった。
というか、18きっぷ自体への憧れももちろんあったが、「どう頑張っても移動に金がかかる」ゆえに「自力で県外に出ることができない」ことを嘆いていたのである。
田舎のクソな点として、「親の車に頼らないと(≒車を持つ親の機嫌を伺わないと)どこにも行けない」ことがたまに挙げられる。
自分1人で行きたい場所へ自由に行けたら、どんなにいいか…免許を持たない、かつ鉄道好きの自分にとって、18きっぷでいくつも県を越え知らない街にたどり着くというのは、ずっとずっと夢だった。
晴れて大学生になり、最寄りから18きっぷで旅ができるようになった。さて、どこに行こうか。いきなり1人で5日間も旅ができるとは思えない。それに5回分とはいえ、全て自費で賄うとやはり出費は痛い。
結局私の18きっぷデビューは、実家がある富山から特急ひだ(これもずっと乗りたかった)で名古屋まで出た後の、東京までの区間に決まった。同じく1人で5回分使い切る予定ではなかった友人と折半し、友人が使い終わった後を引き取って、夢の18きっぷを初めて手にした。
18きっぷで旅をしている間、私はこんなに強く在れるんだ、と感動していた。憧れの18きっぷを手にしているから、というよりは、自力で移動していること、しかも家と学校の行き来とかではなく、全然行ったことも通ったこともない街を、1人で移動していること、車窓を楽しんでいること、途中下車して知らない街の食べ物や景色に親しんでいること、その全てが、自分の成長を表しているように思われた。このままどこまででも行きたい、いやどこまででも行けそうだ、行ってみたいと思った。
すっかり(案の定)18きっぷの虜になった私は、長期休みや帰省の度に18きっぷを買い求め、友人と折半し、あるいは友人と共に、さまざまな県を訪れた。沖縄以外の全都道府県に行った。
行く先々で、私は日本の大きさを、国土の豊かさを知った。さまざまな大きさの山がある、地形がある、田畑がある、植わっている作物が違う、海の色が違う、街の大きさが違う、建物が違う、下車すればもっとわかる、食べ物も違う、言葉が違う、地域の祭りがある─────。
18きっぷのおかげで、私の世界は文字通り「広がった」。日本はこんなにも、隅から隅まで美しい土地だ。その発見は田舎育ちの私には革命的な出来事であり、今の私の価値観にも多大な影響を与え続けている。
JR沿線の都市で育った人には、この「革命」はもっと早くに起きたかもしれない。いずれにせよ、我々の世界はビッグバンのように爆発的に、急速に広がったのではないはずだ。まずは友達と一緒に、1日だけのお出かけから、その次は1泊だけしてみる、1人で行ってみる、あるいははもう少し遠くまで行って、数日滞在して帰ってくる。そういう試行を繰り返しながら、人々は見知った街を増やしていく。何度も訪れる。その過程の中で、18きっぷが果たした役割は計り知れない。
私と18きっぷと女友達
そうして私は長期休みの度に18きっぷを買って、遠方へ出かけたり帰省したりして、その様子を逐一インスタグラムに投稿していた。
その様子を見て、ある友人が連絡をくれた。「私も1人でボーッと電車に乗乗って、少し遠くの街へ行ってちょっと遊んで帰ってくるような、そういう旅がしてみたいから、おすすめの路線や行き先があれば教えてほしい」と。
その友人はずっと東京で育った女の子で、親戚もほぼ都心に住んでいるため、家族旅行で県外に行く以外は都外に出たことがない、逆に東京近郊と呼ばれるような、北関東や千葉埼玉などの郊外地域にはあまり行ったことがないと言っていた。それならば、高崎、宇都宮あたりに日帰りで行くのはどう、と提案してみた。彼女は友達から18きっぷを1回分だけ買い取って、高崎に行くことに決めたらしい(ヨシ、それならば八高線に乗ってこ〜い!とおすすめもしておいた)。
結果、彼女はそのひとり旅をすごく楽しんだようだった。「東京なのにこんなレトロでかわいい電車も走ってるんだね〜!」と八高線の写真を見せながら嬉しそうに報告してくれた。「高崎も、遠すぎではないけど遠出した感あって、いい距離感だったしいい街だった」「他の東京の近くの都市にもお出かけしてみたいな」とも言ってくれた。
これこそが、18きっぷの真髄と言えるだろう。笑ってはいけない。自力で移動した経験のない者が、またその力を持たなかった者が、自らの意思で目的地に赴き、見たいものを見、食べたいものを食べ、知らない街を楽しみ、安全が確保されるその日のうちに自分の家に帰ることができる。これが自由への一歩ではなくて何であろう? 18きっぷは、まさにこの一歩を後押ししてくれる、魔法の切符だったのだ。
「連続しない日程でも」「複数人でも」 使えることの重要性
上に挙げた2つのエピソードで重要だったのが、18きっぷは「連続しない日程でも」「1日のみの使用でも」「全部を1人で使いきれなくても」大丈夫だったということだ。もしこれらの点がなければ、18きっぷでの日帰り旅行は、ハードルが高すぎてお出かけ初心者の一歩にはならなかっただろう。改定後の18きっぷでは、連続した日程で休みをとり、1人で連続3日間か5日間の旅程を組み、宿泊費を捻出しなければならなくなる。これでは「移動弱者」にとって移動のハードルは高いままだ。彼らは自分が既に見知っている、あるいは住んでいる世界から、飛び出すことが難しくなる。
安い値段で、1日単位でも使うことができること。これは学生、女子、地方出身の若者といった、それまで1人移動の経験やノウハウがなかった、かつお金をあまり持たない層にも、遠出のきっかけをくれる。そして私たちは、ひとりでもこんな場所まで来れる、世界には今住んでいるところとは違う、こんなにいい場所があると知る。束の間、1人の時間を楽しむ。次は仲のいい友人も連れてどこかに行ってみようかとか、1泊ぐらいしてみようかと思う。明日は身体を休めて、日程調整をして来週とかでもいい。私にはあと4回分、期間中ならいつでも誰とでも使える移動の権利が、あと4回分残されているのだから。
18きっぷが可能にしていたのは、このような世界だったはずだ。幸いなことに最近は、女子がひとりで旅をしていても、何か言われることが少なくなっていると感じる。私の周りにも、18きっぷを使って帰省や旅行をしている女性の友人がたくさんいる。18きっぷはある意味女子を解放する。そしてもちろん女子だけではなくて全ての若者を、新たな己の可能性へと向かわせることができていたのだ。
自分の足でどこかに行ってみたい、でもお金はないし、いきなり1人で知らない街で泊まるのには不安がある。そういう層にチャンスを与えてきたのが、今までの18きっぷではなかったか。
そうして彼らは世界の面白さに気づき、自分の道を自分で切り拓くことを覚えていったのではないのか。
我々が18きっぷに望んでいるのは、ただオトクに鉄道に乗れることではない。18きっぷは我々を自由へ導く切符であってほしいと、切に願う。