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兄の命の選択
障がいのある母の兄(私の叔父)が誤嚥性肺炎で入院した。
そして、その1か月後。
また、誤嚥性肺炎で入院することになり
「正直、キケンな状況です」と連絡を受け、家族が少し取り乱した。
叔父は、30年以上前に、仕事中の事故で、頭を打ち、障がいと付き添いながら生きてきた。不幸中の幸いにも、命は取り留めたが、一人では生きていくのは難しい身体となり、しばらく、祖父母と暮らしていた。しかし、面倒を見るのも難しくなり、施設に入所することになった。正直、これまで、叔父さんの施設に、何度も足を運んではいなかった。話もあまりできない、忙しい、遠い、今思えば、言い訳で溢れていた。それは、母も同じだと思う。言い訳と正当化をして、頭の奥底にある罪悪感みたいなものを振り払っていたのだと思う。
そんな叔父さんの命が危ない。
さらに、医師から、こんなことを告げられた。
叔父さんは、現状、誤嚥性肺炎を起こして、意識がない。これからどうするかをご家族に選択してほしい。選択は大きく3つ。
前回の誤嚥性肺炎から1か月で、同じ誤嚥性肺炎になっていて、また治療しても、口から「食」を続けるのは、難しい。という背景があっての選択。
1、延命を望むなら、胃に直接、「食」を送る手術をする。
2、「食」に拘らず、点滴で栄養を送る。
3、今回、肺炎の治療をして、できる限り、「食」を続け、また、同じように肺炎となっても、自然の寿命として延命はしない。
大まかではあるが、こんな感じだった。3に関しては、口から「食」を得るという人間としての行為を奪わず、尊重するということ。しかし、この選択は、命の危険というリスクが大きい。
意識がない叔父さんに変わって
命の選択をする
ということだと、私たちは理解した。
どれを選択しても、正解でも不正解でもなく、価値観の話になってくるというようなことを医師が言っていた。こんな選択、辛すぎる。それが、正直な、最初の感想だった。もちろん家族みんなで向き合うつもりだが、一番近い、母が、最終の選択をすることになる。母は、辛く、苦しそうだった。
急遽、家族とlineや電話で話した。次第に、叔父さんの命の選択をすることの重さみたいのがどんどん大きくなっていく。
答えなんてないとは言うけど、「正解」を教えてほしい。
叔父さんの意識があれば。とも思ったが、重度の知的障がいの叔父さんが、ここでいう、「正解」の答えを出すことが出来るのだろうか?そんなことも考えた。とにかく、すぐに答えを出さなければいけないプレッシャーの中、いろんなことを考えて、話し合って、答えを出した。
もし、自分が兄(叔父さん)だったら?
この問いが、母と僕たちの答えを導いてくれた。自分たちだったら、無理に延命をしてほしくない。きっと、「食べたい」と言うだろうとなったのだ。
しかし
「選択するにも、とにかく、一度、逢って決める」
これが、私たちが出した答えだった。
医師から連絡をもらった次の日、福岡から三島の病院に母が向かった。次男が神奈川に住んでいるので、付き添いをお願いした。福岡に住む僕は、その数日後、埼玉に住む三男と行くことにした。父(母の夫)は、入院中で断念した。
「手をちゃんと握って、ごめんねって言ってきた」と、母が、泣きながら、電話で伝えてくれた。そして、「だから、もう大丈夫。決めた」と続けた。叔父さんは、この時、意識はなく、「もしかしたら、という覚悟もしてください」と医師に言われ、覚悟もした。とにかく、まずは、肺炎を治療してほしい。そして、「食」という人間としての行いをさせてあげたい。そんな希望と願いを込めて、母と弟は病院を出た。
それから数日後、医師から電話があった。
「驚くほど、意識も戻り、回復しています」
ちょっと前まで、意識もなく、呼吸も苦しそうだった叔父さんが、意識を取り戻して元気になりつつある。意識がなかった時の叔父さんを、僕は実際には見ていないので、その違いはわからないが、医師は、「きっと、お母さんと弟さんは、びっくりすると思います」と言っていた。
そして、すぐに、僕と三男で、病院に行くことにした。叔父さんが、事故にあったのは、僕が小学生になる前だったと思うので、もう40年近く経っている。何度か施設に面会に行ったこともあるが、その時は、正直、僕を僕と認識してくれてはなかった気がする。しかし、今回、叔父さんが、ちゃんと認識して、名前を呼んで、「ありがとう」と言ったのだ。
この日、医師と叔父さんと僕で面談。その内容は、
以前の選択をどうするか?
というテーマだった。この前は、叔父さんは、意識がなかったが、今はある。知的障がいがあって、理解できるかはわからないが、叔父さんが自分で決めることがいいのか、僕たちが選択するのがいいのか。という話にもなった。
叔父さんに、直接聞く
それが、この時の素直な答えだった。
「この前、叔父さん、命が危なかったんだよ」
「また、ごはん食べたら、危ないかもしれないんだって」
「それでも、ごはん食べたい?」
活字にすると、うまく伝えられないと思うが、叔父さんと、実際に、この会話をした。すると、叔父さんが、
「たべたい」
「ありがとう」
と笑顔で言った。さらに、どこか、嬉しそうでわくわくしていた。そんな叔父さんが、素直に可愛いとさえ感じた。後日、この日来れなかった、福岡の母とZOOMを次男が繋いでくれて、もう一度、聞くことにした。
「たべたい」
「ありがとう」
答えは同じだった。叔父さんは、どこかイキイキとさえしていたと感じた。僕たちは、何か、とても大事なことを叔父さんに教えてもらっているのではないか?
命を守ることも大事
でも、命は活かすことも大事
「食」は命そのもの。
私たちは、誰かや何かの「いのち」を頂いて、未来に活かしていく。
これが、「いのち」の本質なのかもしれない。
人として、というより、「いのち」として、忘れていた大事なことを、叔父さんに教えてもらって、気づいたことがある。
僕たちは、大きな間違いをしている
叔父さんの命の選択をすることが目的になっている?
叔父さんが答えを出すのか、僕たちが答えを出すのか。そんなことの前に、本当の目的は、家族として、同じ「いのち」として、一緒に生きて、一緒に歩んで、一緒に活かしていくことなのではないか?
叔父さんと家族みんなで、一緒に、ごはんを食べる。
医師に相談し、少し、ペースト状の食で慣らして、個室の部屋で、一緒に「食」を共にする時間を頂けるように頼んだ。難しいことはわかっているが、お願いして、許可を頂けた。(心から、ありがとうございます)文章で書くと簡単なようだが、すごく大変なことだと実感しています。ペースト食で慣らしている段階でも、正直、命の危険もあるし、せっかく、みんなで集まって食べるのも、危険がある。そもそも、父は、その時は入院中というのもあったし、みんなで集まるだけでも難しいし、大変なのだ。正直、リスクが溢れている。しかし、叔父さんが教えてくれた
命を守ることも大事
でも、命は活かすことも大事
出来る限り、安全な方法を探し、家族みんなで、一緒に、ごはんを食べる。このことが、いろんな家族のこれからの判断や考えに少しでも活かしてもらえたらいいなと、思えたら、僕もわくわくしてくるのです。
改めて、叔父さんが、本当に大切なことを教えてくれたと感じています。
ペースト食で慣らして10日ほど経ち、三島に福岡・神奈川・東京から全員が集まった。入院していた父も、おそらく難しいと言われていたが、なんのとか、前日に退院することが出来た。これで、みんなで一緒に歩むことができる。
さて、ここで、みんなでご飯を食べると言っても、どんなものを食べるのがいいのだろうか?いろいろ悩んでいたが、病院の言語聴覚士さんと相談させていただいて、介護食・嚥下食というのを教えてもらい、いろいろ調べて、母と決めることにした。さすがに、叔父さんが食べたいと言っていた、豚カツ・ビールなどをそのままというのは流石に難しいが、何か、いい介護食はないだろうか?そんな中、「そふまる」という、介護食のオンラインショップに出会った。できる限り、味や見た目のクオリティーをあげた、介護食。これに決めた。叔父さんの好きだったものを何個か、そして、ノンアルビールとトロミ剤も購入して、当日を迎えることにした。
当日、母が、食器などを持ってきて、介護食を温め、お皿に移し、母が叔父さんに食べさせてあげた。僕も母も、同じものを少しだが、食べさせてもらった。一緒に、同じ空間で、同じ「食」を口にして、一緒に歩み、一緒に活かす時間。
難しいことはさておき。
叔父さんが、本当に嬉しそうだった。
「おいしい」
「ありがとう」
「もっと」
と、何度も言葉にしてくれたり、母の方を見て、口を大きく開けて待っていたり、まだまだいけるとポーズをしたり。
そして、気づけば、昔の話や芸能人の話や、テーマパーク、旅行の話が止まらなくなっていった叔父さん。
着いた時は、正直、食べれる?という感じで、横になっていた。おそらく、そこまで体調がいいわけではなかったのだと思う。看護師さんが、となりで、詰まりそうになったら介助してもらいながらだった。時折、眠そうにもしていた。でも、また目を開けて、「大丈夫、もっと」と、想いを届けてくれる。そして、また、みんなに想いを伝える。
今、まさに、叔父さんが、いのちを活かしてる。
そんな時間だった。
気づけば、病院の個室に、笑顔やあったかさが溢れていた。きっと、家族のみんなが、それぞれ、いろんなことを感じ、気づき、考え、何かも貰ったのではないだろうか?
最後にみんなで写真を撮った。
叔父さんが、ピースをしていた。
みんなで、いのちを活かしあっていこう。
心から、そう感じた。
まだまだ、どうなるかわからない。
でも、大丈夫。
何があっても、みんなで、守ることも大事だけど
いのちを活かすという道も大事にしていこうと決意した。
命の選択から、ともに生きる「いのち」という挑戦。
あたらしい価値のある未来のはじまり。
その時、叔父さんが教えてくれたことを、新しい価値として、動画というカタチにしてみました。よかったら、御覧ください。