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結婚式への参列

めでたい。めでたい。

先日、友人の結婚式へお呼ばれして参りました。

大学時代から付き合って、卒業をして結婚。子供ができ、落ち着いた所で結婚式を挙げる。そして、結婚式で家買ったよと報告を受ける。

え、何その夢のような人生の歩み方は。"羨ましい"という感情より、"今時そんな人生歩めるんだ"という感心のほうが強かった。

批判でも何でもない。ただ、在るんだ。と分からせられた気がする。何だろう、クレしんのパパママとかそういう状態に持っていけるのはもう幻というか、とても凄いことだと思い込んでいたから、身近な友人がその立場に立って、解らせられたんだ。"判っていたし"、"知っていた"んだけど、解らせられたんだ。

わかった上で現在の自分の立場を見つめて、ちょっと心配になったんだ。

『あれ?私このままで大丈夫?』

大丈夫なんだけどね。
私はとりあえず3年働いて、その場で学んだ事も知った事も含めて、元々やってみたいと思っていた仕事に移ろうとしたんだから。そう、自分のキャリアの為に動く事を決めて、足を進めたんだから。なんだろう、愛とか情とかを優先する選択をした人間と仕事を優先した人間なだけじゃないか。それも、今の年齢、この時はこっちを取ったというだけで、その後一切戻れないなんて訳はない。彼女も今後の人生で仕事を第一優先にする時だって来るかもしれないし。

あぁ、こうつらつら書くととても羨ましがっている様に聞こえるじゃないか。羨ましいのだろうか。だからといって今とても結婚したいと思っている訳じゃないのに。

ちょっとあてられただけだろう。所謂当たり前の幸せとこの日本が仮定するものに。

捻くれてるなぁ、羨ましいならそう素直に思えばいいのに。

背反する感情を今持っていて、落ち着かないね、私。

今年は変化の年にすると決めたじゃないか、ちょっと踏み出した歩みを止めないように。このまどろっこしい感情でさえ、変化だから、しっかり気付いて。気付いたらどんな小さな動きでも恐れずに変わっていこうよ。

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